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連載「素描料理」プレ対談

料理家・宮本しばに ×
素描家・しゅんしゅん
“素描”をめぐる対談

文/毬藻舎・編集者 友成響子


Photo by 野口さとこさん

 2年前の秋と昨年秋に刊行された2冊の本、『野菜たっぷり すり鉢料理』『台所にこの道具』(いずれもアノニマ・スタジオより)を経て、著者の宮本しばにさん(以下、しばにさん)はいま、新たなるテーマと対峙している。

「これからは 、“素描のような料理=素描料理”を伝えていきたい」
しばにさんからそんな想いを聞いたのは、『台所にこの道具』の完成に向けて、編集作業がいよいよ大詰めというときだった。
“素描のような”って? “素描料理”とは一体……???
 あとから振り返ると、前著のすり鉢料理にも、制作中だった『台所にこの道具』に登場する料理にも、“素描料理”につながる布石はあちこちに打たれていたのだけど、“素描料理”という言葉を初めて耳にしたその瞬間、頭のなかははてなマークで一杯に。

 しばにさん自身も、当初は“素描料理”についてことばで説明することに、難しさを感じていたようだ。対話を重ね、想いをやりとりするなかで、しばにさんが「生きているあいだに伝えなければ」とまで使命感を燃やす“素描料理”への理解がすこしずつ深まっていく。それと同時に、『野菜たっぷり すり鉢料理』の装画や挿絵を描いていただいた “素描家”であるしゅんしゅんさんの描くもの、描く姿勢と重なるものがありそうだという確信めいた予感が。

 そしてその後、しばにさんからの熱烈なラブコールで、しゅんしゅんさんとの対談が実現。“素描”のような料理を追及するしばにさん、そして、素描を生業とされるしゅんしゅんさん、お二人が交わすことばを通して、素描にまつわるあれこれとともに “素描料理”の輪郭を探った。


僧堂うどんを食べながら


 カラリと晴れた夏の始まりの日、しゅんしゅんさんのアトリエがある広島へ。2年前、東京・阿佐ヶ谷で行われたしゅんしゅんさんの個展で会って以来というお二人。再会の挨拶を交わしてから、早速事前に約束していたとおり、しばにさんがお昼ごはんを作ってくれることに。  


しゅんしゅんさん(以下、敬称略) 今日はしばにさんの料理を食べてみたいなんてわがままを言って……すみません。

しばにさん(以下、敬称略) そんな、そんな。こちらのほうこそ、今日はありがとうございます。押しかけてきて、いきなり台所まで使わせてもらって。しゅんしゅんさんのファンの方たちから恨まれそうね。

しゅんしゅん いえいえ。でも、料理家さんが自分の家の台所にいるなんて、とてもレアな光景です。今日作っていただけるのは……うどん、ですね?

しばに そう。「僧堂そうどううどん」というものを作ろうと思います。東慶寺の和尚さまに教えていただいた料理なの。まず、おつゆを作りますね。だし汁と、味つけはお寺ではシンプルにしょうゆだけでしたけど、今日はすこしアレンジしてみりんも足します。

それから茗荷を千切りに、生姜をすりおろし、すり鉢で胡麻をすって……と数種の薬味を手早く、けれど一つ一つ丁寧に料理を進めるしばにさん。締めに入れるという白ごはんは、しゅんしゅんさんに炊いていただき、うどんが茹で上がったところで準備完了。



僧堂うどん/Photo by しゅんしゅんさん

しばに はい、もう出来上がりです。あっという間でしょう。おつゆにうどんをつけながら、召し上がってくださいね。薬味もお好みでね。

しゅんしゅん うわぁ、おいしそうだ。薬味も美しいですね。
(つゆにつけた麺を一口食してから)
んんっ、これはおいしい! とてもおいしい、おいしいです!!

