デザイン:五十嵐 傑(pieni) イラスト:ペカ

アノニマ・スタジオWebサイトTOP > もうひとつの日本を訪ねて。Welfare trip もくじ > 08 株式会社研進/社会福祉法人進和学園(神奈川県平塚市)

日常の生活から離れ、小さな旅をしたくなったら、私は福祉施設を訪ねます。
障がいのある人や、ひきこもって社会との接点がなくなった人、家族と暮らせない人などが通う所です。

「なぜ、そこに行くの?」と訊かれたら、お手伝いできる仕事があるかもしれない、ということを口実に、単純に、好きだから、行きたくなる、と答えます。

各地の施設を訪ねるようになって十数年、その数は300箇所くらいになります。
地域ならではの手仕事を、福祉施設と一緒にやっている方たちともお会いしました。
これまでに出会った、私が心惹かれた場や取り組みをご案内させてください。

福祉という切り口から見た、もうひとつの日本の風景。
ここで一緒に小さな旅をして、新しく出会う景色に思いを寄せていただけたら、嬉しく思います。

高度経済成長を担った福祉工場から多様性と調和のいのちの森づくりへ

08 株式会社研進/社会福祉法人進和学園

(神奈川県平塚市)

写真:著者

富士山を望む高台にあるブルーベリー畑と自動車部品工場

 小田急線の鶴巻温泉つるまきおんせん駅で下車して、駅前ロータリーまで歩く。駅の北側には、丹沢の麓、かつて東京の奥座敷として発展した鶴巻温泉郷がある。温泉郷にある陣屋旅館では、将棋や囲碁の名人戦、竜王戦などのタイトル戦が数多く行われ、宮崎駿監督が子どもの頃にここで過ごしたという「トトロの木」と呼ばれる大きな木がある。
 鶴巻温泉郷と反対側の南口に出て、迎えに来てくださった株式会社研進(以下、研進)の代表、出縄貴史いでなわたかしさんと、車で20分ほどの社会福祉法人進和学園(以下、進和学園)に向かう。


 出縄さんには、これまでに何度も視察会や研修、講座などをお願いして、案内や講師をしていただいている。この日は、遠方の福祉施設の方からオンラインでの視察見学の依頼があり、進和学園内にある本田技研工業株式会社(以下、ホンダ)の車部品組立を請け負う福祉工場である「しんわルネッサンス」で、動画撮影を通して、出縄さんに説明案内をお願いしていた。
 車が進和学園に近づくと、上りのカーブが続き、周辺は高台の畑が広がる景色に変わる。頂上の建物前で車を降りると、空に囲まれ思わず深呼吸がしたくなる清々しさだ。お天気の良い日は正面に富士山が鮮やかに見える。



 「さあ、どうぞこちらへ。ああ、もう施設の方たちがいらしてブルーベリー摘みを始めていますね」と案内してくれたのは、進和学園の敷地内にあるブルーベリー畑。麦わら帽子をかぶった人たちがブルーベリーを摘んでいる。収穫期になると、こうして近くの福祉施設の障がいのある人たちが仕事としてお手伝いに来る。観光農園として収穫体験も行っているので、一般の人でも予約をすれば利用できる。


写真:著者

 「よかったら、つまんでみてください」と勧めていただき、ブルーベリーを口に入れると、紫の新鮮な粒が口の中でぷちっと甘酸っぱく弾ける。ブルーベリー畑の隣には竹林が広がり、大きな真竹が生えている。以前、私が手掛けた障がいのある人たちと制作する「千鳥うちわ」第3回参照の竹骨の材料として、節が長くて太い真竹を探していた時、ここで伐採させていただいたことがある。


写真:著者

 建物に入り、エントランスに展示されているお土産品やパネルを見ながら、廊下を歩いて工場へと向かう。

知的障がいのある子どもたちの施設から先駆的な福祉工場の誕生

 進和学園では、現在18カ所で、保育園などの子育て支援、障がいのある人たちの就労支援、高齢者のケアをする施設を運営。車部品組立工場、苗木と森づくり、地元スーパーでの施設外就労、ベーカリー工房、ジュース加工工房、原木しいたけ栽培など、多岐にわたり障がいのある人たちの働く場を提供している。出縄さんが窓口となって、企業の障害者雇用の枠組みを柔軟に広げようと国に政策提案をする、福祉界のリーダー的な存在でもある。


写真:著者

 元々は戦後復興期の1958年、出縄さんのお父様のご実家だった家を開放して、知的障がいのある子どもたち30名を受け入れる寺子屋的な施設「進和学園」を、出縄さんの叔父・あきらさんが開設。これは、後ろ盾のない民間人が始めた神奈川県内初の知的障がい児入所施設だった。
 その子どもたちの成長と共に働く場が必要となり、1974年には「進和職業センター」として、ホンダ自動車部品組立の授産施設第3回参照と、働く人たちのための入所生活棟を立ち上げ、120名の障がいがある成人が働く施設へと転換した。



