デザイン:五十嵐 傑(pieni) イラスト:ペカ

アノニマ・スタジオWebサイトTOP > もうひとつの日本を訪ねて。Welfare trip もくじ > 07 るんびにい美術館/社会福祉法人光林会(岩手県花巻市)

日常の生活から離れ、小さな旅をしたくなったら、私は福祉施設を訪ねます。
障がいのある人や、ひきこもって社会との接点がなくなった人、家族と暮らせない人などが通う所です。

「なぜ、そこに行くの?」と訊かれたら、お手伝いできる仕事があるかもしれない、ということを口実に、単純に、好きだから、行きたくなる、と答えます。

各地の施設を訪ねるようになって十数年、その数は300箇所くらいになります。
地域ならではの手仕事を、福祉施設と一緒にやっている方たちともお会いしました。
これまでに出会った、私が心惹かれた場や取り組みをご案内させてください。

福祉という切り口から見た、もうひとつの日本の風景。
ここで一緒に小さな旅をして、新しく出会う景色に思いを寄せていただけたら、嬉しく思います。

ありのままの「命の声」を表現する文化と福祉の地域拠点

07 るんびにい美術館/社会福祉法人光林会

(岩手県花巻市)


作家や世界的スターを生み出したイーハトーブの地へ

 JR東北新幹線の新花巻しんはなまき駅に降り立ち、ホームから階段を下りる。田畑が広がる中に建つ新幹線専用の駅舎。東日本大震災後、この駅を経由して何度か岩手県内の福祉施設に向かった、懐かしい風景だ。

 駅の観光案内所の奥にある展示室を覗いてみると、蛍光灯に照らされたいくつものガラスケースの中に、野球選手の写真やユニフォーム、サインボールが所狭しと並んでいる。それを見て、メジャーリーグで活躍する大谷翔平おおたにしょうへい選手と菊池雄星きくちゆうせい選手が、花巻東高等学校出身だったと気づいた。




 訪れた日は強い真夏の日差しが照りつけていた。駅前からタクシーに乗りこみ、窓越しに流れていく青々とした田んぼの風景を眺め、ここから旅立った若きメジャーリーガーに想いを馳せてみたり、作家・宮沢賢治が過ごしたイーハトーブの地、詩人で芸術家の高村光太郎が疎開していた地に来たことを噛みしめたりしながら、ゆるいカーブが続く道を抜けていく。
 年配のタクシー運転手の男性に「るんびにい美術館」について尋ねると、「うんうん、るんびにい、知っでる。おらが行ぐと、喜んで声かげでぐっ子がいんだ(自分が行くと、喜んで声をかけてくる子がいるんだ)」と、ほっこりする岩手なまりで、顔見知りの子がいることを話してくれた。

 商業施設のある大通りに出て、るんびにい美術館に到着。タクシーを降り、道路を挟んで美術館のすぐ向かい側にある、花巻東高等学校の校門前まで歩いてみた。スポーツバッグを持つ高校生たちが行き交い、白い校舎前には大きな垂れ幕が誇らしげになびいている。



 るんびにい美術館に戻り、ちょうど開館時間の10時。今日はここを見学させてもらい、午後は、美術館のアートディレクターである板垣崇志いたがきたかしさんの講演会が行われる花巻市文化会館に向かい、お話を伺う約束をしている。




カフェとアトリエが併設された、美術館という名の福祉施設

 美術館の外観は、道路側から見える2階部分に水色の文字で「るんびにい美術館」と描かれている。これは創作メンバーの小林覚こばやしさとるさん(以下、サトルさん)と、ごく一部の人だけにわかるアート文字。読解は難しい。入口から中に入ると、足元に焼き物の陶器オブジェや人形、花瓶などが並んでいる。
 