しばに ふふふ(笑)。よかった〜。どんどん食べてくださいね。

心の動きに素直に ―“素である”とは


しばに これ、お寺では修行僧たちが、一週間の特別な修行期間の中日なかびに食べるものなんですって。ひとつの桶を必ず4人1組で食べるそうなんだけど、厳しい修行をする者同士で、静かに、でもお腹いっぱいに食べるのがおいしいって。その情景を思い浮かべながら、和尚さんが作ってくださる僧堂うどんを食べたときに、ああ、これはまさに素描のような料理(=素描料理)だって思ったの。

しゅんしゅん 素描料理なんですね、これが。

しばに はい。私が考えている素描料理とは、どこか静かな背景があって、食べものの“素”をていねいに観察しながら作る料理。リアルに見える部分だけじゃなくて、見えない裏の部分も感じられるもの。……だけど、私はまだ、素描料理のことを全然うまく説明できないんです。それで今日は、素描家であるしゅんしゅんさんに、素描のことを聞かなくちゃって。そもそも、しゅんしゅんさんはなぜ“素描家”というようになったんですか?

しゅんしゅん まだサラリーマンとして建築設計の仕事をしていた2009年に初めて個展をさせてもらうことになって。何か肩書きをつけてみようと思ったときに、“素描”ということばに出会いました。

しばに 素描というのは、デッサンとは違うものなんですか?

しゅんしゅん 教科書的には、同じ意味だと思います。僕自身もそれまでは自分の描く絵をスケッチとかドローイングという言い方をしていたのですが、素描の「素」と「描く」という2つの漢字の組み合わせに、自分が目指したい世界観が現れていると思った。素直に、素朴に、素早く。“素”に込められているそんな気持ちを大切に描きたいと思って、“素描家”と名乗るようになりました。

しばに 素直に、素朴に、素早く、描くっていうのは、どういうこと?

しゅんしゅん たとえば富士山を見て感動したら、そこで受けた感情をそのまま描きたいと思っているんです。自分で脚色しすぎない。もっとこうしたらよくなるんじゃないかと頭で考えて導いたりもしない。真っ白な紙に形を線で追いかけるように、心の動きに素直に描いたものが素描と言えるんじゃないかと。

しばに ああ、なるほど。


しゅんしゅんさん作「山波のconcert」
/Photo by 野口さとこさん

しゅんしゅん 画材もありふれた身近なものでいいと思っていて。描きたいと思ったときにすぐに描きたいから、鉛筆やボールペンなどのできるだけ準備に時間がかからない道具を使います。油絵とか水彩のように、描き始めるまでに準備が必要なものや、描いているあいだも乾かす待ち時間などが必要なものも、それはそれで面白さはあると思うんだけど、僕自身はもっと衝動的に描きたいというのがあって。

しばに シンプルでありたい?

しゅんしゅん シンプルさとも多分つながっていますね。あまり複雑なものはいらなくて、そばにあるもので、できることをすればいいという考え方。

しばに いまのお話は、全部そのまま料理にもあてはまります。納得がいきすぎて頭のなかで電気がついた感じ(笑)。

素で描く時間


素直に、素朴に、“素”であるために、しゅんしゅんさんが大切にしているという“素早さ”。料理にあてはめてみた場合、それは決していわゆる“時短料理”という類のものではなさそうだ。しばにさんが追い求める料理のあり方もまた、“時短”とは違うベクトルを向いている。


しばに 私の伝えたい料理は、世の中の流れとは真逆を行っているんです。もちろん込み入った複雑な料理ではない。簡単なんだけれど“手抜き”ではない。もっと深い意味での“簡単”……というか。

しゅんしゅん わかります、なんとなく。最近、僕は時間に対する新しい意識が芽生えていて。素描家として歩み始めた頃は、15〜30分で描けるようなシンプルな絵が多かったのですが、最近は何日も何日もくり返し時間をかけて単純な線だけで描き続けていると、なにか違う風景が見えるんじゃないかということを試してみたりしています。

しばに へぇ〜、すごい。

しゅんしゅん 実際にやってみたら、身体は動いているんだけど、心の位置は別のところに移動するような感覚で、自分のやっていることを忘れられる瞬間がある。その結果、自分でも見たことのないものが絵に現れてきたりして、すごく新鮮に思えたんです。

しばに 瞑想のような感覚?

