デザイン:五十嵐 傑(pieni) イラスト:ペカ

アノニマ・スタジオWebサイトTOP > もうひとつの日本を訪ねて。Welfare trip もくじ > 11 特定非営利活動法人あおぞら(新潟県新潟市/阿賀野市)

日常の生活から離れ、小さな旅をしたくなったら、私は福祉施設を訪ねます。
障がいのある人や、ひきこもって社会との接点がなくなった人、家族と暮らせない人などが通う所です。

「なぜ、そこに行くの?」と訊かれたら、お手伝いできる仕事があるかもしれない、ということを口実に、単純に、好きだから、行きたくなる、と答えます。

各地の施設を訪ねるようになって十数年、その数は300箇所くらいになります。
地域ならではの手仕事を、福祉施設と一緒にやっている方たちともお会いしました。
これまでに出会った、私が心惹かれた場や取り組みをご案内させてください。

福祉という切り口から見た、もうひとつの日本の風景。
ここで一緒に小さな旅をして、新しく出会う景色に思いを寄せていただけたら、嬉しく思います。

五頭山麓の湧水と越後杉から生まれるやさしい化粧品

11 特定非営利活動法人 あおぞら

(新潟県新潟市/阿賀野市)


五頭山の深い緑に囲まれたラベンダー畑とオーガニックコスメ工房

 JR新潟駅南口から車で市街地を抜け、道路の両側に広がる緑や民家を眺めながら、白鳥が飛来するという人造湖の瓢湖ひょうこを過ぎる約40分の道のり。
 五頭山ごずさんの山麓にある「あおぞらソラシード(以下、あおぞら)」まで、特定非営利活動法人あおぞら理事長の本多佳美ほんだよしみさんの運転で連れてきてもらった。
 「あおぞらソラシード」という愛らしい響きの名称には、「ソラ(空)」「シード(種)」「ド(土)」「ソラシド(上がっていく)」という、命の循環と可能性への想いが込められているという。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら


 五頭山周辺は林野庁の「森林浴の森日本100選」に選ばれ、近くには五頭温泉郷があり、キャンプ場も点在している。周辺の五頭連峰は一年中登山客で賑わう。そんな豊かな緑に囲まれた敷地にある「あおぞらソラシード」では、豊富に湧き出る五頭山天然水や越後えちご杉、ハーブなどを使ったオーガニック化粧品の製造と、キャンプやストーブで使うペレットなどの自然エネルギー資材の製造、農園作業に取り組んでいる。障がいのあるメンバー約30名が通う就労継続支援B型事業所(第2回参照)である。

 元は着物の展示会場だったという平屋建ての建物入口を入ると、向かい側にある大きなガラス窓越しにラベンダー農園が見える。数人が帽子をかぶってタオルを首に巻き、腰をかがめながらラベンダーをせっせと摘み取っている。
「昨日まで雨だったんですけど、雨が上がって暑くなったから絶好の農作業日和ですね」


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら


 建物の中へ案内してくれる本多さんを待ち構えていたかのように、「ねえねえ……あのね」と、玄関に立っていた背の高い青年が話しかけてきた。作業の途中で抜け出してきたのか、白衣と帽子をかぶったままの姿。本多さんは「うんうん、どうしたの?」と向かい合って話し相手を始める。

 本多さんに一通り話して気がすんだ様子で笑顔になると、「こっち、こっちだよ」と手招きして化粧品製造の部屋に案内してくれた。「はいはい、じゃあ、彼が案内してくれるので、行きましょうか」と、本多さんと奥に向かう。入り口から建物の右側半分は化粧品の小さな工場として改装されており、福祉施設ながらも新潟県で初めての化粧品製造業許可を取得している。ここで働くメンバーの人たちは、各部屋に入る前に白衣と帽子、マスクを身につけ、コンプレッサーを使って準備を整える。中の製造室では、化粧品の生産が可能だ。厳しい基準をクリアして、小さな一事業所からオーガニック化粧品の製造を展開できるようになった障害者施設は、全国でもとても珍しい。



写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

求められてつくる喜びが全てのメンバーの意欲につながる

 ガラス張りの製造室は、手前に小さな小瓶がたくさん並ぶ「試作室」。その隣にある「製造室」では、数人のメンバーがうつむいて黙々と化粧品材料の計量や瓶詰めの作業をしている。そのまた隣の部屋のドアを開けると、小さな「作業室」で2名のメンバーが座りながら箱に小瓶を入れる作業をしている。そして、もう一つの部屋は「蒸留室」。銅色の鈍い光を放つ管楽器にも似た形の抽出機を使い、越後杉のおがくずを詰めて湧水の蒸気を当て、オリジナルのリネンウォーター「熊と森の水」が抽出される。