 るんびにい美術館を運営する社会福祉法人光林会は、1988年、陶芸作家の協力を得て、新日鐵しんにってつ釜石(当時)の中古耐火煉瓦を譲り受け、手づくりの薪窯「一灯窯いっとうがま」に火を入れ、知的障がいのある子どもたちと陶芸活動を始めた。この火が創作へのともしびとなり、数多くの陶芸作品を生み出している。次第に織物や絵画などの表現へと広がり、板垣さんの参加によって2007年、「るんびにい美術館」開設へと実を結んだ。

 ここは、美術館という名の福祉施設になっている。カフェとベーカリーは、障がいのある人たちが働く就労継続支援B型事業所(第2回参照)。階段を上った2階は、創作活動のためのアトリエ「まゆ~ら」という生活介護の通所施設だ。一般公開もされているが、残念ながら新型コロナウイルス感染が懸念される時期だったので、メンバーの方々の創作現場との触れ合いは次の機会に見送ることにした。
 2階で生まれ出る数々の作品は、アトリエや1階のギャラリーで展示されている。



 1階は左右に展示スペースが分かれ、中央に作品関連グッズの販売スペース、その奥がカフェとベーカリーになっている。この日は、 八重樫季良やえがしきよしさん(以下、キヨシさん)の企画展が開催され、圧倒されるほど鮮やかな色彩と鋭角な直線が際立つ作品が並んでいた。


八重樫季良「無題(家)」_2012年_1206×1530mm_利根山トリエンナーレ出品
写真提供:るんびにい美術館

 キヨシさんは2020年、64歳でその生涯を閉じられたが、ご本人の等身大パネルが笑顔で出迎えてくれる。ご家族やアトリエの仲間との写真、そして作品には、板垣さんの丁寧な文章で綴られた紹介と、人生の軌跡を振り返るパネルが何枚も添えられている。板垣さんのキヨシさんに対する温かなリスペクトと、日々の作品づくりを通して育まれてきた二人の友情が伝わってくる。



 昭和時代にあった「義務教育免除」という制度のもと、キヨシさんは知的障がいがあることで小学校に通うことができなかった。家にいた子どもの頃のキヨシさんは、妹が学校から持ち帰った定規やクレヨンを借り、絵を描き始める。11歳から入所施設で暮らすようになるが、よほど絵を描きたかったのだろう。農作業中心の日々の合間を縫って、周囲の理解も時間も画材もほとんどない中、黙々と絵を描き続けてきたという。



 展示スペースと壁を隔て、隣にあるカフェスペースに入り11時ちょうどに席に着く。すると、女性客が次々と訪れ、あっという間に16席ほどのこぢんまりとしたカフェは、ほぼ満席になってしまった。地元素材を取り入れたメニューがあるかを尋ねると、「はい、カレーは花巻の農家さんのトマト、ドリアは釜石で獲れた魚介、スパゲティも花巻産の野菜を使っています」と、どれも地元産にこだわっていた。
 ドリアを注文して、サラダとスープ、デザートまでとても美味しくいただいた。



ありのまますぎるほど個性豊かな、作家と作品の止まらないエピソード

 ランチ後、2キロほど離れた花巻市文化会館に向かう。
 建物の中に入ると、吹き抜けのホールの壁際にある、サトルさんのアート作品のカッティングシートでラッピングされた、ポップな「旅するピアノ」が目に飛び込んでくる。正面から2階に上がる階段の先には、宮沢賢治の特大写真。この会館は賢治が生前に教鞭を執った農学校の跡地に建てられている。1階のギャラリー会場の入口では、キヨシさんの大きな作品が「ようこそ!」と言わんばかりに明るく出迎えてくれる。



 会場に入っていくサトルさんとご両親らしき3人の姿を発見した。ついて行くと、サトルさんは会場の一角の小さな机に向かい、お行儀良く椅子にちょこんと腰かけた。
 サトルさんのお母様が、手提げかごの中から 色紙しきしを1枚取り出して渡すと、サトルさんは迷わずピンク色のマジックペンを選び、キュキュッとリズミカルな音をたて、文字を手早く描き始める。色紙からはみ出すほど勢いよく線を伸ばしながら、瞬く間に色紙は作品となる。
 これは、紙に書かれた人の名前を見たサトルさんが、自分の脳内で文字変換をして色紙に描く「逆サイン」なるものだ。



