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「働いて生きること」は、人の数だけ、物語があります。取材でお会いした方、ふだんからお世話になっている方、はたまた、仲のいい友人まで。これまでに出会った、他の誰とも似ていない仕事をしている「自分自身が肩書き」な人たちに、どのようにしてそうなったのか、話を聞きにいきました。

写真:藤田二朗(photopicnic)

自らの純粋な気持ちにどこまでも正直なものづくり

第7話 ワランワヤン 土屋由里さん


バリで初めて会って以来、バリを訪れることと彼女に会うことはイコールになった。
あの灼熱の陽射し、鬱蒼とした緑、湿気を帯びた熱気と、すべてを洗い流すスコール。
そうしたバリのムードをたたえつつ、遠く日本にいる私たちの心を捉えるプロダクトを生み出すのだ。
土屋由里さんをひらく、しごとの話。

名前

仕事

雑貨屋

この仕事を始めたきっかけ

姉とその仲間たち


土屋由里(つちや・ゆり)
1971年、東京都出身。武蔵野美術大学短期大学部卒業。2000年、ワランワヤンとして活動をスタート。2003年に拠点をバリに移し、現地の手仕事を活かしたものづくりをしている。素朴と洗練を絶妙にもち合わせたオリジナルプロダクトは人気で、バリ・ウブドに自身の店を構えるほか、日本のみならず他国にも商品を卸している。
http://warangwayan-indonesia.com/



本物に触れまくる

──ものづくりに対する興味はいつごろ芽生えたんでしょう?

私が中学2年生のとき、3歳上の姉が美術大学に進学したいということで、美術予備校に通い出したんです。予備校の話を姉から聞くのも、姉の友人たちが家に泊まりにきてみんなで課題をやったりしているのを見るのもおもしろくて。彼らが話していることも、聴いている音楽も、いままで全然知らなかった世界ですごく魅力的だった。服装も個性的で、古着なんかをうまく工夫して自分だけのおしゃれをしていてね。
その影響が大きくて、中学を卒業するころにはファッション系の仕事をしたいと思うようになってた。でも高校はまちがえて進学校に入っちゃったんだよね。私、勉強ってそこそこどころか、まったくやらなかったから超! 浮いてた(笑)。

──クリエイティブそのものというより、その世界観に惹かれたんですね。




それで結局、武蔵野美術大学の短大の、デザイン全般を広く学ぶ生活デザイン科っていうところに入学したんです。いちばん楽しかった授業は“アートマネージメント”。アーティストと社会の間に立つっていうのが興味深くて、卒業論文のテーマにもしたくらい。だから卒業後は大学に紹介してもらって、ギャラリーに就職しました。そこは人間国宝の人がつくった作品を扱うような老舗の工芸ギャラリーで、オーナーは目利きであり、パトロンであり、顧客は大企業の会長さんや社長さんで。

──入り口はファッションだったけれど、美大に通ううちに興味の対象がスライドしていって、さらにはそのギャラリーに就職したことで工芸に目覚めちゃった。

そうなんです。学生時代に憧れてたのは、いわゆる前衛的なアートのキュレーターだったはずなんだけど。同じ時期に入社した同世代の女子3人で仲よくなって、休日には青春18きっぷを買って、備前や益子なんかの窯元めぐりをしていました。20代前半の女子旅にしては渋いでしょ~(笑)。

──民芸が流行っているいまだったらわかるけど、90年代当時はDCブランドブーム全盛だから、さぞ時代に逆行する娘たちだったことでしょう(笑)。

それもあってか私たち、作家さんたちにずいぶんかわいがってもらって。1客何万円もするような自分の器が使われている料亭に連れていってくれたりして、大人の世界を垣間見させてもらった! って感じ。オーナーも、何十万もするお茶碗とか、いいものをとにかくどんどん触らせてくれて。本物を使わないとわからないからって、休憩のときに飲むお茶でも作家さんのいい器を使わせてくれていたんです。割ったらちょっと怒られるけど(笑)。あのときの経験はいま、とても役に立ってると思います。




初めてのバリとワランワヤンの誕生

でもそうやって作品に触れているうちに、自分でも何かつくりたいって思うようになったのね。それで、東京テキスタイル研究所っていうところに通い始めたの。織物の基礎コースの他に、糸紡ぎや草木染めや、いろんなクラスがあるんだけど、そのなかにインドネシアのかすり(イカット)のクラスっていうのがあって。
じつは私の叔父がインドネシアの研究者だったんです。だから家にはおみやげでもらったバティック(ろうけつ染めの布)が飾られていたし、インドネシア語が話せる従兄弟がいた。私にとってインドネシアって身近な存在だったから、その絣のクラスを自然と選択したわけ。

