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宮本しばにの素描料理宮本しばにの素描料理宮本しばにの素描料理

文・写真・題字/宮本しばに


最終回
いなり寿司


 何かが欠落している。そう思うようになったのはいつ頃からだろう。
 最近は料理せずとも、食べ物が簡単に買えるようになった。加工食品、冷凍食品、お弁当、テイクアウト、宅配……。何でも簡単に手に入る。いつも利用しているスーパーの冷凍食品やお惣菜コーナーが広くなっているのを目の当たりにすると、それを実感する。忙しい人にはありがたい時代になったということなのだろう。

 そんな世の中を横目で見ながら、この連載を通して「料理する真意」を考え続けた。
 「真意」とは表からは見えない本当の意味のこと。何が起ころうと変化しようと、変わらずに在るものだ。それを素描料理で表せたらと、この連載と向き合った。

 世の中が希薄になり、便利さに慣れ、それをよしとする風潮に、この連載でときに物言いをつけた。坐禅のときに打つ警策けいさく(修行者の背中を打つ棒)のように。

 食べることをなおざりにしてないか。
 満腹になれば何を食べてもいいのか。
 便利さを盾にしてやしないか。

 打つ相手は私自身でもある。食べることは一生だから。
 「食」という暮らしの基本は、産業の一環ではなく、自然との関わり合いから生まれる賜物だ。この真意は変わらないし、自分でしか守れない。

 毒舌で有名な作家、フラン・レボウィッツが、あるインタビューの中でこんなことを言っている。
 「音楽家と料理人は、人の生活における喜びを担っている。」
 ここでの「料理人」は厨房で働く人のみならず、料理するすべての人を指すと、私は解釈している。
 音楽家と料理人が横並びというのが嬉しい。
 人間は音楽を聴いたり、おいしい食事をすると、脳内でセロトニンという幸せホルモンが分泌されるそうだ。音楽と食事が似ていると言われるのは、その高揚感が近いからだろう。音楽家は実に料理好きが多い。テノール歌手・故パヴァロッティは行く先々のホテルで、自分の部屋にキッチンを特設して料理していたほどだ。
 音楽を演奏すること。料理をすること。どちらも一方的に提供するものではなく、喜びを共にすることによって、その相乗効果でみんなが幸せになるのだと思う。

 「いただきます」の合図で、作る人も食べる人も等しく喜び合う。どちらかが文句を言ったり、威張ってしまったら、それは冒とくというものだ。作る人は黙って手を動かし、食べる人は「ありがとう」を伝えてあげる。それだけで愛情の行き来が成立するところに、食の素晴らしさがある。
 誰かのために台所に立つ。お金のためではなく、ただ食べてもらうために料理する。これを尊い行いと言わずして何と言おうか。料理は祈りに近いのかもしれない。

 この連載を終えるにあたり、素描料理についてまとめてみた。
 ひとつ。
 Back to the basic. 基本に立ち返る。
 絵画を描くときは、まず鉛筆でデッサン(素描)する。その上に色を重ねていくわけだが、どんな色を塗ったとしても芯の部分、つまり鉛筆で描かれた骨格は変わらない。そこに目を向ける。すると今まで気が付かなかった大切なところが見えてくるはずだ。つまり、デッサン(素描)は真意の線なのだ。
 例えばそれは、インスタントを使わずにだしをとってみること。レトルトをチンせずにお米を炊いてみること。冷凍コロッケではなく、ジャガイモを潰して揚げてみること。ペットボトルではなく、茶葉からお茶を淹れてみること。
 何でも省ける世の中だから、こういう芯を育てていくことは、とても価値があることだと思う。

 ふたつ。
 Simplicity. 簡素。質素。気取らない。
 食材をまっすぐに見て、シンプルに考え、手を動かしていくことだ。決して時短ということではない。
 「簡素な料理」と「手抜き料理」は違う。「手抜き」は手を使わない料理のことだ。あまり動かずとも簡単にひと皿になる。それに対し「簡素」は無駄がないこと。すっきりときれいなひと皿になるように考え、作っていくことだ。味をごまかさないということも大切だろう。

 みっつ。
 Creativity. 創作性。
 料理は錬金術のようなものだ。目の前の食材たちを全く別物に変えてしまうのだから。そして誰でもその錬金術師になれる。ただ闇雲に作ってもなかなかうまくいかない。「道すじ」が必要だ。
 その道すじとなるのが「土台レシピ」である。土台となる料理法を覚えて、あとは自由に作る。素描料理のあり方だ。
 冷蔵庫の中にある食材は毎日違うから、今日だけのひと皿を作る。すると思わぬ発見があったり、新しい味にも出会える。ほんの少しの想像力と好奇心が、料理の世界を広げてくれるのだ。

 便利はありがたい。けれど、それだけを追求していけば、手を使ったり、心を働かせたり、知恵を使ったりという、もっとも人間的な部分を捨ててしまうことになりやしないか。食のために自らが動くことを止めてはいけない。だってそれが生きることだから。

 さて、最終回の料理には「いなり寿司」を選んだ。この料理は母の思い出の味で、私にとっては宝物レシピだ。とは言っても、10代のときに母が他界したので、作り方を教わることはなかった。味の記憶を頼りに作り続けて、ようやく最近になって母の味に近づいてきたように思う。
 醤油、砂糖、だし汁だけで、なぜこんなにおいしいのだろう。甘辛い汁が酢飯と混ざり合って、何とも言えないやわらかい味だ。簡素な料理に見えて、バランスの良い味にするのは意外と難しい。

