デザイン:五十嵐 傑(pieni) イラスト:ペカ

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日常の生活から離れ、小さな旅をしたくなったら、私は福祉施設を訪ねます。
障がいのある人や、ひきこもって社会との接点がなくなった人、家族と暮らせない人などが通う所です。

「なぜ、そこに行くの?」と訊かれたら、お手伝いできる仕事があるかもしれない、ということを口実に、単純に、好きだから、行きたくなる、と答えます。

各地の施設を訪ねるようになって十数年、その数は300箇所くらいになります。
地域ならではの手仕事を、福祉施設と一緒にやっている方たちともお会いしました。
これまでに出会った、私が心惹かれた場や取り組みをご案内させてください。

福祉という切り口から見た、もうひとつの日本の風景。
ここで一緒に小さな旅をして、新しく出会う景色に思いを寄せていただけたら、嬉しく思います。

ユネスコ無形文化遺産の技術を倣い、静かに世界へ羽ばたく和紙

03 社会福祉法人一越会

(群馬県前橋市)


写真:河野涼(JAPANMADE)


絹織物工場の跡地に建つコンクリートの和紙工房


 JR両毛りょうもう線の前橋駅から徒歩20分ほど、上毛じょうもう電鉄上毛線の城東じょうとう駅からは徒歩数分の閑静な住宅街に、社会福祉法人一越会ひとこしかい「ワークハウス ドリーム」の建物がある。施設長の中原なかはらいずみさんに前橋駅まで車で迎えに来てもらい、10分弱で到着。目の前には気持ちよく広がる公園がある。かつて前橋の周辺は養蚕ようさん農家が多く、絹糸けんし生産が盛んだった。一越会の建物も絹織物工場があった跡地に建てられたという。


 「この辺りでは、絹織物のことを『一越ひとこし』って呼ぶんですが、薄く滑らかで弱そうな生地でも、何度も染め直しできる耐久性があります。絹織物の経糸たていとは、一本、二本と数え、緯糸よこいとには強度を加えて一越、二越って数え方をするらしいんです」と、しなやかで強い絹織物にちなんだ一越会の由来を説明してから、中原さんは苦笑いをした。
 「今ではすっかり養蚕農家もなくなってしまいましたけどね。私の実家も子どもの頃に養蚕をしていたんですが、大変な作業なんですよね。糸取りの繁忙期は母親たちの手が空かなくて食事はうどんばかり、かいこを煮る独特の匂いが家中に籠るんですよ」



 そんな話を聞きながら自動ドアから玄関に入り、1階の事務室前で会釈をする。奥にある調理室まで歩いて窓を覗かせてもらうと、すでに100食ほどのお弁当製造を終え、ご近所の高齢者宅への配達に出た後だった。お天気がいいので畑作業に向かった人たちもいる。階段で2階に上がると、「紙工部」と書かれた模造紙が貼られ、フロアの奥では、窓から日を浴び、エプロンと三角巾を身につけて椅子に座り、机を囲んで黙々と作業をしている人たちの姿が見えてくる。
 コンクリートとタイル張りの外観からは想像がつきにくいのだが、ここでは20年ほど前から知的障がいや発達障がいのある人たちが、ユネスコの無形文化遺産に登録された伝統工芸「細川紙ほそかわし」の技術に倣い和紙をつくっている。



 原料のこうぞという木の皮を剥いて短く切り出している人、それを煮たものを柔らかくするため木槌きづちでトントンと叩いている人、不純物がない和紙に仕上げるため細かいちりを取り除いている人、水を張った大きな流しの前に立ち、四角い木枠の漉具すきぐを両手で持ち、和紙をいている人。いくつもの分業がされる中、どの人たちも真剣な眼差しで自分の作業に誇りを持って向き合っているように見える。中でも和紙漉きの作業はつい見入ってしまうほど。小柄な女性が漉具を前後左右と力強く端正に動かす手さばきは、まさに職人の姿だ。



 ここには10年近く前から何度も訪れているのだが、常に変わらない凛とした空気と光景に、「ああ、毎日ずっとみんなはここで職人として同じ作業を繰り返しているんだな」と、毎回、襟を正したい気持ちになる。「前の訪問時から今まで、自分は何をしてきただろう?」とか、「この和紙を広く知ってもらえるよう、もっと協力できたことがあったのでは?」とか、精進している姿を前に我が身を振り返り自問してしまう。