──行ったことはなかったけれど、親近感があったから。

そのころちょうど旅行がしたくなって、友だちと初めてバリに行ったんです。3週間の旅だったんだけど、ここでも若い女子らしくビーチに行くとかはせずに、いきなりウブドへ。とってもいいところだなあって思って。当時はもっと素朴でね。田んぼがたくさん見えてたし、夜になると真っ暗だったし。いまから20年以上も前だもの、バリ全体がほのぼのしてた。




で、25~26歳のときかな、ギャラリーの仕事を辞めてからもテキスタイル研究所には通い続けていたんだけど、やっぱりまた働こうと思い始めたころに、友だちが勤めていたお店に遊びにいって。

──サボア・ヴィーブル(六本木のアクシスビルにある工芸&アートのセレクトショップ)!

そう! ギャラリースペースもあって、陶芸品やアンティークのものなどを販売していました。私がそれまで知っていた陶芸といったら、ほんとにザ・工芸って感じで高価なものだったんだけど、そこで扱っていたのは、作家ものなのに買いやすい価格帯で。オーナーの感性でつくられた空間もすごく新鮮で自由な感じがして、ここで働きたい! って。ちょうどアルバイトを募集していて、めでたく働けることになったんです。

──そこで由里さんの仕事のパートナーとなる、石田雅美さんと出会ったんですね。

マチャミとは1ヶ月違いでお店に入ったんだけど、すぐに意気投合したなあ。
それまでもインドネシアにはしょっちゅう行っていたんだけれど、サボアで働き出してからも、年に2度は長期休暇をもらって通い続けてた。研究所の先生にくっついて、ティモールとかカリマンタンとか、バリ以外の島にもちょこちょこと。インドネシアは各地にいろんなテキスタイルがあるので、それを見るのと、大好きなウブドに滞在するのが目的で。




一方、アフリカの虜だったマチャミは、やっぱり長期休暇を取ってはアフリカに行ってた。私たちのそんな行動を許してくれていたオーナーが、現地で何か買ってきてここで売ればいいじゃないって言ってくれたの。つまり、バイトの身でありながらバイヤー的な仕事をさせてくれたわけ。自分が選んできたものを誰かが気に入って買ってくれるって、すごく嬉しいじゃない? で、そこで働いて貯めたお金でまたインドネシアに行って……という循環がとても楽しかった。

でも30歳になる目前ではたと、このままでいいのかなと思ってしまった。それで、バイトではなく、自分の仕事として好きなことをふたりでやろうよってマチャミと相談したんです。まずはおのおの100万円ずつ資金を貯めることにして。最後は弁当屋やガードマンの日雇いバイトまでやって、目標額達成まで必死にがんばったなあ。


行商のおばちゃんよろしく

──ついにワランワヤンの誕生だ。その資金を元手に、具体的には何から始めたんですか?

ふたりでモロッコに買いつけに行きました。はじめはアフリカのつもりだったんだけど、アフリカのものって買い手があんまりいないねってことになって。すごくいいんだけど、プリミティブすぎて。

──雑貨の扱いとしては、難しい。

うん。それでヨーロッパのエッセンスが入ったモロッコの雑貨がいいんじゃないかってなったんです。バブーシュなんてこんな臭いもの売れるのかなってはじめは懐疑的だったけど、ほどなくして臭くてもまったく関係なし! みたいにブームがきちゃった(笑)。置いてるだけですごいにおいじゃない?

──うちの犬、食べちゃったことあるもの。

犬は大好きだよねえ(笑)。まあとにかく、バブーシュからバスケットから、自分たちがいいなと思ったハンドメイドのものを見つけては買っていったわけ。




──ワランワヤンとしてどんなものを買うかという話し合いやテーマはあったんですか?

……うーん、とくには。話す以前に、お互いに選ぶものはわかっていたから。好みって人によって違うのは普通は当たり前だと思うんだけど、不思議なことにマチャミとは限りなくそれが近かったんです。だんだん共有されていったものではなくて、はじめからそうだったんだ。


──買いつけてきて、そのあとは?