 出縄さんの父・光貴こうきさんがホンダに勤務していたことをきっかけに、懸け橋となって尽力をされ、組み立て加工の仕事を請け負うことができたという。まだ障害者雇用など企業と障がいのある人との国の制度が整っていない時代、福祉施設と大手企業との直接契約が実現できたのは、画期的な出来事だった。

 当時、ホンダ創業者である本田宗一郎ほんだそういちろう氏が授産施設設立に賛同して、他の一般工場と分け隔てなく対等に発注をしたという。ホンダが障がい者への貢献をアピールすることも、全くなかったそうだ。

 さらにその当時、進和学園の理事に元ソニー株式会社会長の井深大いぶかまさる氏が名を連ねており、国を通して大手銀行の寄付や行政・地域の大きな協力もあったそうだ。そのような、時代を切り開いた民間企業の力ある人たちの協力も得て、先駆的な授産事業が誕生した。

 進和職業センターの設立にあたり、製造部門と営業部門との役割を分け、本田技研工業の「研」と進和学園の「進」を合わせ、営業窓口となる株式会社研進を設立。光貴さんが代表取締役を務めた。その後、現在の工場となる「しんわルネッサンス」への移転準備中の2005年、息子の出縄さんが27年間勤務していた会社を退職して、光貴さんの後を継がれた。


写真:著者

多様な人たちが同じ工場内で働きながらノーミスを続ける工夫

 工場の中は、広々として天井が高い。入り口から奥に向かって複数の製造ラインがあり、多くの人たちは自分のポジションに立って同じ作業をしている。ホンダと同じ白色のユニフォームを着てテキパキと手を動かしながら、目が合うと「おはようございます」「こんにちは」と声をかけてくれる。
 一般工場と同様に納品していくには、当然「福祉だから」なんて甘えは通用しないし、ミスも許されなければ、スピードも上げていかなくてはならない。どのように品質を保ち続け、工夫をしてきているのか、工場内を歩きながら出縄さんにお話をしてもらう。



 「私たちは、第三者機関からの厳しい審査を受けて取得する『ISO 9001認証』を、知的障がい者の福祉工場としては日本で初めて2007年に受けています。その後も毎年認証審査を経て更新を続け、80ヶ月(6年8ヶ月)連続でミスがゼロという記録もあります。本当に皆さんの働く意欲と集中力が素晴らしくて、私なんかが手伝いに入る余地もありません。ミスは、職員が効率よく仕事をこなそうと手順を省略した時に起こることがほとんどです」

 ここでは、障がいの程度や作業の速さが違う人たちも混ざり合って働いている。個々の製造ラインにはチェックをする職員がいて、障がいのある人たちは、就職を目指す就労移行支援の利用者、就労継続支援A型とB型の利用者第2回参照が、それぞれ色違いの名札を首から下げ、各自に合う作業を受け持つ。人によって受け取る工賃も違う。
 ちなみにこのしんわルネッサンスでは、就労継続支援A型で働く人たちの平均月収は、多い時で16万円程度、B型の人たちは5万円程度。全国平均よりかなり高い水準で、特にB型は全国平均の3倍近くの工賃が支払われている。
 出縄さんは「公にすることが大切ですから」と、全事業の売り上げから原価、工賃の数字を公開している。


写真:著者

 また、大勢の多様な人たちが混ざり合って働くには、職員の「見極め力」が大切になってくる。一人ひとりの特性を見極め、どの人が何の作業をするかを決め、ミスをなくす工夫が必要になる。細かい作業工程などを書き込んでクリアファイルにまとめ、職員間で共有されているという。もちろん、本人の希望や目標も訊きながら話し合っていく。

 さらに、ハンディを補って作業をしやすくするため、オリジナルの「治工具じこうぐ」と呼ばれる補助器具をつくっている。専用の「治工具開発室」という小部屋で、元機械メーカーのエンジニアなど、部品組み立てに明るく経験豊富なOBを専門スタッフに迎え、どのような補助が必要か工夫を凝らす。
 「ホンダさんにも、この治工具は非常に高く評価いただいてます」と出縄さんは言う。
 例えば、「製造途中の部品を当てはめてみると、ミスがある部品がはまらないためチェックできる治工具」とか、「複数のサイズのネジを投入すると、サイズが分かれて下から出てくる治工具」とか、まるで知育玩具のような、見ているだけで楽しくなってしまう治工具がいくつもある。全てに解説を添えて並べたら、マニアックな展示室ができそうだ。地味だけれど治工具づくりのノウハウの蓄積は、工場の心臓部とも言えそうだ。これがなければ部品の組み立てが止まってしまうのだから。

