アノニマ・スタジオWebサイトTOP > 野村美丘×一田憲子トークイベント“自分自身が肩書き”な人たちの、仕事のはなし@代官山 蔦屋書店2019年2月20日 イベントレポート 前編
野村美丘×一田憲子トークイベント
「“自分自身が肩書き”な人たちの、仕事のはなし」
イベントレポート 前編
2019年2月20日に、代官山 蔦屋書店さんで『わたしをひらくしごと』刊行記念、野村美丘×一田憲子トークイベント「“自分自身が肩書き”な人たちの、仕事のはなし」が開催されました。著者の野村さんと編集者・フリーライターの一田さんをお迎えして、本のことや仕事についてお話いただきました。イベントレポートとして、当日のお話の一部をお届けいたします。
■いろんな人がいる、ということを見せたい
一田憲子さん
まずは、ちょっとだけ自己紹介をしましょうか。私は一田憲子と申します。(野村さんとは)同業者で、編集とライティング(文章を書く仕事)をしていて、『暮らしのおへそ』という本や、『大人になったら着たい服』というムックを作ったり、著書を書いたりしています。
野村美丘さん
右に同じです。
一田さん
こういう風に、同業者同士で会うってあんまりないですよね。
野村さん
そうですね。
一田さん
さっき打合せのときに、私たちは二人とも、誰かに会いに行ってインタビューするのが仕事なので、「インタビューしあいっこみたいになるね」と言っていたんです。ちょっとめずらしいパターンなので、お互いにいろんな質問をし合って、それがみなさんのお役に立てばいいなと思っています。
野村さん
はい。
一田さん
では、さっそくですがこの『わたしをひらくしごと』はどんな感じで始まったんでしょうか。
野村さん
仕事でいろんな人に話を聞きに行くんですけど、「世の中にはいろんな人がいるものだなあ」と思っていたんです。本の序文にも書いたんですけど、いろんな人がいる、ということを並べて見たらもっと面白いだろうなと思ったんですね。そうは言っても面白い人はいっぱいいるので、自分と同世代で、身の回りにいる人、という風にゆるく条件をつけて取材に行きました。結果的に友達ばかりになったんですが(笑)「人っていろいろだね」というのを見せたかった。
一田さん
それは、仕事でいろんな人の話を聞くうちに(だんだんと)そう思ったんですか?
野村さん
それもあるんですけど、自分が学生の時には、会社に入って就職してっていうことしか、社会人になる方法はないと思い込んでいたので、「会社選びをする」というのが「社会人になる」ことでした。でもふたを開けてみると、そういう人ももちろんいるんですが、そうとは限らず、いろんなことをしてみんな生きている、ということがわかってきて。
一田さん
いろんな人のいろんな仕事がある、ということを書きたかったんですね。
野村さん
そうです。だから特に「こういう生き方がいい」とか言うつもりはなくて。「みんな違ってみんないい」ということです(笑)
一田さん
(笑)
いろんな方が出てきて、私もすごく面白く読ませて頂いたんですが、出会いが広がることになっていったいちばんの大元は、野村さんご自身の歩みにあると思うので、これまでの歩みを伺えればと思います。
■いろんな人と会って話した営業時代
一田さん
今のお仕事の内容はどういう感じなんですか?
野村さん
今はフリーランスで編集とライティングですね。雑誌を編集したり、取材に行って記事を書いたり。
一田さん
美大ご出身ですが、その頃はどんな感じだったんですか?