幼児の療育から、求められるまま走り出した夫婦二人三脚

 この「紙工部」の事業は、非雇用型で作業工賃を得る「就労継続支援B型事業所(※第2回目の本文を参照)」だったが、2021年春からは、工賃にとらわれずに障がいの重い人でも日中の居場所として過ごせる「生活介護」という役割の場に変わった。少し肩の荷が下りたかと思いきや、「品質へのこだわりは持ち続けているので、生活介護になったからといって私たちの中では変わっていないんですよ」と中原さんが言うように、東京の和紙問屋に見せても「質が高い」と褒められる仕上がりを保っている。使う道具の扱いは大切に、一つ一つの作業をゆっくり丁寧に、といった職人としてのおしえを守り続けていることも、ここにいる人たちの姿から伝わってくる。



 中原さんの妻、映子えいこさん曰く、和紙の作業で心身の落ち着きを取り戻すことができた人たちもいる。
 「和紙をやりたい人は?って訊くと、みんな『はーい!』って手を挙げるんですよ。何をやりたい?って訊くと、楮の皮の切り出しと塵を取る作業が人気で、切り出した材料ばかり増えてダンボール100箱くらい積まれることもあって……。和紙漉きが間に合わないんです。自閉(障がい)の人は、気に入った作業は夢中でのめり込んで、知的(障がい)の人も本当に素直に取り組んでくれます。大きな声を出してしまったり、落ち着きがない人でも、作業にはまることができると、そのことで安心して静かにできるようになるんですね」



 一越会は、この和紙製造から始めたわけではなく、保育士だった映子さんが、自宅の一室で障がいのある2人の幼児を週一回、預かったことがきっかけだった。1989年、映子さんが次女の出産と親の看病が重なり、当時勤めていた保育園を退職したことを機に、園児の中にいた「通常の保育だけでは手薄になってしまい、個別に合った対応が必要と思われる子」を預かることにした。
 当時はまだ珍しかった、知的や身体に障がいのある幼児の一人一人の発達課題に合わせた保育を行う「療育」の場が求められていたのだ。映子さんは請われるまま、翌年、療育専門の保育園を開園。療育保育の実践者で尊敬する人を東京まで訪ねては指導を仰ぎ、アドバイスをもらっていたという。


 卒園した子が特別支援学校に行くようになると、重い障がいのある子の保護者たちに頼まれて、特別支援学校の下校後に預かる、現在の児童発達支援施設・放課後等デイサービスを始めることに。さらに今度は成長した特別支援学校卒業生を受け入れる「授産施設(※)ワークハウス ドリーム」を2000年に立ち上げることになった。

(※現在の就労継続支援事業所。2006年の障害者自立支援法施行前まで、障がい者の就労支援系施設の多くは、授産所・授産施設と呼ばれていた。)

 預かる子どもたちが成長するに従って事業が膨らみ、保護者が準備会を進めて社会福祉法人化が決まった。映子さんは「現場で子どもたちを見ることはできるけれど、法人経営や経理はできないので」と、当時自動車ディーラーの管理職をしていた夫の中原さんにサポートを頼んだのだ。中原さんは「もう20年サラリーマンをやってきたから辞めてもいいかな」と、会社を退職。映子さんが「前橋にはない伝統工芸の和紙に取り組んでみたい」と希望して、夫婦二人三脚で半年の間に立ち上げ準備を進めることになった。中原さんが福祉専門でなく、大学で理系、民間企業で経理、販売と経験してきたことが、実務はもちろん「障害者施設を客観的に見る目」としても役に立ったようだ。




障がいがあるからこそ、品質にこだわることができる

 「立ち上げ時、関係者や識者と話し合って、お弁当製造、農作業、紙漉きの3つの事業に決めたんです。お弁当製造は保護者であるお母さんたちが手伝えるし、配達のニーズもある。農作業も畑があったので何かしら栽培できるし、野菜を欲しい人はいるよねと、保護者の人たちと協力しながら回せそうな作業が中心でした。紙漉きはリサイクルの牛乳パックでやろうとしたんですが、私は売れない雑貨をつくっても意味がないなと思ったんですよ」と、当初から中原さんは、障がいのある人たちが手づくりするものだからこそ、質にこだわるべきと考えていた。

 「施設で手づくりしたからと、品質が良くなくても何となく許されてバザーで売られるのが嫌だったんです。せっかく通って来る人たちが毎日時間をかけて取り組むのだから、質が良いものをできるところまで追求してみたいと思ったんですよ。しかも和紙であれば工程がたくさんあるので、重度の障がいがある人でも何かしら関わることができます」



