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「働いて生きること」は、人の数だけ、物語があります。取材でお会いした方、ふだんからお世話になっている方、はたまた、仲のいい友人まで。これまでに出会った、他の誰とも似ていない仕事をしている「自分自身が肩書き」な人たちに、どのようにしてそうなったのか、話を聞きにいきました。

写真:藤田二朗(photopicnic)

探偵のように推理をし、通訳のごとく仲介する

第4話 獣医師 蟹江健さん


西洋医学、東洋医学、民間療法にかかわらず、そのとき、その相手に適した治療を施す。
いつだって真摯に診察してくれるから、いつの間にかこちらの不安は取り除かれている。
うちの動物たちもいつもお世話になっている、蟹江健さんをひらく、しごとの話。

名前

仕事

獣医師

この仕事を始めたきっかけ

石黒くん


蟹江健(かにえ・たけし)
1975年、愛知県出身。転勤族で犬を飼えなかったため、(ご褒美のおやつも目当てだったが)近所の犬を散歩させてもらっていたくらい元来の動物好き。日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)卒業。大学病院、一般病院の勤務を経て、2007年にエルム動物病院の勤務医となる。2011年、同病院院長に就任。西洋医学と東洋医学の知識と経験による包括的な診察に、全幅の信頼を寄せる動物オーナー多数。
https://www.elmdoubutsu.com



──もともと動物好きな少年だったとか。

いわゆる生き物好きの子どもでしたが、まずは昆虫でした。そうなるきっかけになった友だちがいて。石黒くんという物静かな子だったんですけど、虫が好きで、すごく詳しくて。保育園で一緒にお迎えを待ってる間にいろいろ教えてくれたんです。それで自分も関心をもつようになって、図鑑を買ってもらい、絶えず調べては、石黒くんと熱く語る(笑)。その時間が楽しくて、迎えが来ないでほしいと思ったくらい。


──蟹江少年の虫好きを、ご家族は認めていたんですか?

いまでも憶えてるのが、家にゴキブリが出たとき。私は興味をもって追いかけていて、母がキャーとか汚いとか言ったんですけど、親父が母に、おまえの感情を子どもに押しつけるな、まずは本人に見させなさい、と諭したんです。固定観念を植えつけずに黙って見守れというわけです。

──たしかに、子どもは親に影響されますね。私も犬と散歩していて感じるのは、お母さんがニコニコして犬を見ていると、その子どももたいてい、そういう態度です。反対に、お母さんが犬を避けるようにしていると、子どもも怖がっている。

子どもは、親の態度に倣いますよね。


いたずら封じに手渡され

そのことがあってから母も許容するようになったので、生き物をなんでもかんでも家に持って帰るようになりました。虫の卵を見つけてきては下駄箱の靴のなかに入れてたんです。こっちの靴にはカマキリの卵、あっちの靴にはクモの卵(笑)。卵は暗くて安静な場所に置くのがいいので、うってつけだったわけです。
春先のある日には、母親に「健ー!!」と呼ばれました。「ちょっと! 押し入れ!! チョウチョ!!! 飛んでる!!!!」って(笑)。押し入れに入れておいたさなぎが孵化したんです。アオスジアゲハというきれいなチョウだったんですけどね(笑)。
卵を育てるようになったのは、小学校のときに私のいたずらを見かねた先生が卵をくれたのがきっかけでした。

──いたずらがすぎるから、卵を観察してこっちに集中してろと?

そうそう。アブラゼミを体操着袋いっぱいに捕まえてきて教室でミンミン鳴かせたり、川で捕まえた大きいスッポンを校長室に投げ込んだり。そしたらあるとき理科の先生に呼び出されて、クラスのみんなと協力してこれを育てなさいと卵を渡された。卵は葉っぱに産みつけられていて、卵が孵ったらその葉を食べるから、同じものを探してきて与え続けなさい、と。

──なんの卵かは知らされなかったんですか?