野村さん
写真をやっていました。
一田さん
アートに興味があったということでしょうか。
野村さん
そうですね。ただ、自分で絵を描きたいとかは入学のときから思っていませんでした。なぜなら高校のときに、周りにめちゃくちゃ絵が上手な人がいっぱいいたので、そういうことは自分は無理だなとあきらめていて。だけどそういう世界が好きだったんですね。なので実技のない、学芸員の資格を取る専攻のところに入って、クリエイティブな世界のはじっこに居る、という方向性は(その頃から)なんとなくあって。実際には、自分で写真を撮って焼いて、ということをやっていました。就職のときに雑誌社に入ったのも、そういう世界が好きで関わりたい、という気持ちからです。
一田さん
何かを生み出す仕事がしたい、という感じでしたか。
野村さん
でも自分で絵は描けないし、自分で何か表現するとは思っていなかったです。
一田さん
そういう世界に触れていたい、というか。
野村さん
そうですね。そんなにちゃんと考えてなかったですけど。
一田さん
大学生の頃って、結局何になりたいかとかわからないものですよね。
野村さん
全然わからない。世の中にどんな仕事があるのか、とか。
一田さん
そうですよね。私は大学は文学部で、出版社へ行きたかったんですけど、当時は関西にそんなに出版社がなかったんです。しかもどうやったら出版社に入れるのかもわからないし。結局何になればいいのかもまったくわからなくて。就職活動をするにも、やたらめったら企業を受けましたけど、「どこの企業に就職したら、一体何の仕事をするのか」って全然わからなかった。若い頃、仕事を選ぶ第一段階の頃って、世の中がどうなってるのか、私はそこにどうやってはしごをかければいいのか、みたいなことがまったくわからないですよね。
野村さん
そうですよね。
一田さん
でも(野村さんの場合)就職の足がかりになったのが、好きな世界観の雑誌だった。
野村さん
そうです。『STUDIO VOICE』という、当時美大生のバイブルのような雑誌があって、それが本当に好きで。何とかしてこの雑誌に関わりたいと思い、募集してなかったんですけど、履歴書を、罫線とかも全部、真っ白な紙に手書きで書いて(笑)
一田さん
えーっ、そうだったの。それで採ってもらえたんだ。
野村さん
でも(募集してないのに)200人くらいいたんですって。 で、急遽説明会が開かれたんです。
一田さん
どれだけ人気があったかわかりますね!
野村さん
ちなみに翌年からは、「既成の履歴書に書くこと」という決まりができて、新卒募集が始まりました(笑)
一田さん
決まりができちゃった(笑)
でも就職できたってことはそれ(手描き履歴書)が効いたんですね。
野村さん
たぶん、そうだと思います。
一田さん
そういう、すっごく憧れている雑誌があったり、すごく好きなミュージシャンがいたり、すごく好きな商品があったりとか、それ(が理由)で就職するというのもひとつの手ですよね。
野村さん
どうせわからないんだから、それしかないですよね。
でも、編集者になれると思って入ってみたら、広告営業になっちゃったんですね。
一田さん
それ、結構きついですよね。
野村さん
きつかったです・・・一応、美大生だったので(笑)
一田さん
「本に広告を入れてください!」と言いに行くわけですよね。新規で行くの?
野村さん
新規のみで。
一田さん
新規のみ!?飛び込み!?
野村さん
先輩の(取引先)はもらえないので。
一田さん
そうなんだ。自分で自分のは開拓するんだ。どこに行くかも自分で決めるの?
野村さん
そうです。一応テストされるんですよ。他の雑誌とかを見て、「こういうクライアントいいと思うんですけど」と言うと、「うち(の雑誌)には合わない」と言われたり。
一田さん
上司の人のOKが出ないと行けないんだ。ドキドキじゃないですか。
何社か行ってるうちに決まるようになってきたんですか。
野村さん
何ヶ月か経って初めて決まりました。
一田さん
初めて決まったのはどんなクライアントだったんですか。
野村さん
家具屋さんでした。
一田さん
でも、編集やりたかったのによく営業で耐えましたね。営業で面白かったこともあったんですか?
野村さん
それはありました。これ(『わたしをひらくしごと』)に通じてるんですけど、とにかくいろんな人としゃべれたってことですね。広告代理店のおじさんとか、普段の生活では絶対に話さないような人と話せたので。いろんな人と話せたのはすごくよかったですね。
一田さん
それは相手先の企業の人だけじゃなくて、もっといろんな人とつきあって広告はできていくわけですよね、制作の段階で。
野村さん
はい。
一田さん
じゃあこの本のルーツは、けっこう営業時代にあるということでしょうか。
野村さん
そうかもしれませんね、たしかに。人に会うということですね。
■望んだ仕事じゃなくても、そこから学ぶことがある
一田さん
自分が得意とすることでなくても、会いに行ったら楽しい?