 中原さんの言う通り、手軽に取り掛かれる牛乳パックの漉き葉書やカードをバザーで売る障害者施設は多く、不揃いな手づくりとしての味わいをよしとしている。中原さんとしては、バザーで「施設の手づくり品です」と100円で売るのは「お情け」をもらうことで、その50倍頑張って、高品質な和紙を5000円で百貨店に並べてもらうほうが遥かに良いと考え、職人の道を選んだのだ。



 映子さんと立ち上げ当初のスタッフたちは、技術を学ぶために埼玉県小川町の和紙体験学習センターに通い、すでに工事が進んでいた施設の2階フロアで設備を準備することになった。しかし、ここが和紙製造にふさわしくなかったようだ。

 「和紙を漉くには冷たい井戸水が向いてるんですが、1階の土間でないと井戸水を流すことはできません。また、小川町の和紙は楮の皮を大鍋で水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)と一緒に煮ていましたが、この建物で薬剤を流してはいけないと言われ、調べたら大昔には石灰で煮ていたことがわかり、それを取り入れることにしました。それほど大きな鍋も使えないので小分けにして煮ます。楮の繊維は長いまま扱うのが難しく、短く切る作業をしながら上達具合を見て長さを調整します。どれも手間がかかることばかりだし、本家から見れば邪道かもしれない。でも、大昔の和紙は千年残ると言われてますから、石灰で煮たこの和紙も千年後、残っている可能性がありますよね」



 中原さんは淡々と苦労話と壮大なロマンを語るが、無形文化遺産の和紙が「百年使える」と謳っているところ、まだ素人の障害者施設が「千年残る」という手法を試みるのだ。すでに準備段階で諦めてもおかしくはない状態だった。しかも、障がいのある人たちが技術を習得するには長い年月と手間と経費もかかるので、工賃になりにくいのは明らか。なぜ中原さんは、そこまでして和紙を諦めずに続けることができたのだろう?



簡単だから、お金になるから、ではない幸せのために

 「場所のハンディはここでのベストを工夫するしかないと思ったし、職人仕事を工賃にするのも相当難しいとわかっていました。確かに、わざわざ和紙の試作をして工程を分け、一人一人の準備をして、職員にとっても面倒だし、工賃が上がらなければモチベーションも保ちにくい。公園清掃の草取り作業に出かけたほうが、手っ取り早く工賃になって、職員も連れて行くだけだからずっと楽です。でも、簡単だから、お金になるから、って方向に流れてしまわないで、障がいのある人たちに自分がやりたいと思える、夢のある仕事をしてもらいたいんですよ」
 中原さんはそう言って、以前、工場見学に行った時の話をしてくれた。

 「その工場では、20代から50代まで何人もの障がいのある人たちが、ベルトコンベアの前で流れ作業をしていたんです。2時間同じ作業を繰り返して5分休憩、昼食を挟んで1日4クール、仕事が終わったら寮に帰る。それをずっと毎日。彼らは主任や現場監督になれるとか、そういう昇進や楽しみもなく何十年も同じ仕事を繰り返していくんです。もちろん、それでお給料をもらえるから幸せ、と思える人はいい。でも全員がそうでしょうか。上司の人に“何か従業員の楽しみになることはあるんですか?”と尋ねたら、“サッカークラブがあります”って。それって違うと思うんですよ」
中原さんの目には、従業員の人たちが幸せそうには見えなかったのだ。


 どうしても企業で働きたい人もいれば、企業の働き方についていけない人、お金にならなくても夢中になれる仕事がいいと言う人もいる。その人が幸せかどうかは、私が紙工部を訪ねた時に感じる「凛とした職人の誇らしさ」であったり、映子さんが言う「和紙をやりたい!と手を挙げてのめり込む姿」に現れるものではないだろうか。

 ここ数年、「ディーセント・ワーク」という、国際労働機関(ILO)が提唱した「働きがいのある人間らしい仕事」に対する考え方が、意識の高い障害者施設でも取り入れられるようになってきた。「2030年までの持続可能な開発目標」として「SDGs」の8番目の目標にディーセント・ワークが取り入れられたことも要因だろう。

 また、2021年3月から、43.5人以上の従業員がいる一般企業などに対する「障害者法定雇用率」が2.3%に上がった。国が「積極的に障がいのある人を雇用しましょう」と策を講じているが、現場では雇用のミスマッチや就職後の定着率の低さといった課題がある。数字だけ見ると、日本は先進国の中でも障害者雇用率は低いが、就職することが働き方の全てではないし、世の中には多種多様な働き方が増えている。障害者施設でディーセント・ワークが実現できていると思われる人たちにも、もっと目を向けてもらえたらいいのではという気がする。そこで、障害者雇用に行き詰まっている企業と何か新しいことができるかもしれないし、雇用率にカウントできる新たな仕組みのヒントだって見えてくるかもしれない。