 工場を出て、階段を下りていくと、建物の地下1階には「湘南とまと工房」がある。ガラス張りの工房内で、調理用の白衣を着た人たちがジュースを搾り瓶に充填している。ここは、障がいのある人たちが働く農産品加工場としては初めて、農林水産省の「六次産業化・地産地消法」の総合化事業計画の認定を受けている。地域住民、農協、NPOが連携して、地元で収穫される規格外の捨てられてしまうトマトを「もったいないから活用しよう」と、濃厚な無添加トマトジュースに加工することになったのだ。立ち上げ時はご苦労もされている様子だったが、今では通販や百貨店などでも人気の商品になっている。
 その隣には、先ほどの「治工具開発室」がある。扉の中は秘密の小さな工作室のような雰囲気だ。専門スタッフの男性2名が木工加工の機材に囲まれ、治工具づくりに勤しんでいる。

 オンライン見学を終了し、メンバーの皆さんと一緒に給食をいただく。100人以上が座れる大きな食堂があり、厨房では障がいのあるスタッフも働いている。それまで、外部業者に委託していた昼食を、リーマンショック後に給食班を立ち上げ、障がいのある方たちの就労支援の場としたそうだ。給食を食べ終わると、それぞれ自由に休憩時間を過ごす。椅子に座ってまったりする人、中庭に向かってヘッドホンで音楽を聴き、リズムに合わせて身体を動かしながら歌っている人もいる。



自然界も人間社会も多様性は同じ「いのちの森づくりプロジェクト」


 工場があるしんわルネッサンスの建物を出て、植樹用苗木づくりのビニールハウス「どんぐりハウス」「まじぇるハウス」へと車で向かった。
 ビニールハウスでは、タブノキ、アラカシ、スダジイなど約80種類、7万本もの苗を栽培できる体制が整っている。担当者の加藤ナルミさんがメンバーの人たちと会話を交わしながら、苗木に水をあげたり、ポット苗づくりをしていた。また、金網(ウェーブメッシュパネル)のプランターに日本在来の植物を植え込み、身近に里山を楽しめるという「5×緑(ゴバイミドリ)の里山ユニットづくり」の請け負い仕事もしている。



 この「いのちの森づくり」は、宮脇昭先生(横浜国大名誉教授)のご指導のもと、2006年に福祉工場「しんわルネッサンス」にて、地域の子どもやお年寄りも招いて植樹祭を行ったことが契機となっている。直後のリーマンショックに伴い、自動車部品の仕事が激減する中、作業種の多角化を目指すこととなるが、その代表的な取り組みとして発展し、今では進和学園の看板プロジェクトとなっている。
 「いのちの森づくり」プロジェクトは、福祉の枠を超え、環境、教育、企業と連携をしながら、時代の流れとも合って大きな輪へと広がり、2021年には、苗木の提供本数は累計30万本を超えた。



 「いのちの森づくり」について、出縄さんはこう話す。
 「宮脇先生が提唱する『潜在自然植生理論』に基づいて、人工林ではない、その土地本来の植生に合った木による本物の森づくりについて知ることとなりました。『自然の森は、いろいろな種類が混ざり合っている。仲の良いものだけを集めてもダメ、人間社会も同じ。混ざり合うことが大事』と、岡山なまりで“まじぇるまじぇる(混ぜる混ぜる)”を繰り返される宮脇先生のお話を伺った時、これだ!と思ったんですよ。社会の中でお互いの個性を尊重しながら、切磋琢磨して少し我慢もするけど、共に生きていく。多様性と共生の理念がわかりやすく象徴されている取り組みです」



 どんぐりの実を拾い、ポットの土入れ、水やり、苗木を育てるという、太陽の下で自然と触れ合う作業は、工場や室内での作業が苦手だった人でも、生き生きと取り組めるものだった。しかし、どう収益をあげて仕事にしていくか、次第にたくさんの苗木が育ち、植樹できる売り先がなかなか見つからない焦りから、出縄さんは「夜中にうなされた時期もありましたよ」と苦笑いをする。

 思案をめぐらせた出縄さんは「苗木を売ろうとしてはいけない」と気づき、「植樹活動を基金にして、企業から集めた寄付を障がいのある人への工賃に還元する」というアイデアを思いついた。本物の森づくりという環境保全のための苗木費用が、障がいのある人たちの仕事の対価になるのであれば、企業の社会貢献活動としても継続支援を受ける仕組みにできると考えたのだ。



 出縄さんは、「いのちの森づくり友の会基金」を立ち上げて会員と会費を募り、集まった基金を活用して、公共性が認められる公園、施設、学校、道路側道、荒地、防潮林などの敷地に植樹をしていった。植樹後には苗木が定着するまでの雑草取りを「育樹」として仕事を増やし、また、同じ苗木づくりと育樹の仕事をする福祉施設の仲間を「どんぐりブラザーズ」と称して増やしていった。