野村さん
毎回楽しいわけじゃないですけどね(笑)
一田さん
自分で望んだ仕事じゃなくても、そこから何かしら学ぶことってありますよね。
野村さん
ありますよね。無駄なことは何もない。
一田さん
私はライターとして駆け出しの頃、必ずしもやりたい記事を担当できるわけではなくて、全然やりたくないジャンルのものを一所懸命やっていました。たとえばラーメン屋さんを10軒取材する、お寿司屋さんを10軒取材する、なんて記事も若いときにはやっていたんですが、全然興味なかったんです。
野村さん
お寿司にも興味なかったんですか?
一田さん
(お寿司を)食べることには興味があったけど、私が(お寿司について)書くことには興味なくて。お寿司屋さんにアポとって行くんですけど、まったく食に対する基礎知識がなかったから……今でも覚えてますが、あるとき、一軒のこだわりのお寿司屋さんに行って、そこで「なれ鮨」ってものが出たときに、「なれ鮨って何ですか?」って聞いたんですよ。そしたら(大声で)「勉強し直してこい!」って大将に言われて。すっごい怖かったです。みなさん知ってますかね?なれ鮨って、お魚を塩漬けとかにして発酵させるんですよ。すごく臭いんだけど、食べたらやみつきになるという、いわゆる「通」が食べるお寿司なんです。それを本当に知らなくて(笑)
そういう嫌な思いもたくさんしたんだけど、ひとつひとつの出会いがすごく勉強になったというのはありました。だからジャンル違いのことからも学ぶことはあるな、と思います。
野村さん
本当に、そうですね。
一田さん
それで、営業を経てどうなったんですか?
野村さん
転職しました。デザイン書を作っている会社で、そこで初めて編集のことを全部教えてもらいました。取材に行くというよりは、社内でずっと制作している感じでした。
一田さん
そこを経て、独立された。
野村さん
2年やって、そこの事業部が無くなっちゃったので、なし崩し的にフリーランスになって、今に至ります。この働き方がいいのかどうかも検討せず。
一田さん
自然な流れだったんですね。
フリーランスになってからは、自分で仕事を作っていかないとならないと思いますが、どんな風に自分の仕事をつくってきたんでしょうか?
野村さん
わずかなツテからですかね。知り合いの人が、「こいつは時間があるだろう」ということで仕事を振ってくれたことからです。
一田さん
最初はどんな記事を手掛けていたんですか?雑誌?
野村さん
そうですね、今もお仕事をしているところとか。
一田さん
そうすると、それまではけっこうオフィスに籠っていたのが、取材に行くようになったんですね。
すんなりできるようになったという感じですか?アポとったりとか。
野村さん
はい。
一田さん
営業で鍛えたスキルが(笑)
野村さん
はい(笑)
そうだと思います。
■自分の気持ちに素直でいること
一田さん
フリーになって変わったことは?
野村さん
快適になりました。それまでは、仕事とプライベートを分けて考えてたんです。
たとえば、仕事は絶対家に持ち帰らないようにとか、週末にはやらない、という風に、分けていたくて。フリーランスになる上で心配だったのはそこで、家で仕事するので、そういう区別をうまくできるかなあ、と思ってたんですけど、ごっちゃのほうが心地いいということがわかりました(笑)
私たちの仕事って、本を読むのも映画を見るのも、趣味でもあれば仕事でもあって、分けられないんですよね、仕事とプライベートとが。
一田さん
そうですよね。
野村さん
そこに気がついてからは、「これ、いいなあ」と(笑)
一田さん
じゃあ、楽しいですね。
野村さん
ずっと、楽しいんです(笑)
一田さん
でも、食っていかなきゃならないじゃないですか。そこの不安みたいなのはあったんでしょうか。
野村さん
不安はありましたけど、でもあんまり心配しなかったです。
一田さん
じゃあ、はじめからコンスタントに仕事が・・・
野村さん
いやいや、そうじゃないんです。今でもたまに、「あれっ、なんにもない!」って時もありますけど、そんなに不安ではない。
一田さん
そうなんだ!
