デザイン:五十嵐 傑(pieni) イラスト:ペカ

アノニマ・スタジオWebサイトTOP > もうひとつの日本を訪ねて。Welfare trip もくじ > 06 農事組合法人共働学舎新得農場(北海道川上郡新得町)

日常の生活から離れ、小さな旅をしたくなったら、私は福祉施設を訪ねます。
障がいのある人や、ひきこもって社会との接点がなくなった人、家族と暮らせない人などが通う所です。

「なぜ、そこに行くの?」と訊かれたら、お手伝いできる仕事があるかもしれない、ということを口実に、単純に、好きだから、行きたくなる、と答えます。

各地の施設を訪ねるようになって十数年、その数は300箇所くらいになります。
地域ならではの手仕事を、福祉施設と一緒にやっている方たちともお会いしました。
これまでに出会った、私が心惹かれた場や取り組みをご案内させてください。

福祉という切り口から見た、もうひとつの日本の風景。
ここで一緒に小さな旅をして、新しく出会う景色に思いを寄せていただけたら、嬉しく思います。

自然と人との共鳴から生み出される世界最高峰のチーズ

06 農事組合法人共働学舎新得農場

(北海道川上郡新得町)


福祉の制度に依存しない開かれた共存の場で


 北海道南部に連なる日高ひだか山脈の裾野の町、北には大雪山だいせつざん連峰、南東には十勝とかち平野が広がる新得町しんとくちょう。JR新得駅を降りて車に乗り、時折小さく自己主張する「新得しんとく農場はこちら」という木の看板を横目に15分ほど走ると、道路脇に白樺林が広がってくる。道路の反対側は青々しい平野の中に職員の宿舎らしき平板のログハウスが見え、その先にある駐車場で車を停めて降りる。
 高い青空から夏の終わりの日差しが注がれ、辺り一体の緑が眩しい。手入れがされたハーブの花が咲くビオトープガーデンの向こうでは、ゆったりと数頭の黒い羊が草を食んでいる。



 駐車場近くにある円形の赤い木造の建物は、アイヌ語で「広場」「人の行き交う場所」を意味する「ミンタル」というレストランだ。ミンタルの奥には、黒く塗られた木造りの外観に、逆三角形のフォルムにデザインされた白い柱が映える「カリンパニ」という、観光客がチーズやバターづくりを体験できる新得町都市農村交流施設がある。カリンパニはアイヌ語で「エゾヤマザクラ」を意味している。



 ここ、農事組合法人共働学舎新得農場(以下、新得農場)は、1978年の立ち上げ時から、多様な人たちが酪農や農作業に取り組みながら共同生活をしている。身体や心にハンディを持つ人、居場所が見つけられない人、被災した親子、そのような人たちと生きたいという人もやって来る。また、チーズづくりや野菜づくりを学びたい若者など、希望して申し込んできた人たち老若男女70名ほどが住んでいる。
 3ヶ月は寮費と食費も無償だが、その後は働く意欲があれば生活費もプラスで支給される。全国でも珍しく、福祉の制度に依存せず、高品質なチーズを製造販売することによって、組合法人がNPOに労働委託の業務契約をするという形の組織で運営されている。



 私がここを訪れるのは2回目になる。前回は2015年の雪が降り積もる季節、チーズ職人の見習いに来ていた若い女性の部屋に宿泊させてもらった。同じ頃、ボランティアで海外から一般男性と、男子学生2人も来ていた。その学生には全く日本語が通じなかったけれど、彼らは何の違和感もなく溶け込んで淡々と働きながら、聖書を手に食卓を囲んでいた。
 そんなふうに、新得農場には世界中から様々な人たちが、職人修行や体験にやって来る。



 前回の訪問時、雪の新得農場をぐるりと見学させてもらった。おいしいチーズになる乳を出してくれる黒い大きな瞳のブラウンスイス種の子牛、牛舎での世話、1日2回、早朝と夕方に行われる牛の搾乳、チーズができる工程など。
搾乳室で搾られた乳は、できるだけ動かさず、空気に触れる時間を短く、新鮮な状態のままで隣のチーズ工房に移され、速やかにその日のうち加工に取り掛かる。



 チーズ工房の地下に降りて行くと、冷んやりと一定の低温度と高湿度に保たれた、石造りのチーズ熟成庫がある。建物の床下には炭が埋められ、釘を1本も打たず、札幌軟石なんせきとレンガと木材だけで造られているという。
 釘を打たないのは、鉄を使うと空間のマイナスイオンが鉄を通して抜けてしまい、チーズの熟成をしにくくしてしまうからだ。


