デザイン:五十嵐 傑(pieni) イラスト:ペカ

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日常の生活から離れ、小さな旅をしたくなったら、私は福祉施設を訪ねます。
障がいのある人や、ひきこもって社会との接点がなくなった人、家族と暮らせない人などが通う所です。

「なぜ、そこに行くの?」と訊かれたら、お手伝いできる仕事があるかもしれない、ということを口実に、単純に、好きだから、行きたくなる、と答えます。

各地の施設を訪ねるようになって十数年、その数は300箇所くらいになります。
地域ならではの手仕事を、福祉施設と一緒にやっている方たちともお会いしました。
これまでに出会った、私が心惹かれた場や取り組みをご案内させてください。

福祉という切り口から見た、もうひとつの日本の風景。
ここで一緒に小さな旅をして、新しく出会う景色に思いを寄せていただけたら、嬉しく思います。

あるがままを受け入れるフリースクールから、地域との縁を繋ぐ働く場へ

02 特定非営利活動法人CCV

(栃木県鹿沼市)




神社のお掃除から始まる清々しい一日


 東武日光線新鹿沼しんかぬま駅の改札口を出て、まっすぐ歩くこと3分。交差点の左にある2階建ての白いコンクリートの建物が、特定非営利活動法人CCV(クリエイティブ・コミュニケーション・ヴィレッジ、以下CCV)だ。CCVがあるこの町名は「鳥居跡町とりいどちょう」。目の前には、日光街道と二股に分かれる道に挟まれた小さなほこらと真新しい鳥居がある。

写真提供:ccv

 鳥居を分岐点として車が行き交うこの神社。日光を開山した勝道上人しょうどうしょうにんが、奈良期、日光山守護のために四天王を表す松・杉・梅・紅葉の4本を植えた場と伝えられ、鎌倉期には、源頼朝が日光山に神領しんりょう(神社の所有地)66郷を寄進して祈願をした際、神領の入り口として「遠鳥居とおとりい」を建てた記録が残っている。昭和32年、日光二荒山ふたらさん神社から御神体を迎えて二荒山ふたらさん神社が建てられ、CCVがここに越してきた翌年の平成31年、鳥居が新設された。

 それを機に、「神社のお掃除をやらせてください」と町内会に申し出たのが、障がいのある人たちが働くCCVウェルフェア主任の宇賀神うがじん美菜子みなこさんだ。宇賀神さんとは、栃木県での福祉施設職員研修を通して知り合い、かれこれ10年近いお付き合いになる。



 「おはようございまーす! どうぞ2階に上がってください!」と、明るい笑顔で宇賀神さんに迎え入れてもらう。事務所と作業室がある2階に階段で昇りながら宇賀神さんに尋ねてみると、「もちろん、毎朝、お掃除してますよ!」と、元気な返事。
 「せっかく由緒ある神社が目の前にあって、しかも引っ越して来てすぐ新しい鳥居が建つなんて、絶対にご縁があると思うんですよ。お仕事にならなくてもいいから、利用者の方たちの経験として、お掃除はぜひさせてもらいたいと思ったんです。毎朝、二礼二拍手一礼の作法から始めて、お水替え、拭き掃除や周辺の掃き掃除ときれいにすると、みんなで1日を清々しく過ごせる気持ちになれるんです」

 宇賀神さんと同様、理事長である福田ふくだ由美ゆみさん、所長の神戸かんべ真弓まゆみさんも、この神社のお掃除をしたいと思ったようだ。
 「理事長も所長も、“やろう!”ってなって。で、お掃除を始めるようになったら、ご近所の方たちから“ありがとう”って声をかけられたり、神社にあるベンチのペンキ塗りを頼まれたり、新しいお仕事の話もいただけるようになって、地域とのご縁に繋がったんですよ。地道に続けていると、ちゃーんと神様が見て応援してくださってるんだね、ってみんなで喜んでます」

 各地の福祉施設を訪ねると、このような神社とのご縁話を見聞きしたり、遥か紀元前の縄文土器が施設敷地内から出土するといった話を聞くことが多い。
 世の中が慌ただしく効率優先で回る中にありながら、個々のペースでゆっくり時間が流れる場の影響なのか、通う人たちの人なつっこい笑顔がそのような縁を引き寄せるのか。福祉施設には、時代を超えて古くからある土地の力と繋がりやすい不思議な何かがあるような気がしてならない。



「工賃を上げること」に頭を悩ませるB型事業所

 CCVウェルフェアは、「就労継続支援B型事業所(以下、B型)」という、身体・知的・精神のいずれかに障がいがあり、一般企業などに就職することが困難な18歳以上の人たちが、作業訓練を行う通所の福祉施設。障害者総合支援法に基づく指定障害福祉サービスの一つだ。現在、常時15名ほどが各自のペースに合わせて通っている。