しゅんしゅん 瞑想みたいだとも、よく言われますね。そのものの存在にふれることと、心が動いていることだけに集中する。その結果、思い描いたものとは違う世界がいつのまにか現れて、それが新鮮な発見で。

しばに 絵のような発見ではないかもしれないけれど、料理の場合も、組み合わせを思い描きながら作ったものが、実際に完成してみるとぴったり想像どおりだったり、逆に想像とぜんぜん違う味だったり。どっちもあるんだけど、どっちも楽しいっていうことはありますね。

しゅんしゅん ああ、同じですね。

しばに たとえ失敗しても、「ああ、残念!」というネガティブな感じではなくて、「そっか、なるほどこういう味になるんだ」っていう新鮮な驚きのほうが先にある。

しゅんしゅん それ、よくわかります。

しばに それを身近な人と「ああ、おいしいね〜」と分かち合いながら食べる。そういう瞬間のために料理をしているんだなと、つくづく思うの。だからね、私は大勢のためにワーッと料理をして「どうぞどうぞ〜」って振る舞う料理が本当に苦手なんです。

しゅんしゅん そうなんですか。

しばに 緊張するんです。そうすると、素でいられなくなる。上手に作ってあげなきゃいけないとか、おいしく作らなきゃと考え始めるとクタクタに疲れてしまうんです。

しゅんしゅん ……ちなみに、今日は大丈夫でしたか?

しばに 今日はぜんぜん平気。自分の家で作っている感覚に近いというか(笑)。やっぱり素でいられるのが、どれだけラクかということですね。料理に限らず、どんなことでもそうかもしれないけど。


“我”はできるだけ入れない


 話とともに箸も進み、丼の中の麺を食べ尽くしたところで、残り汁に白ごはんを追加。そこに生卵と薬味を加え、よく混ぜて食べるというお寺の流儀に習った食し方で締めることに。



Photo by しゅんしゅんさん


しゅんしゅん んんっ、なんだこれは。想像を上回るおいしさだ……!!!

しばに うどんで薄まったおつゆに、ごはんと卵がちょうどいい具合に混ざりあうの。うどんが前菜で、こっちがメインみたいな満足感があるでしょう。

しゅんしゅん いやあ、これは感激のおいしさだ。ごはん、おかわりします! これ、わが家でもやってみたいです。

しばに ぜひやってみて。この料理を教えてくれた和尚も「雑な料理です」って言っていたんだけど、決まりなんてないので自由に作ってみてくださいね。

しゅんしゅん そうですか。やってみます!

しばに 料理って、自分が絶対においしくなると思えるものから始めればいいと思うんです。自分ができそうにもない料理を追い求めるから、失敗したときに落ち込んじゃう。それで自分は料理が下手だ、好きじゃない、作りたくない……と、どんどん負のスパイラルにはまっていく人ってとても多いんです。

しゅんしゅん そうなんですね。

しばに あと、「自分の料理がおいしくないんだけど、どうしたらいいですか?」って聞いてくる人に多いのは、完成だけを求めてしまっていること。料理のとちゅうで、ここでしっかりうまみを引き出さなきゃいけないとか、この瞬間まで焼かないとおいしくないとか、そういう一つ一つの積み重ねがおいしい一皿を作る。

しゅんしゅん そうすることで素材の魅力も最大限に引き出せそうですね。

しばに はい。でも、おいしさを引き出しているのは私じゃなくて、やってくれるのはぜんぶ台所道具なの。道具が主体で、私がアシスタントみたいな関係と思っているほうが、料理は上手くいくように思っています。

しゅんしゅん なるほど、そうなんですか。

しばに だから私はいつも、冷蔵庫を開けてキャベツがあったらとり出して見て、今日は焼き網を使おうか、やっぱり土鍋かなと、道具とのマッチングから考え始めるんです。

しゅんしゅん キャベツがあるから今夜はロールキャベツにしよう、とかメニュー名を考えるのではなく? すごく早い段階で道具が登場するんですね。

しばに キャベツをよく観察して、おいしそうな状態なら焼き網でどーんと焼くだけでいいなとか、ちょっとくたびれ始めていたらもう少し小細工して土鍋で煮込もうかとか。どういう状態が一番おいしいのか、どの道具ならおいしさを引き出してくれるかという選択が、そのときの食材によってぜんぜん違いますからね。