 サトルさんを囲んで覗き込む人たちが、驚きの表情に変わり、「わー! すごいー!」の歓声と共に、「私も描いてもらっていいですか?」「私も!」と矢継ぎ早にリクエストの声がかかる。サトルさんは全く動じず、人差し指で宙に文字を書く仕草を繰り返しながら、名前の紙を横目で見ては色紙にペンを滑らせ、クールな表情のまま、リクエストに応えていく。

 そんな中、板垣さんのギャラリートークが始まった。
 板垣さんはマイクを手に、ギャラリー内に展示された作家の作品と紹介パネルの前に立ち、一人ずつの解説をしていく。サトルさんの順番が来ると本人を作品の前に手招きして「これは、サトルさんが大好きなスピッツの歌詞を描いた作品ですよね?」と話しかける。サトルさんは軽くうなずいて、板垣さんの横で床にあぐらをかいて座ってしまった。板垣さんは「あ、座っちゃうんですね。ま、こんなふうにいつもサトルさんは自由なんですよ」と自身も腰を落とし、作品の説明を続ける。



 「こちらの作品は、サトルさんがビートルズの『レット・イット・ビー』の歌詞を描いて、有名な商業施設に飾られました。東京の有名百貨店からは、キャッチコピーのグラフィックデザイン化の依頼もあるほど、サトルさんは売れっ子なんです。今、世の中で求められているということだと思います」



 一人ひとりの作家紹介をしながら、ひたすら丸く切った画用紙にカラフルな色を同心円のように塗った絵画の紹介に移る。
 「これは、佐々木早苗ささきさなえさん(以下、サナエさん)の作品です。サナエさんはマイペースで、意志の強さがすごいんです。一つの仕事に数ヶ月から数年集中するんですが、創作中にうとうとと眠ることが増えて、飽きてきたのかな?と思うと、突如パッと次の仕事に移行します。“のめり込む・やめる”のサイクルを繰り返し、のめり込むとあまりにすごい作品ができて、パリの美術館でも展示されました。今のこのような丸い画用紙の絵も、ある日突然、描かなくなる日が来ると思います」



 そして、無数の切れ目がある丸めた木綿糸玉の作品。これは、販売用の草木染めの毛糸を球状に巻き取る仕事を担当していた似里力にさとちからさん(以下、チカラさん)が、つなぎ目の糸を結ぶ面白さに目覚め、こっそりと毛糸を切るイタズラから始まった。



 「チカラさん、売り物だから、切っちゃだめ!」職員が何度注意しても、チカラさんは「ごめん、ごめん」と謝りながら、全くやめる気はない確信犯だった。「切って・結ぶ」行為を諦めない姿に根負けした職員が、「もう好きにしていいですから」と折れた途端、チカラさんは恐るべき細かさで大量の結び目をつくるようになった。細かすぎて最初のひと玉を完成するのに1年もかかったそうだ。その後は作業工程を分けて効率を上げ、今では3ヶ月にひと玉のペースで「切って・結ぶ」の作品づくりを繰り返している。


写真提供:るんびにい美術館

 板垣さんは、それぞれの作家の才能を慈しむように、温かな眼差しで作品のエピソードを次々と語っていく。話題は尽きない。アトリエでの創作活動の日々がいかに豊かな時間か、光景が目に浮かんでくる。
 るんびにいの作家たちは、人が何の制約も指示もなく、命が求めるまま、ありのまま自由に表現をすると、どれほどエネルギーが溢れ出てくるか、その素晴らしさを教えてくれる。そして私たち凡人は、様々な制約や常識や社会性や思い込みに、がんじがらめになって、ありのままの自分を表現できなくなってしまっていることに気づかされるのだ。