それまでもフリーマーケットに出品したりしたことはあったけれど、自分たちの店をもっているわけでもなく、販売する手段がわからなかった。そしたら友だちがホームページをつくってくれて。

──ネット通販がまだ普及してないときですよね。

2000年代初頭だったかな。その友だちも早くに目をつけて、ホームページ制作のノウハウももってて、これから絶対こういう流れがくるからって。だから、オンラインショップを始めたら忙しくなって旅行なんて行けなくなるぞ!って張りきってた。
それなのに、あれ? 全然注文が来ないな、みたいな(笑)。これは自分たちで営業しなきゃいけないということで、買いつけてきたものをたくさん抱えて、行商のおばちゃんみたいに原宿界隈をウロついて。Zakka(原宿にある老舗雑貨店)が取り扱ってくれることになって、すごい嬉しかったなあ。いまだにお世話になっています。

──最初はそうやって卸し先を地道に増やしていって、いまでは海外にも取り扱い店があるし、マーク・ジェイコブスやブルガリといった名だたるブランドからも声がかかるようになったんですね。他人事ながらまったくもって感慨深い(笑)。




風呂とトイレと結婚と


最初は現地に行って、すでにあるものを買いつけていただけだったのが、そのうち、オリジナルまでいかないけど、色違いやサイズ違いをオーダーするようになって。でも、滞在している間に注文した品ができ上がってくるわけではなくて……。




──そうか、そのときはまだ住んでいないから、滞在期間中にすべてを済ませなければいけなかったんですね。

そうなんです。しかもサンプルと違うものができてくることも多いから、フラストレーションが溜まってしまって。当時はまだ込み入った話ができるほどインドネシア語も話せなかったので、自分の側に立ってくれる現地の人がいたらいいなと思っていたところに、いまの旦那と出会ったんだよね。

──しかも、ローカルにしてはめずらしいセンスをもっているという。

うん。インドネシアの人は往々にして飾り物が多いのが好きなんだけど、彼はシンプルなものが好きで、私にとってはそれもすごくよかった。で、親しくなり、つき合うようになり、結婚しようってなって。それなら、まずは一緒に暮らしてみなければ本当のところはわからないな、と。
それで、ウブド郊外にある彼の村に私も住みたいと言ったんです。私、幼少時代に数年間、山口県に住んでいたことがあるから、田舎暮らしにはあんまり抵抗がなかったんだよね。そしたらお風呂もトイレもなくて、川しかないよって。でもさすがにそれはちょっとってことで、簡易シャワーと洋式トイレをつくってくれて。

──結婚するにあたって風呂とトイレをつくってもらったっていう人、初めて聞いた(笑)。

でもね、そのときの彼は、自分の部屋をもっていなかったうえに、自分のすべての持ち物がカラーボックスいっぱいにも満たないくらいしかなかったの。それを見て、ものにあふれた生活をしている自分がなんだか嫌になってしまった。ああ、私ももっとシンプルに暮らしたいなあってすごく思ったんですよね。彼だけでなく、バリの人の暮らしを見ていると、宗教に生きていて、よけいなことであまり思い煩っていないっていうか。そういうことに感じ入ってしまった。
それで結婚したら、わりとすぐに妊娠して。私はバリ、マチャミはモロッコと行ったり来たりしつつ、東京で一緒に仕事をやる予定だったのが、これは腰を落ち着けなきゃということで、バリに移住したんです。




──結局そのあと雅美さんもモロッコに移住したから、ワランワヤンは基本的に離れ離れのユニットで、それぞれの地でそれぞれのものづくりをすることになったんですよね。

そう。新しい取引先のことやイベントに出るときなどは相談し合うけど、ものづくりに関しては完全にそれぞれでやっています。マチャミのプロダクトを見て、かわいいな、いいものつくってるなってびっくりすることはあっても、どうしちゃったの? みたいな違和感のあるものはいっさいなく。そこは信頼関係が確固としてあるんです。

──ところで由里さんは、バリのどんなところが好きになったの?

緑がもりもりしてるところと、目にするものやことが、やさしい感じがするところ。バリ・ヒンドゥーってほんとに独特じゃない? 人々が神さまにお祈りしてる姿を見ても、普通にバイクに乗ってる姿を見ても、生きて、生かされていることを日々感じてしまう。

──バリも東京も、どちらも好きだって言ってましたよね。

うん。のんびりしたバリと、忙しい東京と、どっちもあるのが私にはいいみたい。東京もやっぱりすごい。自分の予定したとおりに行動できるからね(笑)。電車は遅れないし、デパートのインフォメーションではすぐにていねいに案内してくれるし。日本人って責任感をもって仕事してる。こっちの人の多くがそうではないように見えるのはどうしてでしょうか(笑)?