 就労継続支援事業所にはA型とB型があるが、A型では通所する利用者と雇用契約を交わして最低賃金を保障する。B型では雇用契約を結ばない福祉的就労として、「工賃」と呼ばれる報酬がある。
 いずれも職員が様々な障がいのある人たちへの支援や対応をしながら、商品開発や営業、原材料の仕入れ、工程・品質・納品管理など、全てを担う事業所がほとんどだ。そのような状況で最低賃金の支払いを維持していくには、仕事を継続発注してくれるパートナー企業の存在や行政などの受託仕事の見込みがなければ厳しい。B型事業所は比較的立ち上げやすいこともあって、定員10名程度の小さな施設が年々増加、全国に11,750カ所となっている(※1)



 多くのB型では、平日の日中、施設内で箱折りや袋詰めといった室内作業、パンや焼菓子などの製造販売、一部では印刷や縫製などの専門機材を導入した作業を行ったり、清掃やリサイクル回収などの軽作業に出向いている。その作業から得られた収益を、利用者が工賃として受け取る。

 全国のB型の平均工賃は、月額で16,118円、時給換算では214円となっている(※2)。この工賃をいかに上げるかが、国も各B型の現場でも長年の大きな課題だ。
 令和3年度からは、平均工賃の支払い金額に応じて国からの支援費(障害福祉サービス等報酬)が段階的に加算されるようになった。つまり、平均工賃が低いB型は徐々に財政が厳しくなるので、何らかの対策をしなくては淘汰されてしまう。


 そんなこともあって、工賃が見込める作業に特化する所、工賃アップは見込めないが地域に密着して安心できる居場所となれる所、アートなどの特色ある活動で評価される所など、以前よりもB型の多様化が進んでいるように見える。また基本的に、利用者は希望に合わせて通所先を曜日によって変えるなど、選択できるようにもなっている。

 CCVウェルフェアでは、コロナ禍でも柔軟に対応しながら、それぞれの特性に合わせて取り組めることを大切に、ベーカリー事業と法人内の給食提供、企業からの受託作業、地場産業と連携した作業など、地域へ開いた活動や民間との連携を積極的に試みている。

(※1 ※2 令和元年度厚生労働省資料より)



子どもたちのあるがままを受け入れる場所を

 CCVは、理事長である福田由美さんが、不登校の子どもたちを集めて始めたフリースクールから、その卒業生が働く場としてスタートした。
 福田さんは、地元の人たちに「由美先生」と声をかけられる元教師。25年余り小・中学校で教壇に立っていた。教員時代のバブル期1990年前頃から、社会の変化とともに学校の一斉授業について来られずに荒れてしまう生徒が増え、なんとかできないかと、教室の隣にあった倉庫にその子らを集め、担任する学級の授業と同時並行で、倉庫に集まった生徒たちに合わせた授業も行っていたという。この由美先生の授業が、栃木県では初めての「通級指導(通常の学級に通う軽度障がいがある児童や生徒に対して、一部の教科を一斉授業と分けて個別指導する授業のこと)」になったようだ。

 「当時は校内暴力で中学校がひどく荒れ、警察が来て病院に連れて行かれた子もいました。でも、問題児とされる子の多くは発達障がいの傾向があるグレーゾーンなので、集団での学習が苦しくて静かにしていられないんです。しかも集団の中のちょっとした言動がスイッチとなって暴力が止まらなくなってしまうんですね。勉強以外のことに目を向けてあげれば、芸術とかスポーツとか、才能もエネルギーもある子ばかり。“そのままでいいんだよ”と、まずは認めて受け入れてあげることが大切なんです」



 福田さんは、学校に来られなくなってしまった生徒を訪問しては、誘い出していたという。「給食時間だけでもおいでよ」と、やっと学校に登校できても、また集団の中に入ると問題行動を起こしてしまう生徒たち。今度は学校の外へ連れ出すことにした。
 音楽好きでバンドをやりたいと言う生徒には、高校生バンドの演奏を見せに行ったり、学校の机を彫刻刀で彫ってしまう生徒には、彫刻家のアトリエに連れて行ったり、アニメ好きで真似をする生徒には、声優になれる専門学校に連れていくなど、触れたことがなかった世界を見せ、ホンモノを体験させてみた。学校では問題児でも、将来のモデルになりそうな先輩に出会えると、安心して次第に落ち着きを見せていったそうだ。学校と家庭しか知らなかった子にとっては、大きく視野が広がるきっかけとなったのだろう。




 「子どもの幸せはどこに所属するかで決まってしまいます」と福田さんが言うように、ありのまま認められる場に身を置くことができれば、自分らしく生きる将来像を想像できる。しかし、否定と叱責を繰り返される場に身を置けば、同じ子どもでも問題児、不登校児といったレッテルが貼られ、心も生活もすさんでしまう。その差はあまりに大きく理不尽だ。