そうなんです。小学生男子の心がうまくくすぐられたんですね。チョウって劇的な変化をするので観察しがいがあるし、葉っぱ探しも探検みたいでおもしろいし。学校中を探して、その葉がクスノキだとわかりました。卵が孵って、幼虫になって、脱皮して、さなぎになったところで家に持ち帰って、押し入れにしまって……で、さっきの話になるわけです。同じころ、下駄箱の卵たちもみんな孵ったから、いろんな種類の大量の子どもたちで家のなかはエラいことになりました(笑)。

──幼少時からいままでずっと、生き物とふれ合ってきたんですね。

けっこう早い段階から獣医師になろうと決めてましたね。小学生のころは漠然と動物園の飼育員になりたいと思っていましたが、当時放映していた『わくわく動物ランド』というテレビ番組で絶滅危惧種の存在やその保護活動などを知り、動物を助けたいという気持ちが芽生えたんです。それで獣医師になりたいと思うようになりました。中学時代の同級生には、当時言っていたとおり、ほんとに獣医師になったよなあって言われます。



──子どものころの、いうなれば無邪気な夢をそのまま実現してる人って、そんなにたくさんいないんじゃないでしょうか。

思い込んで道を狭めてしまったのかもしれないので、良し悪しですけどね。


名医は名探偵たりえるか

──獣医科大学に進学する際に、病理学を選んだ理由は?

大学には病院研究室といって、病院のスタッフのように働きながら研究をする機関があるんです。実際の病院勤務と直結している内容ですから、将来、獣医師として働くための実質的な予習になります。でも反対にいうと、社会に出たら否が応でもそれをしなきゃならないわけだから、それなら、いましかできないことをしたほうがいいんじゃないかと思ったんです。それでいて実際の動物を扱える臨床に近いところということで、病理を選びました。

病理は、内科と解剖を合わせたようなものです。内科は、どういう病でそこが侵されて、どう変化したのかを診る。解剖は、動物の屍体の解剖をして体の構造を見る。その子が死に至るまでに、正常な状態からどう離れていったのかを診るのが病理です。要は検死官と同じで、屍体ではあるけれど本物の体に直に触れられるので、メスの切れ具合や臓器の感触が実感できるんですよ。

人間の医者でも、患者の顔も見ずにカルテだけ見て診察を終えちゃう人がいますけど、症状が出ている個体に触ったり、見たり、聴いたりして、五感を使って診ないことにはわからないと思います。動物は言葉で訴えられないのでよけいに、問診に該当する所見をとるには触診が重要になってくるんです。

──当時のその選択は、いまの仕事に活きてますか?

もろに活きてます。病院に来た子のお腹の音を聴いて、朝何時くらいにごはんをあげましたね、なんて飼い主さんに言って驚かれたりしますよ。まさに推理小説の探偵みたい。まずは動物のオーナーさんに聞き込みをして、病原という犯人の遺留品がないか、身体検査をして状況証拠を調べます。物品を見つけたら、指紋などが残ってないか、つまり血液検査やレントゲンといった科学的検査をする。で、犯人が見つかったら、薬という暗殺者を送るか、それとも自らがメスをふるうか、みたいなね。好きなんですよー、ミステリー(笑)。


「もし、頼もう~」

──卒業してすぐには獣医師にならなかったそうですね。

就職したらその先はずっと仕事に専念しなくちゃならないから、その前に1年間だけ自分のために使おうと思いました。それで海外へ放浪を。学生のころから東南アジア、オーストラリア、南北アメリカ大陸、南極など、バイトで稼いではあちこち出かけていたので。

──どうして旅行が好きになったんですか?

やっぱり出会いですねえ。知らない場所に行って、そこでないと食べられないもの、見られないもの、できないことを、生で体感したかった。知ることが好きなんですね。ギターが弾けるので、言葉は通じなくても音楽でコミュニケーションはとれるし。

──コミュニケーション。人にも興味があったということですか?

それもあると思います。そのとき会えた人と、いっときでも仲間になれるというか。そういう出会いを求めて出かけていたところはたしかにありますね。

──旅から戻ったあとは?

出身大学の大学病院に1年間勤務しました。でも大学病院はあくまでも二次治療施設で、一般病院での診察後に特殊な技術で診るのに集中してしまって、ちょっと偏っているんです。それで、もうちょっと地域に密着したところで診たい、患者の最初の不安を診る第一医療施設の医者になりたいと思いました。いわゆる町医者になりたかったのです。そんなわけで、大学で講師をやっていた先生の開業病院に入りました。



──そこで4年勤めたあと、現在、院長をされているエルム動物病院に転職したのはなぜだったんでしょう?