──でも個人の責任感というよりは、デパートならデパートの従業員としての、自分の所属している立場での責任感という気がする。そこから外れると意外に親切じゃなかったりする場面にもよく遭遇するよ。

たしかに、そういうのは逆にバリの人はあったかいかも。人があったかいっていうかね。





好きな場所で好きな仕事を

バリに拠点を移してからは、ものづくりも腰を据えてできるようになりました。既存の品をオーダーするのではなくて、一からつくる。こっちでずっと使われている日用品はやっぱりここに適していて、生活に必要だから使われ続けてきているわけでしょう? そういうものからヒントを得て、日本の暮らしに合うようにアレンジしたり。

──「蚊取り線香入れ」や「amiamiかご」などね。つくれるものだったらなんでもつくりますか? ワランワヤンとしてラインナップに加えるアイテムは、なんでもあり?

これまでは家のなかで使うものがわりと多かった。家で過ごしていて心地よくなれるもので、使い方や手入れによって自分だけの風合いになっていくもの、長く使える生活道具っていうのをずっとやっていきたいと思ってきたんだけど。でも最近は、外出するときに使うようなアイテムにもっと目を向けようと思い始めているところ。



──たとえばバイヤーは自分の個人的な趣味とは別に、ブランドに沿うものを探すわけですが、ワランワヤンの場合は、ブランドのイメージが先行なのか、自分が欲しいと思ったものが結果としてワランワヤンの商品になるのか。

自分の暮らしのなかにあったらいいな、使ってみたいな、というのがすべて。じゃないと、つくれなくない?

──そんなことはないと思うよ。反対に、自分は好きだけどブランドのイメージとは違うな、ということだってあり得るし。

そうか。でもワランワヤンのアイテムは全部、自分の好きなものだな。私が使いたいかどうか、持っていたいかどうか。





──さっきの、必要以上のものは持ちたくないという話ともつながっているかもしれない。自分に素直でいればいいという意味では、非常にシンプルですね。それに共感してもらえないと、買ってもらえないけど。

うんうん、そうですね。


──自分が使いたいものを、他の人にも使ってもらいたいと思っているということ?

そうだね。そこはやっぱり仕事だから。自分が手に入れて終了だと、趣味になっちゃう。私が目利きになって、誰かに紹介できるものをつくる、ということを仕事にしたいんじゃないかな?

──なるほど、好きなことを仕事にしてるっていうのは、そういうことなのか。

だから、これは売れそうだなとか、そういう目論見は全然ない。売れそうって何だろう? 売れそうって、よくわからない。だから私は、家内制手工業で小さくやってるのかも。大人数で一斉にいいものをつくるっていうのは私には難しいし。検品にしたって、スプーン1本にいたるまで自分でやらないと気が済まないもの。だから少量しかつくれないんだけれど。






──最後の判断を自身でやるっていうのは、きっととても重要なことなんでしょうね。でも簡単に買えるものが多いなか、なかなか手に入らないっていうのも、かえっていいのかも。やっと手に入ったときの喜びもひとしおだし。今後は? バリに骨を埋める思いでいますか?

一生ここで暮らすんだって思ってたんだけど、じつはいま、ちょっと変わってきてるの。娘はインドネシアの大学には進学しなさそうだし、息子たちは日本の学校にも興味をもっていたりするので。だからどういうふうにも対応できるよう、いつでも準備しておかなきゃっていう考えはもってる。でもそれが、けっこう心地いいなって思えていて。




──自由だもんね。

そうなの! 好きなところに住んで、好きな仕事ができて、ね。それに、バリの環境も、私が暮らし始めた15年前とはずいぶん変わってきていて。家庭に固定電話もなかったような状況だったのから、いきなりすっとばして個人でケータイを持ち始めているような大きな変化で、バリの人たちの考え方も価値観も変わったし、これからもっと変わると思うんだ。だから、それにどれだけ自分がついていけるかが、ちょっともうわからないというのも、ある。




──日本にワランワヤンのお店をつくる計画はないんですか?

とくにないけど、じゃあ、つくってみようかな(笑)。


土屋由里さんの “仕事の相棒”
マチャミ(石田雅美さん)
「ワランワヤンは、マチャミがいたからこそできたこと。私はバリに、彼女はモロッコに移住したから、一緒に過ごしたのはたった3~4年間くらい。なのに、最初からいままで、考えていることやセンスがこんなにぴったり同じなのがほんとに不思議だし、驚きなんです。遠く離れたところで同じことをしている存在という意味でも、すごい励みになってる。いまだに毎日連絡を取り合っている、私のよき理解者です」



インタビュアー

野村美丘(のむら・みっく)

1974年、東京都出身。東京造形大学卒業。『STUDIO VOICE』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、旅、犬猫など自分の生活の延長上をフィールドに公私混同で活動中。座右の銘は「ひと文字ひと文字にキレあれ」。この連載の撮影を担当している夫とphotopicnicを運営している。
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