野村さん
なぜかというと、生きていくためにはお金が必要だと思い込んでるだけで、実はそうじゃないなと思って。それは実はこの本で言いたいことでもあるんですけど、自分で勝手に思い込んでることってたくさんあって、「お金がないと生きていけない」というのもそうだし、「仕事がないと不安」というのもそうだし。「実はそんなことはない」と思えるようになるだけで、何も心配がなくなるというか……
一田さん
へえ〜〜〜!!
そう思えるようになったのはどうして?
野村さん
うーん……それで今、無事に生きてるからじゃないでしょうか(笑)
自分の思いを切り替えるという簡単なことで、超楽しくなるって、すごいことじゃないですか?
一田さん
すごいですよね。だけど、そう思えない人が多い。私もそうですけど。
野村さん
いまだにそうですか?
一田さん
そうですよ、やっぱり。不安ですもん。
野村さん
そうなんですか!
一田さん
私はすごくビビリんぼなので。
野村さん
よく、本にも書かれてますよね。今でもそうですか。
一田さん
今でもというか、この年になって、ずーっと不安がってきたから多少疲れちゃって、もう不安がる体力もなくなってきたという感じで、前よりは不安がらなくなりましたけど、(笑)
野村さん
(笑)
一田さん
私(野村さんと)10歳違うんですけど、10年前とかは全然不安でした。
野村さん
そうですか!10年前といったら、もう本とか出されてますよね。
一田さん
そうですね、でもまだちょこっとでしたし、大層不安でしたね。だからそういう、自分の考え方を切り替えたらすごくラクになる、というのはよく聞くんだけど、その切り替えがなかなか私はできなかった。だからそういう風におっしゃる方がいると、「どうしたらそう思えるの?」って聞きたくなるんだけど、そう言う方ってたいてい「自然になった」っておっしゃる(笑)
野村さん
(笑)
でも、不安だったら不安でOKという風に、自己肯定感というか、自分の気持ちに素直でいる、自分の気持ちを否定しない、ということ(の大切さ)をこの本の取材でも本当に感じて。15人さまざまに違うんですけど、共通しているのは「自分の気持ちに素直」というところなんです。
一田さん
そうですよね。これを読んだら本当に、それこそお金のこととか条件とか、そういう枠に囚われていなくて、やりたいことに真っ直ぐ、という方がすごく多いなと思いました。
野村さん
そこからさらに、「やりたいことを持たなきゃいけない」とか「夢を持たなきゃいけない」という考えからも解放されたところに「わたしをひらく」があるのかな、という風に思いました。なんかちょっと結論ぽいですが(笑)
(後編に続く)
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一田 憲子(いちだ・のりこ)
編集者・フリーライター。
OL生活を経て、編集プロダクション勤務後、フリーライターとして数々の書籍や雑誌で執筆。
ムック「暮らしのおへそ」「大人になったら、着たい服」(主婦と生活社)では企画から編集までを担当。
近著は「暮らしに必要なものは、自分で決めていい」(秀和システム)「面倒くさい日も、おいしく食べたい!」「丁寧に暮らしている暇はないけれど」(SBクリエイティブ)など。自身のホームページ「外の音、内の香」でも、暮らしの知恵を綴っている。
http://ichidanoriko.com
野村 美丘(のむら・みっく)
1974年、東京都出身。
明星学園高校、東京造形大学卒業。
『スタジオ・ボイス』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、旅、犬猫、心と体、ルーツなど、自分の生活と興味の延長上をフィールドに公私混同で活動中。初の著書『わたしをひらくしごと』の撮影はカメラマンである夫が担当。
http://www.photopicnic.pics/
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