しゅんしゅん キャベツとの対話と道具選びが同時進行というわけですね。 

しばに 私の役割は、道具の選択とちょっとしたお手伝いをするだけ。あとは道具がぜんぶはたらいてくれる。もちろん、おいしくなるように工夫はするんだけど、主体が“自分”ではない。そういう立ち位置で料理をすると、「おいしく作らなきゃ」という自意識というか、自我みたいなものが入らなくなる気がするんです。 

しゅんしゅん 主体が自分じゃないってすごく深いですね。

しばに もちろん、お坊さんじゃないから我を完全にゼロにするってことはできないのだけど。“素である”ことにも通じますね。

しゅんしゅん “素である”ってどういうことか、よくよく考えてみると、1秒前の自分はもういまの自分ではないんですよね。変化している素に素直でいるためには、自分も変化し続けなくちゃいけないなと思っています。食材も生きていて、常に変化していて。まさにライブなんだなと。

しばに ライブだね。だからこそ、観察が必要。

しゅんしゅん 料理も絵も、目の前にあるものを観察して変化するものに向き合っているうちにあたらしい世界が見えてきそうですね。


素で向き合う素描、そして料理


しばに いまの世の中、素になることってすごく難しい。一歩外に出ると、気を遣って生きなきゃいけないし、なにが“素”なのかさえわからなくなっている人も多いと思うんです。しゅんしゅんさんは、絵を描く際に “素である”ために大切にしていることってなんですか?

しゅんしゅん 一番意識しているのは、気持ちよく線を引けるかどうかですね。
個展に向けて自分が好きで描く絵と、頼まれて描くイラストレーションの仕事など色々あるけど、どの絵も人前に出せるものは完成するまでの間のどこかにぼんやりと質のいい時間があったりします。何か充実した質感のようなものに触れている時間帯。それを掴めた作品は、自信を持って展示できたり人にお渡ししたりできます。
 あと、僕は心が乱れているときはまっすぐの線をかけないし、線を引くこと自体に向き合えなくなる。だから、気になる用事はできるだけ先に片付けます。そして一番大切にしているのは、じつはよく寝ることだったりもします(笑)。


しゅんしゅんさん作「rain/detail」
/Photo by 野口さとこさん

しばに なるほど(笑)、それも大切なことですね。私は料理において“素であろう”と思えるようになるまでに20年もかかりました。でも、しゅんしゅんさんの素描からも刺激をいただいて、ようやく。だから、この先の私の仕事は、これまでのように料理研究家としてレシピを作ることがメインの仕事ではなくなりそうだなと。

“素でありたい”という想いを通して、こういう風に通じあえる方がいることが本当に心強いです。しゅんしゅんさんは絵で、私は料理で、方法は違うけれど、それぞれの形で世の中に伝えていけたらいいなと思いました。想いを重ねていただいて、今日は本当にありがとうございました。

しゅんしゅん 僕も今日はとても楽しかったです。そして、おいしいひとときでした(笑)。ありがとうございました!

我をできるだけ入れずに、食材や過程をよく観察し、そして、なによりも素の状態でつくる、素描のような料理。しばにさんによる素描料理の探訪記録は、次回の連載からスタートします。どうぞお楽しみに!



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しゅんしゅん

素描家。
1978年高知生まれ、東京育ち。2012年広島に移住。建築から絵の道へ。ボールペンで繊細なドローイングを描く。書籍・広告のイラストレーションのほか、全国各地で個展も開催。
http://www.shunshunten.com/

宮本しばに

創作野菜料理家。20代前半にヨガを習い始めたのがきっかけでベジタリアンになる。結婚後、東京で児童英語教室「めだかの学校」を主宰。その後、長野県に移り住む。世界の国々を旅行しながら野菜料理を研究。1999年から各地で「ワールドベジタリアン料理教室」を開催。2014年に「studio482+」を立ち上げ、料理家の視点でセレクトした手仕事のキッチン道具を販売するオンラインショップをスタートさせる。販売、執筆、ワークショップ開催を通し、日本の伝統的な調理道具と料理のコラボをテーマに活動している。著書に『焼き菓子レシピノート』『野菜料理の365日』『野菜のごちそう』(以上、旭屋出版)、『野菜たっぷり すり鉢料理』『台所にこの道具』(以上、アノニマ・スタジオ)、『おむすびのにぎりかた』(ミシマ社)ほか。
https://www.studio482.net/




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