写真提供:るんびにい美術館

 もちろん、本人たちは教えようなんて気はさらさらなく、作品という意識すらなく、素のままでマイペース。好きでつくったお気に入りのものが、なぜ自分の手から離れ、壁に飾られなければならないのか、怒り出す人もいる。もちろんそのような場合は、どんなに素晴らしい作品であっても作者の意思を尊重して門外不出にする。

壁があった時代から、全国区のアーティストとして地域で認められる時代へ

 板垣さん自身は、るんびにい美術館の立ち上げに関わる前、ほぼニート状態だったという。地元で生まれ育ったが、子どもの頃から人との関わりが苦手だったそうだ。人間の脳と心の関係を知りたくて、東京の大学で神経心理学について学び、研究室に残る予定だったが、教授とソリが合わずにやめ、好きな美術を学び直そうと、実家に戻って大学に再入学して銅版画を学んだ。
 その後、個展などを開き「自称美術家というフリーター」だったところに、ご近所の光林会から声をかけられ、福祉施設のアルバイトから入り、るんびにい美術館の立ち上げに誘われた。
 「僕も子どもの頃は、るんびにいの人たちと直接話す機会もなく、変な子たちがいるとしか思わなかったんです。それが、中に入って一緒に過ごしてみたら、ごく自然に、本当にいい友達になれたんです」


写真提供:るんびにい美術館

 そしてキヨシさんとの友情については、こんなふうに振り返った。
 「彼は一生のほとんどを施設で過ごしていたわけですが、2、3日に1枚のペースで作品を描き続け、いつもポジティブなエネルギーに満ちていました。自分自身を信頼して自立しているからこそ、どんな人に対しても上下関係はなく、誇り高く、誰かの評価に依存するなんてこともなく、全てを肯定的に捉える、魂のスケールがでかい人でした。短気で、言葉は不明瞭で、会話は成り立たないんですけど、実はキヨシさんに僕たちが見守られていたんだなと、いなくなってから、そのことを実感したんです」


〈第2回利根山光人記念大賞展ビエンナーレ・きたかみ〉にて(2004年)
写真提供:るんびにい美術館

 かつて、地域の中では、知的障がいのある人たちは「るんびにい」と呼ばれ差別されていたことにも触れた。
 「僕自身も過去に偏見があったように、30~40年前は、畑で野菜をつくって市内に売りに行くと“るんびにい(障がい者)がつくった野菜だ”と、全く相手にされず売れなかったと聞いています。それが今では、こうして市の文化会館で美術展を開催し、るんびにいアートのまちづくりにしようと石鳥谷町(花巻市)の商店街のアートフラッグになり、まちで認められなかった人たちが、まちを活気づけるエネルギーを送っています。この素晴らしいエネルギーは昔からあったのに、避けられてきた。ようやく気づいてもらえたんです」

 こうして花巻市内でるんびにいアートの力が一気に認められるようになった背景には、「『ヘラルボニー』の存在もとても大きかった」と板垣さんは言う。
 クリスマス前のJR花巻駅の駅舎を丸ごとキヨシさんの絵でラッピングしたり、サトルさんの絵で釜石線を走る電車のラッピングをしたり、建築工事中のビルを仮囲いする大きな白い塀をアート作品のミュージアムにしたりと、「ヘラルボニー」は障がいのある人をアーティストとして世に放ち、アート作家としてのライセンス事業を成り立たせた会社だ。


写真提供:るんびにい美術館

 株式会社ヘラルボニーは、岩手県金ケ崎町出身で自閉症の兄を持つ双子の兄弟、松田文登まつだふみとさんと崇弥たかやさんが、るんびにい美術館を訪れて感激したことをきっかけに、板垣さんに事業計画を提案して立ち上げたという。それぞれのアート作家の一つのこだわりが、ルーティンとなって絵柄になっていく特徴を活かし、松田さんたちの若い感性で様々な美しいプロダクトとして表現されたり、ファッションブランドや企業、全国の自治体とのコラボなどを実現し、るんびにいの認知を県内外で大きく加速させた。