撮影:著者

 炭を埋める理由は、乾電池の中の炭素棒がプラスの働きをする原理を応用しているから。地中に埋めた炭が熟成庫内にマイナス電子を放出するので、空気中の水分子がマイナスイオンで覆われる。チーズも発酵しながら呼吸してマイナス電子で覆われているため、マイナス同士が反発して結露が起こらない仕組みなのだそうだ。
 木の棚に並ぶ丸いハードチーズたちは、人の手によって繰り返し磨かれながら、ゆっくり発酵が促され、美味しく育っていく。


撮影:著者

 新しい牛舎も地中に炭を埋め、木造で建てられていた。
 新得農場では「バイオダイナミック農法」と呼ばれる、農場内の生き物も土も人もすべてが自然の摂理に沿って循環する考え方を取り入れている。乳を搾る牛の糞を土の肥やしにして、野菜や牧草を育て、それを生活している人や牛がいただく。
 また、月の満ち欠けや太陽の光の微妙な変化にも考慮しながら、肥料の作り方や施すタイミング、種まきや収穫の時期、チーズをつくる日や種類など、全てを大自然のリズムに合わせているという。



仕事はその日にやりたいことを自分で選んで宣言

 新得農場に住む人たちと食堂で食事を共にして驚いたのは、朝食時、順番に一人ずつ、午前中に自分がやる仕事を声に出して宣言し、昼食時も同様に午後やる仕事を宣言する、という習慣だった。「私はみんなの昼食の準備をします」とか、「私は牛の世話をします」のように、自分で仕事を選ぶ。そして夕食時には「私は今日、午前中に畑を耕して、午後はチーズを磨きました」など、その日にやった仕事を全員が報告をする。



 誰かに指示されているわけでなく、自主的に選んで取り組むので本人もストレスが少ない。しかも、仕事の采配や責任は自分にあるので、たとえ一言であっても報告する姿は誇らしげに見える。複数の人が同じ仕事を選んで重なってしまっても、そこではベテランの人が慣れていない人に教えるなどして、その場で役割と新しい関係性が生まれるようだ。

撮影:著者

 中には「今日はやりません」という人もいる。休むという選択も体調が悪ければ仕方がないことだし、それを責める人はいない。でも、仕事をサボりたくて休んでしまうと、自主的に働く人たちと食事を共にしにくい雰囲気になる。結局、本人の居心地が悪くなり、働いている方が楽しく過ごせることに気づく。
 自主的に選んだ仕事と報告を声に出すというだけで、それぞれの自己肯定感を満たすことにつながり、これほどまでコミュニティの自治に効果を発揮するものなのだと、その場で食卓に座りながら、とても新鮮な気持ちになった。


撮影:著者

教育の手が届かない子たちに「自労自活」の学舎を

 そんな前回の訪問からこれまでの間、新得農場の代表である宮嶋みやじまのぞむさんに、大きな事件が起こった。
 宮嶋さんは事業家であり、酪農家であり、研究家であり、365日24時間、新得農場のメンバーの父親のような存在でもある。創設からこれまで、新得農場のためにずっと走り続けてこられた。


 2017年、宮嶋さんがチーズの師として技術を学んでいたジャン・ユベール氏(フランスチーズAOC)を訪れたフランスの空港で、突然意識を失い救急車で運ばれたのだ。すぐに脳血栓の治療を受けたが、半身に麻痺が残り、息子さんが迎えに来て日本に帰国後、リハビリを続けて来られたという。

 お目にかかるまで不安だったが、カリンパニの建物の中から扉を開け、杖をつきながらもテラスをしっかりした足取りで歩いて来てくださった姿と笑顔を見て、少しほっとした。


「もう随分と良くなりましたよ。娘には、相変わらず口が達者だから身体はそれくらいでちょうどいいわって、笑われますけどね。あははは」と、変わらない明るい笑い声。 周囲の人を心配させてしまうようなことは決して口にはされない。

 宮嶋さんはフランスに発つ直前まで、ほとんど寝ずに仕事をされていたそうだ。その30年前の牧場開拓当初も、チーズ事業を軌道に乗せようと、億単位の借金を返済しながら、責任の重圧と過労から心臓発作で3回も倒れられたと聞いている。



