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五味太郎「もみのき そのみを かざりなさい」展


銀座・森岡書店
『もみのき そのみを かざりなさい』フェア記念
五味太郎さん×森岡督行さんトークイベントレポート


 フェアの初日11/23(火・祝)の18時から、銀座の無印良品にて、五味太郎さんと「森岡書店」店主・森岡督行さんの対談が会場とオンライン配信のハイブリッド形式で行われました。ご参加いただいた方は100名ほど。当日の会場の雰囲気やトーク内容の一部をご紹介いたします。


3回刊行した絵本の実験


五味さん(以下、敬称略)
 昔、リブロポートというかっこいい出版社があって、哲学、音楽、社会科学、美術の分野で多くの良書の出版をしていた。「やるべきことはやった」ということで潔く“解散”をした出版社。
 その出版社での最初の絵本が『仔牛の春』だった(のちに偕成社から復刊)。『もみのき そのみを かざりなさい』は、そのリブロポートから出した作品で、その後に文化出版局で復刊をし、さらに今回アノニマ・スタジオで復刊をしたという経緯です。
 はい、さようなら。

森岡さん(以下、敬称略)
 五味さん、はじまったばかりです(笑)
 まずは3冊について質問させてください(現物を並べて)
 例えばタイトルの書体。リブロポート版では明朝体だったものが、文化出版局版ではゴシック体になり、アノニマ・スタジオ版では明朝体に戻されていますが、どのような理由があったのですか。



左から、リブロポート版、文化出版局版、
手前がアノニマ・スタジオ版

五味
 実験だよね。だんだん仕事でもデジタル化が進んできて、90年代の頭くらいからデジタルが得意なデザインのパートナーができた。モニター上でいろいろ文字をはめてレイアウトしていくんだけど、この絵本はやっぱりゴシックではないかなと思った。

森岡
 絵のサイズも違いますよね。

五味
 時代によっていいと思うバランスも変化する。本の内容は原理原則変えてはいけないけど、 見せ方は少し変えていったり、試したりして、常に実験している感じがある。

森岡
 紙はどうですか?

五味
 日本ほど紙にこだわった印刷ができる国はないんだよ。日本は紙大国で安定供給されている。
 紙は手触りや重さが大事。束見本という、まだ絵も文字もないまっさらな本の状態で本の仕上がりをイメージしている。
 例えば『さる・るるる』は思いついて作るまで6時間でできた作品。こういう軽い印象の本は重くはしない、とかね。

森岡
 なるほど。ほかに、レイアウトのデザインも異なりますね。リブロポート版では絵の下に文字があり、文化出版局版では左ページに文字、右ページに絵がきています。そして、アノニマ・スタジオ版では再び絵の下に戻されています。

五味
 文化出版局のときに、左右のページの距離感を変えるという大改造をしてみたの。今回見直して、文字を見て絵を見るのではなく、絵を見て文字を見た方がいいかなと思った。読者によっては、前のほうが好きという人もいるかもしれないね。

森岡
 デジタル技術が進歩する時代における本の役割や優位性については、どう考えますか?

五味
 いろんなメディアがある中で、デジタルと紙の本の関係を考えるのはナンセンスだよね。そこに関係はない。おめでたいのかもしれないけど、自分の周りではそういう心配している人はいない。今後紙の本が売れなくなると危険視している人はいるけど、比較するものではないよ。


生まれてから死ぬまで、
どんなテイストで生きるかは
その人だけのもの。




森岡
 五味さんにとって、もっとも価値があると思うものってなんですか?

五味
 一番は「いのち」だよね。生まれてから死ぬまで、どんなテイストで生きるかはその人だけのもの。

森岡
 五味さんご自身は、どんなテイストなんでしょうか?