母親たちが支える、教育と福祉が融合する場へ

 福田さんは、学校でとりこぼされてしまう子たちが、ありのままの自然体でいられる場が必要と考えて学校を退職。自宅を開放して、いつでも誰でも自由に来て学べるフリースクールを始めた。自宅には、福田さんを頼って障がいのある子を連れた母親らが次々と訪ねてきたという。その中で、現在のCCVウェルフェア所長となる神戸さんと出会う。福田さんは当時を振り返ってこう話す。
 「福祉サービス事業を立ち上げようとNPO法人の準備をしていた、福祉に詳しいお母さんたちと知り合い、教育分野のフリースクールと福祉分野の就労支援を一つにできたらいいですね、と話が進んだんです。お母さんたちが頑張って資金を集めながら物件も見つけてくれて、発達障がいの子を中心とした、生きにくさを抱える地域の人たちのための、教育と福祉を融合させた場ができました。そこでそのお母さんたちと一緒に働くようになったんです」



 由美先生の自宅フリースクール開校から2年後の2010年4月、特定非営利活動法人CCVとして福祉サービス事業所が開所した。
 子どもたちの自立に向けたフリースクールは「CCV学園」、卒業後の就労は「CCVウェルフェア」、一般企業への就職を希望する卒業生には「CCVトランジションセンター」で、職場とのマッチングを行うようになった。
 その後も地域で必要とされる役割として、小中学校の不登校児童・生徒が通う放課後等デイサービス、一人暮らしができるグループホームなどを整えていった。最近ではカフェだったCCVの建物1階が、地域のコミュニティスペースに生まれ変わっている。

 CCVウェルフェアでは、立ち上げ時から今でも職員はほとんどが女性。皆さん、明るく前向き。役割分担もしっかりあって、私が送るメールにも「全員で共有させていただきました」と、すぐに返信をしてくれる。テキパキと「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」ができているチームという印象を受ける。障がいのある子育て経験者が多いので、悩みを抱えるお母さんたちの相談にしっかり耳を傾ける。また、中小企業経営者が集まる勉強会の会員にもなっている。
 そんなふうに、地域の小中学校から、自前で学習の場、働く場、生活の場を網羅しながら、企業や行政まで幅広いつながりと信頼を得て、地域で困っている人たちの声をすくいあげては、解決のための縁結びの中継地点となっている。



地域の産業に貢献できる地域おこしを

 鹿沼市には、魅力的な地場産業がいくつもある。その一つが「野州麻やしゅうあさ」だ。CCVから車で南西に向かって約40分、野州麻農家さんを訪ねるため、宇賀神さんの運転で旧粟野町、永野地区まで連れて行ってもらった。こんもりとした山に囲まれた田畑が広がる穏やかな気候のこの一帯は、古くから麻栽培が盛んで、春から夏にかけて勢いよく真っ直ぐ250cm程度まで麻(ヘンプ)が育ち、全国で最も麻生産量が多い地域となっている。



 今でこそ日本の麻農家は激減してしまったが、古来から麻は神様が宿り邪気を祓うといわれ、神事や冠婚葬祭には欠かせない植物だった。現在でも神社のしめ縄、横綱の綱まわし、神主さんがお祓いの時に両手で振る「大麻おおぬさ」などが麻でつくられている。また、成長が早く大きく根を張ることから、子孫繁栄、商売繁盛などの縁起物とされ、「赤ちゃんの産着には麻の葉模様」というのが定番だった。

 野州麻をはじめ、鹿沼市には日光東照宮造営の頃から続く、鹿沼組子かぬまくみこ、彫刻屋台などの職人技術、名産の鹿沼杉やひのきがある。そんな地元産品を継承する人たちからものづくりを学び、少しでも仕事と地域貢献に繋げられたらと宇賀神さんと私とで話し合い、地域おこしのプロジェクト「KANUMAISMカヌマイズム」をCCV発信で立ち上げることにした。



 400年近く続く麻農家の8代目、麻紙まし作家と麻炭あさずみ職人の大森おおもり芳紀よしのりさんにもこの企画を相談すると、「実は、僕も障害者施設の方たちと何か一緒にやりたかったんですが、どのように関わればいいのか、わからなかったんですよ」と、嬉しいお返事が返ってきた。

 麻畑に囲まれた奥の敷地にある野州やしゅう麻紙まし工房・野州麻炭あさずみ製炭所を訪ねると、天井が高い元納屋を改装した大森さんの作品ギャラリーがある。大きな木のテーブルと麻紙のランプシェードがある心地よい凛とした空間が広がり、奥にはキャンパス作品、御守り、小さなアクセサリーや小物、北欧のヒンメリにも見えるモビールなどが飾られている。