写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら


 私が訪問する数日前、奈良県からオーガニックコスメの化粧品会社、株式会社クレコス(以下、クレコス)暮部恵子くれべけいこ会長と、ご子息である社長の暮部達夫くれべたつおさんが訪れたという。お二人の来訪にメンバーの人たちは大喜びだったそうだ。この暮部社長が「熊と森の水」をつくるきっかけとなり、化粧品製造に導いた立役者、事業を協業するパートナーでもある。

 本多さん曰く、「ちょうど今、有名なアーティストの方の商品をつくらせていただいているんです。この前、ご本人から励ましの言葉をいただいて、スタッフやメンバーと良かったねー!って喜んでいたところです。みんなのモチベーションが上がるし、こういうお仕事をいただけることが本当にありがたいです」


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 働くメンバーの人たちは、誰のためのどんな商品を自分たちが製造しているのかをよくわかっている。暮部さんが窓口となってオーガニックコスメのOEM製造の企画や営業を担当して、あおぞらに製造を委託。そしてここを訪れメンバーの指導もしてくれる。
 メンバーの人たちに「お仕事は楽しいですか?」と尋ねると、明るい顔つきで「楽しいです。最初は覚えるのが難しくて大変だったけど、頑張って覚えました」「仕事は好きです。頑張っています」「もっと仕事ができるように頑張りたいです」と、口々に向上心いっぱいの返事が返ってくる。

 ものづくりはできても、営業や企画、また民間企業と肩を並べるまでに専門性を高めたり、許認可申請などの手続きができずに諦めてしまう施設はとても多い。このようにパートナーがいて協業できる継続的な仕事があり、かつ信頼関係を継続できているのは素晴らしい。



あおぞら発、リネンウォーター「熊と森の水」の開発物語

 あおぞらでオーガニックコスメの製造を始めたのは、東日本大震災の直後、下請け仕事の激減がきっかけだった。かねてから「障がいのある人たちにも働く力はある。福祉の業界から社会に飛び出したい」との思いがあった本多さんは、下請けでなく自主事業を見つけようと、近くの障害者施設の知人と一緒に訪問した先が、クレコスの新潟直営店だった。その際に下請け作業で手元にあった越後杉の端材を持っていった。「この杉の木で石鹸箱をつくらせていただくのはいかがでしょう」と本多さんが提案したところ、暮部さんから「端材がたくさんあるのなら、蒸留してリネンウォーターにしたら面白いかも」とアイデアをもらった。クレコスは天然植物を蒸留する高い技術を持っていた。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 その日のうち、本多さんは奈良県のクレコス本社に杉のおがくずを発送して試作をお願いする。試験蒸留をした暮部さんも杉の香りと抗菌力に商品化の可能性を感じたのだ。試作を受け取った新潟で本多さんとスタッフは香りを確かめ、「蒸留器を購入すれば自主生産できるよね」と当時の理事長に確認を取り、あおぞら自前で50万円の蒸留器を購入。暮部さんから「メーカーになる覚悟はあるの?」と訊かれ、「はい! あります」と答えたことでスイッチが入った本多さん。広い土地でいつか事業所を開きたいと貯めてきた法人の自己資金と銀行からの借入金で、現在のあおぞらソラシードの土地購入に踏み切ったのだ。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 「実はメーカーになるって意味もよくわからなかったんですけど(笑)、福祉施設だからできませんって断るのは、どうしても悔しくて」
 その日から本多さんは、毎日のように暮部さんに電話やメールで質問を投げかけていったという。その全てに答えた暮部さんは、必然的にアドバイザーからプロダクト・マネージャーとなって、あおぞらに毎月1週間は指導に出向くようになった。クレコスでも福祉との協業を求めていた。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 越後杉と名水・五頭山の湧水を使ったリネンウォーターのブランディングは、同じ新潟市内で商店街の活性化やアートの日常をテーマに商品開発をプロデュースしていたhickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)のデザイナー迫 一成さこかずなりさんが担当することになった。暮部さんが地元デザイナーを探して白羽の矢を立てた迫さんは、偶然、本多さんと同じ大学の出身で知り合いでもあった。