伝統と福祉の連携で日本の職人技が継承できる

 和紙製品としては、水彩画作家の絵をプリントしたカレンダー、葉書、封筒などに加工して、保護者や関係者の間での評判は上々で注文が入っていた。しかし、技術が上達するに連れて和紙の在庫が積まれていくようになり、私は中原さんからの相談を受け、独自のブランドを立ち上げてもっと広く世に出していこうということになった。

 和紙の名前は「一越紙ひとこしかみ」。一越紙をつくる職人のみんなが施設の中にいるだけでなく、日本の和紙の価値を広く世界中に発信する立場になって、全ての和紙に関わる人たちの橋渡し役となれたらと考え、和紙作家やクリエイターの人たちに声をかけ、英訳付きのコンセプトブックとホームページを制作した。



 伊勢型紙を使って和紙に染めとりを施す京都の作家さん、和紙を自らの工房でレース状に透かして漉いてアクセサリーなどを制作する作家さんたちに、商品化のアドバイスや指導を仰いだ。どの方も一越紙を手に取ると、その制作姿勢と質の高さに驚き、快く協力をいただいた。名刺サイズの一越紙に一枚ずつ手回しで活版刷りをした「千年暦」と「千年名刺」は、ニューヨークのショップでも販売された。




 最近では、「江戸仕立て都うちわ千鳥型(通称:千鳥うちわ)」という制作技術を持つ最後の職人さんに、一越紙を使った千鳥うちわ50枚を制作してもらい、灯りのインスタレーション作品として布多天ふだてん神社(東京都調布市)神楽殿での展示が実現した。さらに、全工程を障がいのある方が受け持ち、一越紙で仕上げた千鳥うちわは、フランス・パリで展示販売されたり、イタリア・ミラノ在住の日本画家さんが作品にしてくださったりと、世界へ羽ばたいている。

 日本の職人技は、高齢化と後継者不足のために廃れているものが多いと聞く。いくら憧れるような技でも、生活を維持できる収入が見込めず、職人の世界には踏み込みにくいのだろう。だからこそ、生まれ持って細かい反復作業に集中して夢中になれる「職人的才能」を持った施設に通う人たちの存在を知ってもらいたいと思う。彼らの多くは、自閉症やアスペルガー症候群と診断を受けて障害者手帳を持ち、一定額の障害者手当を受け取っている。一般の人たちよりも少ない月数万円のお給料であっても、なんとか生活を維持できるという場合が多い。そういう意味でも職人技を継承できる条件が揃っている若者たちなのだ。


写真:河野涼(JAPANMADE)

 特別支援学校から施設に行った人たちは、その後、新しい仕事につながるような外の世界と触れることはとても難しい。もし、地域の伝統工芸と繋がって職人技を練習できる機会さえあれば、夢中になってはまる人たちはきっといるはずだし、日本が誇るべき職人技のいくつかは彼らに継承できていくのではないかと思う。
 このような伝統と福祉が繋がる「伝福連携でんぷくれんけい」が実現できれば、後継者問題を抱える伝統工芸職人とこだわりの強い障がいのある人と、双方の課題解決にもつながるのだ。

 「職人技を身につけるのは15歳からでは遅い」と聞いたことがある。昔は小学校を出た12歳くらいから職人のもとに丁稚奉公に行く子もいたのだから、その頃から身につけるのが良いのかもしれない。だからこそ、特異な才能のある子には、特別支援学校の中学部からでも職人技に触れる機会を持ってほしいなと願っている。

写真:藤田昂平


写真:奥村祥子


写真:刑部おさかべ友康ともやす


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ウェルフェア トリップ
福祉の場をめぐる小さな旅

羽塚順子
定価 1760円(本体価格1600円)
障がい者や社会的弱者たちが働き、暮らしている、各地の福祉施設や共同体を紹介する一冊。そこは、「一般社会と壁を隔てた向こう側」ではなく、地域に根付き地域と交流し合う「福祉的な場」。人間同士が支え合いともに生きるという本来の在り方を伝えます。




羽塚順子(はねづか・じゅんこ)

特別支援学級で障害児を指導後、リクルートでの法人営業などを経てフリーライターとなり、3000人以上を取材、執筆。2009年より社会的に弱い立場の人たちと共存する母性社会づくりをライフワークに取り組み、伝統職人技を自閉症の若者が継承するプロジェクトなどでグッドデザイン賞を3回受賞。
MotherNess Publishing


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