 全くのゼロベースから大きな借金を抱え、ハンディがある人たちとの仕事としてチーズづくりをスタートさせ、彼らと「取っ組み合うような生活」を共にしながら、福祉制度の恩恵を受けず、世界に高く評価される品質と売り上げにまで育てた宮嶋さん。これほどの気力と情熱は、どこから湧いてくるのか、その原点はどこにあるのだろう。



「僕は子どもの頃、すごくやんちゃで負けず嫌いで、その頃と本質は変わっていません。4人兄弟の長男だったけど、1人の年上の従兄弟とその家族が一緒に住んでいて、6人兄弟の二男みたいな感じで育ってね。いつも従兄弟と弟とつるんでいました。中学に上がる時、父の言うことをきかずに反発しちゃって、中学から高校は自由学園の寮に入っていましたから、父とほとんど話をしなくなったんですよ」

 自由学園(東京都東久留米市)とは、「自労自治」の精神で独自の教育を実践するキリスト教の私立一貫校。生徒たちは寮生活を中心に、自ら考え、自らの手で生きる力をつけ、自給自足に近い体験を積んでいく。
 宮嶋さんの父、宮嶋みやじま眞一郎しんいちろうさんは、自由学園で人望の厚い英語教師だった。目が不自由になり、50歳で教員を退職後、宮嶋家の故郷である長野県小谷村で、1974年、最初の「共働学舎」を立ち上げたのだ。


撮影:著者

 眞一郎さんは、「いちばん教育を必要としている者に手が届かなかった、身体や精神に不安がある子どもたちに、今現在持つ自分の力で生きていける、共に汗を流して働く学舎まなびやをつくりたい」との思いを持って、自由学園に倣い「自労自活」の理念を掲げ、全国に共働学舎を立ち上げようと寄付を募っていた。今では長野、北海道、東京の合わせて5カ所で活動している。


ゆっくりなペースの人たちと本物のチーズづくりを目指して

「父は、自由学園ではカリスマの、みんなから素晴らしいと評価される正義の人でした。でも僕は、父の力ではない自分の実力をつけたかったんですね。父に反抗してから高校時代にかけて、父と顔を合わせないよう、夏休みは学生寮から家に帰らず岩手の牧場で住み込みのアルバイトをして、酪農を経験しました。父は、心を閉ざした子どもたちが動物と触れ合う場をつくりたいと言っていたので、じゃあ、それを僕は自分なりにやるから時間がほしいと、アメリカのウィスコンシン州の農場へ働きに行き、働いたお金で大学の畜産学部で学んでいた時、父が“北海道新得町から30haヘクタールの牧場だった土地を無償で借りた”と言うので、日本に戻ったんです」


撮影:著者

 宮嶋さんはアメリカに渡る前に婚約をした、共働学舎の開拓志願者の京子さんを妻に迎え、家族と仲間との6人で新得を開拓。水道も電気もない状態の土地で、牛6頭と工事現場を解体したプレハブをもらって、自分たちの手で牧場をつくり上げていった。
 当初は地元の農協会員になれず、生乳が思うように出荷できなかったので、無駄にしたくない一心でチーズやバターの加工を始めたという。


撮影:著者

「父が集めた寄付金があったので、ありがたくいただいて、でもそれは目先の生活でなく生産設備に投資させてもらいました。僕は商品価値を品質に絞って生産の仕組みをつくるべきと思ったんです。社会的に弱い立場にいる、ゆっくりなペースだけど、手作業は身体と時間を使ってじっくりできる人たちと働くのには、手間暇をかけられることを付加価値にできる発酵食だと考えました」

 宮嶋さんは、アメリカで見てきた規模を拡大させようとする牧場経営を反面教師に、また、父の眞一郎さんとは違う自分のやり方で、ゆっくりな人たちが牧場で生活をしていくため、他の牧場や企業が決して真似できない、手仕事の高品質を目指すことに焦点を絞った。


撮影:著者

「日本の風土は、湿度が高く豊かな植生環境なので、欧米より何百倍もたくさんの種類と量の微生物が生きているし、それを長い歴史の中で食文化に活かして来ていますからね。“本物のチーズ”をつくろうって決めたんですが、当時、日本のチーズは大手企業の工場で製造するのが当たり前で、名も無い牧場で手づくりするなんてことは、考えられない時代だったんですよ」