外科的な技術をもっと身につけたかったからです。前の病院では、すべてのオペを院長が手がけていました。もちろん手伝ってはいましたが、自分で診て、自分でその責任をもちたかったんです。技術と知識で経験を積んで自信をつけないことには、将来的に独立できないと思ったので。

エルム動物病院は偶然、見つけました。ちょうどエルムが移転改装するときで、スタッフになれたら新しく病院をつくる現場を見られますよね。これは自分が独立する際に参考になるにちがいないと思って、スタッフ募集はしてなかったんですけど「もし、頼もう~」と(笑)。

──それが2007年。そして、前院長の提案を受けるかたちでエルムを譲り受けることになったのが2011年。

ゼロからやりたい気持ちがあったので悩みましたが……。自分を信頼して通ってくれている患者さんの存在もありましたし、どこの馬の骨かも蟹の殻もわからない者が(笑)病院を新設したところで、このご時世、やっていけるのかという不安もありましたし。

──先生が別のところに行ってしまっていたら、我が家の犬猫たちが路頭に迷うところでした(笑)。





正しいこととは何か

──とくに好きな動物はいますか?

生き物全般なんでも好きですね。硬い羽のなかに柔らかい羽が入っているてんとう虫の構造が衛星に応用されているとか、ライオンの狩りの仕方はラグビーにそっくりだとか、それぞれにおもしろい特徴をもってるから。

──それぞれの違いがおもしろい、というのはよくわかります。たとえば狭いところでいうと、どちらも飼ってる身としては、犬派か猫派かなんてくだらないと思っちゃう。犬は犬で、猫は猫。どちらもそれぞれにいいんであって、べつに比べるものではない。

たぶん知らないだけなんですよね。知ると身近に思えるから、おもしろくなると思うんですけど。

──蟹江先生のように、動物が好きだから獣医師になったという人は多いと思うんです。ところが実際に獣医師になったら、むしろ人とのつきあいになりますよね。動物以前に、まず飼い主と対面しなければならない。

小児科医と近いですよね。赤ちゃんの不調の理由がよくわからず、不安な気持ちで来院するお母さんの心理を察しつつ、その子の病状を理解したうえで、きちんと説明をする。動物も飼い主も赤ちゃんも親も、みんなが納得して安心できる状況にならなければ治療にならないという。


──お医者さんが大変な職業だなと思うのは、まさにそこで。不安だったり、体調がよくなかったりと、基本的にはハッピーでない状態の人を相手にしなければならないから。

その気持ちを汲んであげられるよう、こちらがいつもハートウォームな状態で受け入れられないといけない。患者本人はもちろんですが、家族がどう思っているかも同時に見なければ、治療の方向は定まりません。一方的にこちらの考えを押しつけても、それがたとえ正しかったとしても、オーナーが納得していなければ成立しないんです。ある意味、言葉が話せない動物の通訳が、私たちの仕事。動物と飼い主の橋渡しだと思っています。

──究極な話、延命処置か、安楽死か。何が正しいのかなんて誰にもわかりません。ということは、飼い主が納得できるかどうかにかかってきますよね。

自分の経験、知識、技術をフル動員して、考えて考えて、決断して、実行する。それに飼い主が納得してくれて初めて治療になります。手を下さないっていう実行というのも、またあるんですけどね。とくにこの仕事は命に直結するから、ひとつひとつの判断にすごく責任を問われるんですけど、でもそれが乗り越えられたときにおもしろさややりがいが出てくるし、責任感が芽生えて次に向けてがんばろうという気持ちにもなります。

極めれば、対極もまた極まる

──論理的思考とインスピレーションって対極のようにいわれることもありますが、それまでの思考や経験の積み重ねが多いほど、要するにデータベースが豊富になるほど直感が冴えるそうですね。つまり相対することではない。蟹江先生の診察は、どちらも併せもっているように感じます。

東洋医学でいうなら対極図ですよね。極めれば、反対側の物事も見えるようになる。獣医師になったばかりのとき、動物の異変にいつも真っ先に気がつく先輩がいて、なんでだろうと思ったことがあります。自分もそうなるためには、しょっちゅう様子を見にいけばいいのかなと思って、ちょこちょこ見まわりしてたんですけど、やみくもにそうすればいいわけでもない。その子の状態をきちんと把握して、普段から意識して気にかけていることが大事なんですよね。


──先生が東洋医学を勉強されたのは院長になってからですけれども、そういった部分をさらに強固にしたのでは?