 大森さんにお話を伺うと、子どもの頃からものづくりが好きで、テーマパークに設置される遊具などの企画から施行まで手掛ける企業に3年ほど勤務していたという。人工的な素材が、繰り返し大量にゴミとして排出されるのを目の当たりにして疑問を持つようになり、ご実家の麻農家を継ぐ決意をした。
 「ずっと一番身近にあった素材としての麻の魅力を再認識して、自分が継がなければ、この素晴らしい伝統素材は途絶えてしまうと危機感を持ったんです。麻を種から蒔き、栽培と収穫作業、その後の加工を含め、体力的にもとてもきつい仕事なので、どの麻農家も後継者がいなくなってしまったんですね。麻を新たなものづくりに繋げたかったので、麻100%でつくる麻紙、麻炭あさずみについては、かなり色々と試行錯誤と研究を重ねました」



双方の思いが繋がり、ものづくりの世界へ

 麻が丈夫すぎる繊維素材なので、和紙同様の加工はできなかったそうだ。竹和紙の職人を人づてに紹介され、「硬い竹を和紙加工できるなら、そこにヒントがあるのでは」と、大森さんはその人を熊本県水俣市に訪ね、野州麻栽培の閑散期に九州まで通ったという。
 「僕の師匠となるその方は、重度の水俣病患者さんと共同生活をしながら、一緒に竹林の管理から竹素材の和紙をつくる試みをされていました。ものづくりを弱い人たちの役に立てたいという姿勢と苦労話に感銘を受けて、“いつか自分も、そんな人たちのために麻を役立てたい”と思っていたんです。鹿沼に戻って個展や展示会を開くと、障害者施設の方が自分たちの作品を持って訪ねてきてくれることもあって、何か一緒にできないかなと、でも具体的に何ができるのか見当がつかなかったんです。KANUMAISMのお話は嬉しかったし、温めていた思いがとんとん拍子に進んで本当に良かったです。僕もものづくりの人間なので、CCVの皆さんが、ものづくりを楽しそうにやってくれる時の笑顔……。もう、それが全てですかね」



 そんな思いを持っていた大森さんからは、講座形式でCCVの利用者の人たちに麻素材の手しごとを指導いただきながら、何の作業が向いているかを見極めてもらった。利用者の人たちが喜んで講座を受講する姿は、地元の新聞やNHKニュースが取材に来て取り上げてくれた。
 試作を繰り返し、「麻殻おがら」という麻の茎部分をストローにするための磨き作業や、麻炭粉を練り込んだ「麻炭香あさすみこう」の粘土状素材を小さな三角錐の形に指でかたどる「ちねり作業」など、大森さんからCCVに継続して発注されるようになった。



 KANUMAISMでは、このほか、麻の精麻せいまと地元の綿花をドライブーケにしたり、地元の南インドカレー店オーナーとの共同開発商品ができたり、栃木軍鶏しゃも店オーナーとのコラボ、鹿沼ひのき木工片を使った教材キューブ開発などが進んでいる。

 日々軽やかなフットワークで動く宇賀神さんは、「CCVに通う人たちが、地域の歴史ある産品やお店の人たちと新しい出会いや体験ができて、世界が広がり、自分たちが少しでも地域貢献に役立っていると自覚できるのが、すごくいいなあと思ってます。以前は、私も“点”では知っていた方々が、KANUMAISMを始めてから、点と点が“線”で繋がっていくので、これを“面”の繋がりに広げていきたいです」と、夢を膨らませている。

 CCVの法人理念は「地域で生きる」だ。地域おこしの企画やプロジェクトは、地元で成長させたいという強い思いを持った人たちが関わらなければ継続していかない。由緒ある神社や古くから続く地場産業とのご縁に支えられながら、生きにくさを抱える人たちが笑顔で生活できる街として、いつか、鹿沼市が知られていく日が訪れたらいいな、と願ってやまない。



写真:出原いではられい


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福祉の場をめぐる小さな旅

羽塚順子
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障がい者や社会的弱者たちが働き、暮らしている、各地の福祉施設や共同体を紹介する一冊。そこは、「一般社会と壁を隔てた向こう側」ではなく、地域に根付き地域と交流し合う「福祉的な場」。人間同士が支え合いともに生きるという本来の在り方を伝えます。




羽塚順子(はねづか・じゅんこ)

特別支援学級で障害児を指導後、リクルートでの法人営業などを経てフリーライターとなり、3000人以上を取材、執筆。2009年より社会的に弱い立場の人たちと共存する母性社会づくりをライフワークに取り組み、伝統職人技を自閉症の若者が継承するプロジェクトなどでグッドデザイン賞を3回受賞。
MotherNess Publishing


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