 そこから、今や新得農場のチーズは世界トップレベルに評価され、1998年にオールジャパン・ナチュラルチーズコンテストで「ラクレット」が最高賞を受賞してから、ヨーロッパの「山のチーズオリンピック」でソフトタイプの「さくら」が、2003年に銀メダル、2004年に金メダル・最高賞を受賞。その後も数々の賞を受賞している。
 生産が追いつかないそうだが、自然の旨味と深みを感じさせてくれる、実に優しく美味しいチーズだ。
「コンテストに行くと、もう君たちのチーズの凄さはよくわかったから、いい加減に引っ込んでいてくれないかって、冗談まじりに言われるんですよ。ヨーロッパのチーズコンテストで日本にばかり賞をあげるわけにはいかないからって、あははは」



小さな弱さが生んでいく共鳴力が組織や社会を強くする


 今、日本でつくられるチーズの7割以上が北海道十勝産だ。宮嶋さんは大学時代に光合成など光の研究をしていたが、偶然にも新得は光の恩恵が発酵に素晴らしく良いことがわかったという。
 それは、南東側が十勝平野に開いているので、朝日と午前中の「青く波長の短い光」がたっぷり入り、中でも新得農場は北側の新得山と北西側の低い山の尾根が風を防ぎ、午前中に光の陽だまりができること。また、北半球の「発酵ライン」とも呼ばれる北緯43度に位置し、鞍部が真西にあるので、「波長の長い赤い夕日」が入り、その光が大地のエネルギーをも運んで良い発酵を促し、ワインやチーズづくりに最も適した位置にあったのだ。



 新得には縄文時代の遺跡も多く残っているが、宮嶋さんは、「太古の昔から、人間が生きていくために重要だった大地と太陽の光を敏感に感じていた先住の人たちが、ここでいろいろなものづくりや儀式をして、多様な人たちと自然と共鳴しながら社会を営んでいたのでは」と考えている。
 新得農場では、そんな古代の人たちの営みや手しごとを、機械には頼らず自然に委ね、微生物によって微生物を活かしながら、今の時代に「ほら、できるよ」と、ゆっくりな人たちが再現しているかのようだ。


撮影:著者

 そして、太古の人たちは、どんなに大きくて強いものも、たくさんの小さく弱いものたちに支えられている存在だと知っていたのではないか。小さく弱いものに対して、何かを行うことは、世界全体のための振る舞いに他ならないという聖書のおしえ(いと小さき者の一人のために為したるは、すなわち我のために為したるなり/マタイによる福音書25章40節)を宮嶋さんは引用している。

 自然界の中の弱く小さな微生物たちが、発酵しながら旨味と深い味わいを醸し出し、無機質なものを有機質に変えていくように、人間界の中でも、一つの原理や主義で固めようとする組織は、強いように見えて実は脆く、弱く小さな人たちが見えない微生物のように発酵しながら、有機的に心の豊さをゆっくり感じさせてくれるのが、本当は強く幸せな組織や社会なのだろう。



「弱い彼らは、人々に大切なことを伝えるメッセンジャーなんですね。生物の種や人間組織に多様性が必要と言われますが、僕たちはむしろ社会には弱いものが必要不可欠だと考えているし、創造力に満ちた強い共鳴力というのは、強い人たちばかりでは決して生まれないんです」

 自然災害やコロナ禍を経験して、当たり前の生活が当たり前でないと身をもって知った私たちは、自然界の摂理に沿う小さな発酵組織のようなコミュニティが、実は強いことに気づき始めている。
 ただ、そのやり方をまだ多くの人たちが知らないだけで、新得農場が気づきを与えるモデルになってくれたらと願わずにはいられない。

 これまでに、新得農場でゆっくりな人たちと一緒に修行をした若いチーズ職人たち数十名が、DNAを受け継ぎ、各地に巣立っているそうだ。その職人たちのチーズから語り継がれ、気づきを得る人たちが増えて来るのかもしれない。


撮影:著者

写真:羽塚はねづか冬馬とうま


<<連載もくじ はじめに>>


羽塚順子(はねづか・じゅんこ)

特別支援学級で障害児を指導後、リクルートでの法人営業などを経てフリーライターとなり、3000人以上を取材、執筆。2009年より社会的に弱い立場の人たちと共存する母性社会づくりをライフワークに取り組み、伝統職人技を自閉症の若者が継承するプロジェクトなどでグッドデザイン賞を3回受賞。
MotherNess Publishing


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