 迫さんは「本多さんが福祉の現場から日本や社会を変えたいと言っていたので、面白そうだからお手伝いしたいなと思ったんです」と言う。大学卒業後に絵本づくりを学んだ迫さんは、ほのぼのとしたやさしいイラストを描く。コンセプト会議を重ね、あおぞらスタッフの希望を迫さんが聞きながら描いた、「熊と森の水」のパッケージロゴマークと「かわいい、たのしい、やさしい。」のキャッチフレーズは、そのまま絵本にもなりそうだ。

 「熊と森の水」が商品デビューしたのは2013年、東京ビッグサイトで開かれたギフトショーだった。偶然、私もその時、すぐ近くのブースで複数の障害者施設の人たちと展示に参加していた。その前から「新潟の施設は元気だよ」と評判だったが、本多さんたちが新潟の障害者施設のコラボブランド「special mix(スペシャルミックス)」として出展していたブースは、圧倒的な魅力とオーラを放っていた。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 小さな福祉施設が「メーカーになります」と宣言して、市場に出せる商品レベルに仕上げるのは、ほかの施設から見れば「無謀」かもしれない。本多さんの偉大な推進力はもちろん、暮部さんや迫さんをはじめ、志ある民間企業やクリエイターがプロジェクトチームとして一丸となって真剣に取り組んだ成果だと思う。

「あの子たちは鏡」教育実習先での言葉を実感した原体験

 車で送ってもらう移動中、前例のないことでも迷わず突破していける本多さんの原動力と原体験とも思える、印象深いお話を聞かせてもらった。
 本多さんが教育を学んでいた大学時代、大学附属養護学校に教育実習に行った時のこと。実習で担当したのは小学4年生の自閉症の女の子だったという。
 「担任の先生から、その女の子を見るように言われたんですけど、こだわりが強く知らない人に全く懐かない子で、私が近づくと逃げてしまうんですね。キャスター付きの椅子が好きで、ずっとそれで遊んでいて授業に参加できない状態が一週間以上も続いちゃって。いろいろ試しても全部拒否されて、悩みながらもどうしたらいいか全くわからなかったんですよ」

 その女の子がある日突然、教室から走って外へ飛び出していってしまう。本多さんは驚いて後を追いかけ、バス通りを走り抜けながらも女の子が無事だったところで捕まえて抱きしめ、安堵感からボロボロと泣き出してしまった。

 「ああ、無事で良かった!って心から安心して涙が出ちゃったんですけど、その時、どうしたら言うことを聞いてくれるかとか、授業に出させなくちゃとか、自分の中で余計な考えは全て削ぎ落とされて、とにかく無事でいてって気持ちだけだったんです」


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 その夜、本多さんは知恵熱を出しながら夢を見た。
 「夢の中で、その女の子がかわいい服を着て嬉しそうに電車に乗る様子を、私が駅のホームの陰から見守っていたんです。ああ、良かった、自分で歩いて電車に乗れるようになったんだって、とっても嬉しい気持ちになって、朝、目が覚めて彼女にすごく会いたくなったんです」
 翌日、実習先の教室へ行くと、女の子の方から本多さんに近づいてきてくれた。それもごく自然に。
 「本当に急に寄ってきてくれて、その子の体の緊張も何となくほぐれて動けるようになっていたんです。その時、今までに感じたことがないくらい、ものすごく嬉しくて。充実感というか幸福感で心が満たされて、ああ、これだ! 人間として一番大切なことって、これだよー!って自分の中で腑に落ちたんです。しっかりと思いを寄せていけば、心が通って返してくれる。担任の先生が実習の初めに、“あの子たちは鏡だからね”と言っていたんですが、“このことだったのか”と思いました」



 「自分が一番大切にしたいもの」を本多さんが掴み取った瞬間だった。
 担任の先生からは「よくやったなあ」と驚かれ、女の子の母親からは「何人も実習生の先生がきましたが、この子は毎回、緊張して打ち解けることができなかったんですよ。本多さんが初めてです」と言われた。

 その日から価値観が大きく変わってしまった本多さん。それまで周囲の女子大生と何気なく話していたおしゃれや化粧、流行の話題もすっかり色褪せて感じられ、自分の上辺を取り繕おうとするものに感じられてしまった。衝撃的な教育実習を終えてから大学の日常生活に馴染むまで、1、2週間かかったという。
 「きっと私、おばあちゃんになったら、縁側に座りながらこういう障がいのある子たちに囲まれて笑顔で過ごしているなと思ったんです」
 おばあちゃんになった時の幸せそうな姿まで思い浮かび、本多さんは自分が歩んでいく道を決めた。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