 炊いた油揚げが余ったら、汁を含ませたまま2~3枚をラップで包み、保存袋に入れて冷凍しておく。手巻き寿司や蕎麦と一緒に。また、油揚げをのせてきつねうどんにしたり。刻んで野菜と共に胡麻酢和えにすることもある。信州には「そば稲荷」という、油揚げに茹で蕎麦を詰めた郷土料理がある。蕎麦しか育たなかった地域の知恵だ。
 この甘辛く炊いた油揚げは何かと重宝するのである。





 まず油揚げを用意する。
 私は「すし揚げ」を買ってくる。これはいなり寿司用の油揚げで、中がすでに空洞になっているので使いやすい。普通の油揚げを使う場合は、丸箸1本を油揚げに押し当ててコロコロと転がす。こうすることで開きやすくなる。母から教わったやり方だ。






 油揚げ10枚、20個分のいなり寿司の袋を作る。
 底が広い鍋で湯を沸かし、油揚げを入れて「油抜き」する。1分ほど火を通したらザルに取り、冷水をかける。冷めた油揚げ3、4枚を重ね、両手で絞って水分を取る。破れないように注意する。
 油抜きは面倒だが、こうするときれいな味になって油っこさが取れる。コクを出すために油抜きをしない人もいるが、このあたりは好みだろう。

 鍋をさっと洗ってから昆布だし汁600ccと砂糖50gを入れて火をつける。最近は心持ち甘くしたくて、砂糖を2g増やしている。たった2gだから甘みはそう変わらないとは思うのだけれど。このさじ加減はご自由に。
 鰹だしは使わない。昆布だしだけの方がすっきりとした味になるから。
 沸騰したら油揚げを並べていく。






 落し蓋をし、弱めの中火で10分炊く。
 次に濃口醤油を大さじ4加え、弱めの中火で10~15分、水気がほぼなくなるまで炊く。
 だしと砂糖だけでしばらく炊いたあとで醤油を加えるのは、砂糖は食材に浸透しにくいので、先に入れることで甘辛のバランスを取るのだ。





 油揚げは破れやすいので動かさずに、時々落し蓋をギュッと押して、汁を押し上げる。焦げないように、時々底を見ながら、汁気がほんの少し残っているぐらいで火を止め、そのまま冷めるまで置く。
 油揚げが冷めていく過程で、汁がしっかりと染み込んでいくので、この時間は省かない。





 すし飯を作る。米1合半を洗い、水を入れる。水はいつもより5%ほど減らす。昆布5cm角1枚と、日本酒小さじ2を入れ、1時間ほど浸水させてから普通に炊く。米1合半で10個前後のいなり寿司が作れる。
 ごはんを炊いているあいだにすし酢を作る。米1合半で、酢大さじ2、砂糖大さじ1、塩小さじ1を混ぜ合わせる。





 ごはんが炊きあがったら羽釜の蓋を取り、すし酢を回しかけ、しゃもじで混ぜる。全体に混ざったらごはんを飯台に移し、うちわで扇ぎながらしゃもじで切るように混ぜる。
 我が家は飯台ではなく、白木のサラダ鉢を使っている。白木というのは塗料を塗っていない木材のこと。ごはんの余分な水分を吸い取ってくれるので、サラリとしたすし飯が作れる。






 すし飯ができあがったら油揚げにごはんを詰める。
 まず、油揚げ3枚ほど重ね、両手で余分な汁を取るのだが、強く絞らず、ほどほどに汁が残っているぐらいの加減で軽く絞る。こうすることで食べたときに、すし飯と甘辛い汁が口の中で混ざり合う。





 ごはんは無理やり押し込まず、潰さないように7分目ほど詰める。袋の角にもちゃんと入れるのを忘れずに。袋の口を折りたたみ、最後におむすびを握るようにきゅっと1回、形をととのえて出来上がり。

 夫曰く、人生の最後に食べたいものはいなり寿司だそうだ。「市販のいなり寿司ってどうしてあんなに甘いんだろうね」と言いながら、幸せそうにほおばる。
 ふたりの大好物だから、作り置きの油揚げがなくなると落ち着かない。







 終わりにひとこと。
 約3年間書き続けたこの連載ですが 今回をもって終了といたします。この連載を読んでくださった方々に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
 「素描料理」という造語を、一から育てるような気持ちで文章を綴りました。おかげ様でずっと形にできなかった図面がようやく引けたような気がしています。
 これからは、この図面を立体的にするべく、メディアプラットフォーム「note」に場を替えて、台所での考察や素描料理レシピを書いています。ぜひ、そちらもご覧ください。

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https://note.com/studio482/

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宮本しばに

創作野菜料理家。20代前半にヨガを習い始めたのがきっかけでベジタリアンになる。結婚後、東京で児童英語教室「めだかの学校」を主宰。その後、長野県に移り住む。世界の国々を旅行しながら野菜料理を研究。1999年から各地で「ワールドベジタリアン料理教室」を開催。2014年に「studio482+」を立ち上げ、料理家の視点でセレクトした手仕事のキッチン道具を販売するオンラインショップをスタートさせる。販売、執筆、ワークショップ開催を通し、日本の伝統的な調理道具と料理のコラボをテーマに活動している。著書に『焼き菓子レシピノート』『野菜料理の365日』『野菜のごちそう』(以上、旭屋出版)、『野菜たっぷり すり鉢料理』『台所にこの道具』(以上、アノニマ・スタジオ)、『おむすびのにぎりかた』(ミシマ社)ほか。
https://www.studio482.net/




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