 以前、私も高尾小仏こぼとけ(東京都八王子市)の植樹祭に複数の福祉施設の人たちと参加させてもらったことがある。斜面に足を踏ん張って苗木を植え、藁をかけ、土にまみれながら、「疲れるけど、かなり楽しいですね」と皆さんといい汗をかかせていただいた。何より、仲間と一緒に自分の手で植えた苗木が、何十年、何百年とかけて森へと育ち、将来の環境づくりに役立つかもしれないという夢を感じられるのがいい。


写真:著者

 日本の国土の森林面積占有率は66%と、先進国の中でフィンランドに次いで世界2位の森林大国だが、そのことはあまり知られていない。豊かな森林資源に恵まれながらも、戦後にはスギとヒノキの植樹で人工林を一気に増やし、その後の規制緩和でアジアの安価な輸入木材が大量に入ってきたために、日本の林業は衰退してしまった。手入れがされずに荒れた人工林ばかり残されているのが現状だ。

 単一の針葉樹の人工林は、根の深さや樹高が同じなので、大雨や台風などに弱く土砂災害の原因となる。災害に強いのは、自然の植生で根の深さも樹高も違う、多様な樹木が混ざり合った、日本では古くから「鎮守の森」と呼ばれて土地を守り続けている森だ。それを蘇らせようとするのが、宮脇方式の「いのちの森づくりプロジェクト」。しかも障がいのある人たちと全国に広めていこうという壮大な計画なのだ。



個性イコール欠点ではない、個の集まりから生まれる美しい調和


 湘南海岸が一望できる湘南平の高台に、進和学園が運営するホットケーキパーラー「湘南リトルツリー」がある。ここも出縄さんが営業手腕を発揮され、神田の老舗店から受け継いだ、一枚一枚を丁寧に銅板で焼くホットケーキを提供する人気店となっている。
 2018年に「ともしびショップ湘南平」と併設して、木の温もりを感じる唯一無二の店舗としてリニューアルをした。


写真提供:株式会社研進

 街の木を活かす設計士であり、都市森林株式会社の代表取締役、 湧口善之ゆぐちよしゆきさんと共に、隣接する高麗山こまやま公園で伐採された老木など、通常では破棄されてしまう街で伐られた50種類以上の木々を使い、寄せ木づくりの壁面など、進和学園の利用者や関係者の人たちが一緒になってつくりあげた。
 多様な木々が店内に活かされている素晴らしさはもちろん、訪れる人たちが感嘆の声を上げるのは、クスノキの節や歪みをそのまま活かし、流れるような模様がアート作品にも見えるテーブルだ。一台ずつ種類が違う木でつくられている椅子に座り、テーブルに向かい、こだわりのホットケーキをいただくという、心豊かな時間を過ごすことができる。

 湧口さんには、湘南リトルツリー店内で講座を開いていただいたことがある。
 「木の曲がりや節があるのは、建築資材として欠点とされてしまうけれど、個性でもあります。人間も木も同じで個性イコール欠点ではないので、進和学園さんが目指す世界観と、木を使ってお店で表現できる世界観がシンクロするような、個性的な木材をみんなで一緒に組み合わせ、個が主張するより全体として調和することを表現できたらと思いました。もちろん、使われない木でつくる作業はものすごく手間がかかります。テーブルも時間が経つと歪んでくるので、定期的にメンテナンスが必要です。でも、つくったら終わりではなく、手間がかかることで関わり続けるのも大切なことじゃないかと思うんです」



 昭和の高度経済成長期、日本が世界に誇った自動車産業で先駆的存在だった福祉工場。半世紀を経て成熟社会と呼ばれる今、次に求められ、向かっているのは、未来の子どもたちのために地球環境を守る森林をつくり、多様な人々と手を取り合いながら手間暇をかけて生きていく、調和の社会づくりのお手本となることなのかもしれない。





写真:藤田昂平


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羽塚順子
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障がい者や社会的弱者たちが働き、暮らしている、各地の福祉施設や共同体を紹介する一冊。そこは、「一般社会と壁を隔てた向こう側」ではなく、地域に根付き地域と交流し合う「福祉的な場」。人間同士が支え合いともに生きるという本来の在り方を伝えます。




羽塚順子(はねづか・じゅんこ)

特別支援学級で障害児を指導後、リクルートでの法人営業などを経てフリーライターとなり、3000人以上を取材、執筆。2009年より社会的に弱い立場の人たちと共存する母性社会づくりをライフワークに取り組み、伝統職人技を自閉症の若者が継承するプロジェクトなどでグッドデザイン賞を3回受賞。
MotherNess Publishing


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