27歳で施設長に、楽しく働き暮らす施設と地域づくりにまっしぐら

 大学卒業後、本多さんはいろんな子どもたちと接する経験を積もうと学校相談員になるが、翌年、障がい者が働く小さな施設に誘われる。
 「おばあちゃんになる頃にと思っていたので時期はだいぶ早いけれど、いいかな」と転職。ところが、その施設は運営トラブルから閉鎖されてしまう。

 施設を利用していた障がいのあるメンバーたちが行き先をなくし、なんとかしてほしいと頼まれ、当時、施設で農園ボランティアをしていた近藤康市こんどうこういちさんと本多さんの二人で「障がいのある人たちが楽しく働ける施設を立ち上げますので」と協力者に頭を下げながら、ようやく立て直しを図る。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 ところが今度は、懇願していた保護者たちが「働くよりも居場所になる施設がいい」と離れていってしまう。再び残された障がいのあるメンバーのために新メンバーを必死で集めて新施設開所にこぎつけ、本多さんが施設長に就任したのは27歳の時だった。

 理事長となった近藤さんは父親ほど歳が離れていたが、二人で毎日のようにどんな施設にしていきたいか夢を語りながら、二人三脚で走り続けてきた。近藤さんは厳しい時もありながら「メンバーのためになることだけ考えてくれたら、あとは好きなようにやればいい」と、全幅の信頼を寄せて自由にやらせてくれた。本多さんとしても、近藤さんが施設外で働く現場を手配準備してくれていたので、やりたいことに注力できたと言う。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 2017年、近藤さんが亡くなられてからは、本多さんが理事長に就任している。
 「近藤さんが本当に素晴らしい方だったので、私一人になってどうしたらいいか、しばらくは途方にくれました。苦手な現場づくりを自分でやらないとならなくて、若手の育成もしていますが難しいですよね。いまだに試行錯誤してます」

 本多さんの車で、元温泉施設を丸ごと提供してもらって開設した生活介護施設「熊と森の湯」と、上古町商店街(新潟市)にある就労継続支援B型のチョコレート専門店「久遠チョコレート新潟」、そして、同じ商店街にある、あおぞらのデザインやイラスト担当の迫さんのお店にも連れていってもらった。



 車で案内してもらう間、何度も本多さんの携帯電話に着信が入った。その度に本多さんは携帯の向こう側の相手に、丁寧かつ真剣に話をしていた。車を神社の駐車場に停めて20分ほど話し込むこともあった。
 「すみません、何度も電話ばっかりかかってきて。ちょうど今、行政の新しい担当者にどうしてもわかってほしいことがあって、ちゃんと説明しないといけないなと思っていて」と、電話の内容について話してくれた。私としては、お忙しい中で案内いただくのが申し訳ない気持ちだった。と同時に、障がいのあるメンバーにも、スタッフにも、電話の相手にも、「あとでまた」とは濁さず、まっすぐ誠実に話す本多さんの姿を見て、日々の出来事一つひとつに手を抜かず、真剣に向き合うことの連続で相手を動かし、着実に物事を前に進めていく人なのだと感じられた。


写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

 ここ数年、本多さんは地域の異業種の人たちと学習会や交流会を開き、福祉で地域を楽しくする活動に取り組んでいる。ご自身が思い描く「障がいのある人たちが、楽しく働き、楽しく暮らす」ことが実現できる地域づくりに向かって突き進んでいる。
 きっと、おばあちゃんになる頃には、本多さんを慕うたくさんの人たちに囲まれて笑顔で過ごしていることだろう。そして「新潟の福祉は、本多さんが引っ張ってきてくれたから、こうして楽しく働き、暮らすことができるんだよね」と、言われている気がする。



写真提供:特定非営利活動法人 あおぞら

写真:著者


<<連載もくじ はじめに>>




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福祉の場をめぐる小さな旅

羽塚順子
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障がい者や社会的弱者たちが働き、暮らしている、各地の福祉施設や共同体を紹介する一冊。そこは、「一般社会と壁を隔てた向こう側」ではなく、地域に根付き地域と交流し合う「福祉的な場」。人間同士が支え合いともに生きるという本来の在り方を伝えます。




羽塚順子(はねづか・じゅんこ)

特別支援学級で障害児を指導後、リクルートでの法人営業などを経てフリーライターとなり、3000人以上を取材、執筆。2009年より社会的に弱い立場の人たちと共存する母性社会づくりをライフワークに取り組み、伝統職人技を自閉症の若者が継承するプロジェクトなどでグッドデザイン賞を3回受賞。
MotherNess Publishing


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