 地元行政もるんびにいに対しての意識が変わり、また作家や家族の人たちにも大きな喜びをもたらした。サトルさんのご両親は喜びをかみしめていた。
 「なんだか、いきなりサトルがアーティストだなんてね。しかも高級品として高い値段で販売するって商品を見た時は、びっくりしました。障がい者の作品って、安く販売して、それをお情けで買ってあげようみたいになりますけど、センスのいい立派な作品になっていて。今までずっと“変な子”とか、“子育ての失敗”みたいに言われてきたのが、今の状況は夢のようで、幸せです」


写真提供:るんびにい美術館

出会いには力がある。出会わなければわからないし、理解できない

 板垣さんは、サトルさんが講師となる出前授業にも取り組んでいる。中学校の授業を通して、命の言い分を伝え、「疎外」ということに向き合い、子どもたちに変化を起こす「であい授業」と呼ぶ、50分間の試みだ。

 「最初は、サトルさんが変な動きをしたり声を出したりしているので、“見知らぬ障がい者”として、“あの人、私と違う”という目で中学生たちは見るんです。まず、その意識を本人たちにちゃんと自覚してもらってから、サトルさんのご家族が話す映像を流します。サトルさんの小さい時のこと、釜石の実家が被災して流されたことも語られ、中学生たちはサトルさんの背景を知るんですね。一人の人として、家族がいて、それぞれの思いと日常があることがわかる。音楽好きなサトルさんが、歌詞を描く作品も見てもらいます。すると、中学生は“障がい者のあの人”から、“サトルさん”と名前を呼ぶように変化して、“サトルさん、私の名前を描いてください”と、目を見てお願いするようにまで変わるんです」


写真提供:るんびにい美術館

 声を上げてしまったり、ちょっとおかしな行動をしてしまう様子を見かけると、必要以上に怖がって「あの人、変な人」とレッテルを貼り、避けてしまう理由は、「知らないから」にほかならない。子どもの頃から障がいのある人たちに出会って知り、理解できるような機会がないからだ。本人としては、頭の中で想像していることが膨らんで身体が動いてしまったり、自分の声が響くのが面白くて大きな声を出してしまったりと、ごく自然な行為だったりする。その理由さえわかれば、何ら怖がることでも、避けることでもないのに。

 だからこそ、「出会いには力がある」と板垣さんは言う。小中学生のうちから、障がいのある人の背景を含めて出会うことや知ることは、相手を理解しよう、言い分に耳を傾けよう、とする思いやりが生まれることにつながる。
 そして、板垣さんが伝えていきたいのは、「全ての命に言い分があるということ。そして、社会にその声を聴き取る力をつけてほしい」ということだ。


写真提供:るんびにい美術館

 板垣さんのお話を聞きながら、車で新花巻駅まで送っていただいた。
 たくさんの子どもたちが「であい授業」を体験して、自らの心の中の疎外に気づき、命に線引きはないことを理解して、障がいのある人たちへの心の垣根がなくなってくれることを願い、夕陽色に染まる新幹線の駅舎から花巻を後にした。


写真:著者


<<連載もくじ はじめに>>




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福祉の場をめぐる小さな旅

羽塚順子
定価 1760円(本体価格1600円)
障がい者や社会的弱者たちが働き、暮らしている、各地の福祉施設や共同体を紹介する一冊。そこは、「一般社会と壁を隔てた向こう側」ではなく、地域に根付き地域と交流し合う「福祉的な場」。人間同士が支え合いともに生きるという本来の在り方を伝えます。




羽塚順子(はねづか・じゅんこ)

特別支援学級で障害児を指導後、リクルートでの法人営業などを経てフリーライターとなり、3000人以上を取材、執筆。2009年より社会的に弱い立場の人たちと共存する母性社会づくりをライフワークに取り組み、伝統職人技を自閉症の若者が継承するプロジェクトなどでグッドデザイン賞を3回受賞。
MotherNess Publishing


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