五味
 俺は、小学校の頃から遊びと仕事が一緒にならないかなと思っていたの。
 たとえば、校庭に穴があって、棒をさすと虫がくっついてくるんだ。穴に棒をさすことをえんえんとしていて、それは“遊び”だよね。そのあと理科の授業で「地面の穴をみてみよう」ってなると、これは“お勉強”。でも、やっているのは同じこと。
 鉄棒が好きでひたすらぐるぐる回っていると、いつまでも回っているんじゃないって遮断される。そのあと体育で鉄棒の時間です、とかね。その遮断される感じが嫌だった。子どもは個人個人で充実しているのに、外圧で切られてしまう。飽きるまで好きなことをする人生っていうのもあるよね、と思っていた。

森岡
 ご家庭ではどうでしたか?

五味
 あとから気づいたんだけど、うちの親は子どもの遊びに口出しをしなかった。家のなかでも、人のやっていることに口出しをしないで、一緒にいてもどこか離れているような感じだった。
 自分が充実していたら、まわりを気にしないようになったのは、環境のおかげだったんだなと思う。
 遊びが遮断されてしまうということは腑に落ちない。絵を描くことは誰にも遮断されなくて、やりたいことをやりたいままやって、俺はずっと幸せなんだよ。

森岡
 たしかに、五味さんは幸せそうに見えます。自分もそうなりたいと思っているのですが。

五味
 おまえも幸せそうだけどな(笑)。仕事と人生をごちゃまぜにするといいんだよ。

 

参加するかしないか、
個人が選んでいいんだよ。


森岡
 五味さんは夜型の生活とのことですが、1日の仕事の割合やルーティンってありますか?

五味
 1日のルーティンなんてないよ。その場で決めている。ルーティンよりも体が大事だと思う。体っていうと、教育の場では、子どもの体を無視していることがあるよね。「普通は~」という言葉がまかり通ってしまっている。いろいろと余計なお世話なんだよね。自分なら、行きたくてしかたがない学校をつくるね。

森岡
 たとえばどんな学校ですか?

五味
 子どもは学校で友達に会いたいんだよ。その友達は同じ年齢でなくてもよくて、大人でもいい。学びは個人でするものなのに、学校では個人は育たないし、育てていない。子どもはいいやつだから、頑張って大人に付き合っているんだよ。そして途中で自分が分からなくなって参っちゃう。自分はこういう人間と認識するのは10歳までだと思う。教育現場では「みんな」を前提とするけど、その前に「個人」を育てないと。

森岡
 学校に行きたくないという子どももいますよね。子どもの悩みでもあり親の悩みでもあると思います。

五味
 親の顔色を見て「行きたくない」と言えない子も多いよね。学校は、お勉強を先んじたいと思う子どものためのシステムなんじゃないかな。一種のエリート社会で、勉強ができる・できないでその子の位置が確定する。勉強で先んじたい子たちは、頭がよくて社会の構造が読めている。
 でもみんながそういうふうにはできない。なぜこんなにも、競争原理、競争社会になってしまっているんだろうね。今日より明日、明日より明後日、二年生より三年生と偉くならなければいけないと、段階的な発達を信じ切っている。初等教育から競争原理が叩き込まれるシステムになっていて「いちぬけた」は落ちこぼれとなってしまう。

森岡
 そのような競争社会と向き合う可能性として、一つは、そのような社会を変えてしまおうということ。もうひとつは、仕事と趣味を合わせる。このいずれかがあると思うのですが。

五味
 それは、やるかやらないかじゃないかな。参加するかしないか、個人が選んでいいんだよ。



 以上、トークイベントの一部をご紹介しました。
 このほかにも多岐にわたるお話をしていただき、会場はどんどん熱を帯びていきました。
 40年前に誕生し、愛され続けているクリスマスの絵本『もみのき そのみを かざりなさい』のエピソード、これから生きていく上でのヒントとなるメッセージをそれぞれに感じたひとときでした。


場所/無印良品銀座店
記事/アノニマ・スタジオ
協力/清水洋平(清水屋商店代表)



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