そうですね。東洋医学はそれこそ科学的な検査がない処置で、まさに経験の積み重ねなんですよね。

──そうか。数値で見ませんもんね。

はい。なので、究極の直感なんですよ。視力を失った人が聴力が敏感になるのと似ていて、ひとつの感覚を研ぎ澄ませることができれば特殊能力になる。他の能力もそこに追いつこうとするので、いろんな感覚が冴えてくるんです。
自分に東洋医学的見地がプラスされて、全体的に診ることができるようになったし、身体検査がますます大事だと思うようになりました。西洋医学と東洋医学のそれぞれのいいとこどりをして、どちらかに偏らないで治療ができればいいですね。

──東洋医学を学んだのは、やはり前院長の影響ですか?

ほんとに効果あるの?って、最初は懐疑的な部分もありました。でも前院長が、食滞で便が出ないというウサギに鍼を打ってお灸したら、その場でポロポロ出て。オーナーさんが「嘘じゃないんです、ほんとに便が出てなかったんですよ!?」って。

──即効だったんですね。

それを目の当たりにしたときに、すごいのかも、と思って。いま、自分が担当している症例でもはっきり効果を感じています。腎不全で数値を振り切っちゃった17歳のネコが、お灸だけで絶好調になりました。腎不全は治るものではなく、歳をとるほど悪化していくのが普通のはずなのに、どんどん数値がよくなってるんですよ。いま正常値になっちゃってるんですもん、西洋医学的にはあり得ないですよ。

──うちの老猫も鍼灸をしてもらうと、とたんにピッカピカの毛艶になって、家中を走りまわります(笑)。



どこまでが獣医師の仕事?

──仕事のうえでのモチベーションはどこにありますか?

ありきたりかもしれないですけど、治療がうまくいって、オーナーさんと動物が元気になったとき。基本的には不調や不安な状態で来てるので、診療というのはどうしても笑いが出る場ではないじゃないですか。だから、最終的に笑顔で帰ってもらったときですかね。

──でも、エルムはけっこう笑いの多い病院だと思います。みなさん楽しそうに仕事していて、病院の雰囲気がいいんですよ。いつも言うことですが、うちの動物たちはエルムに行くのを嫌がりませんから。むしろ積極的に入りたがるくらいで。

たしかにそう言ってもらえることはあります。よそに行くと震えちゃうんだけどって。でも、オーナーさんの気持ちが動物に通じちゃってるところも多いはず。飼い主の気分が動物にも影響するので。とくに犬はダイレクトに伝わってしまいます。

──そう思います。でも、大好きな動物に嫌われる役目でもあるのって、悲しくならないですか?

注射したり手術で痛い思いをさせたりする張本人ですから、嫌がられるのは普通の反応だと思う。だから、そこにジレンマはないですね。それより、治療したことで、噛んでこようとするくらい元気が出てきたら嬉しい。それがモチベーションになるんですよね。

──子どものときに想像していた将来の自分の姿といまの自分の状態は、合致してますか?

30歳くらいで結婚して35歳までに独立する、という中短期的なヴィジョンは実現しています。自分で敷いたレールはおおよそ通ってこられました。旅なんかは予定外の脱線ですけど、本線には戻ってきているので。
長期的なヴィジョンは、今後のことです。いまの状況で60歳まではバリバリやるつもり。手と目がしっかり働いて、体力も必要な外科手術ができるのは、それくらいまでかなあと。そこから先は、ペースは落とすかもしれないけれど、鍼灸を主体に診察は続けたい。鍼灸は経験と感覚を研ぎ澄ませるほどに活きてくると思うし、そうすることで自分の獣医師寿命も伸びると思うので。

──ずっと町医者でありたいという気持ちがありますか?

あります。自分が第一線でメスを持つことはできなくなっても、鍼は持てると思ったので。それで、地域相談所じゃないですけど、入り口としての診断医をやるようなイメージです。
アニマルカウンセラー的な、お茶を飲みながらアドバイスしたり動物の話をしたりできるような場所をもつのもいいなと思ったり。じつは私は紅茶が大好きで、いまの仕事をしてなかったら喫茶店をやっていただろうと思うんです。とにかく地域貢献がしたいんですよね。動物たちのおもしろさや命の大切さを伝えるのも、獣医師の仕事のひとつとしてあっていいのかなと思っています。





蟹江健さんの “仕事の相棒”
スタッフ全員
「ものはなくても何かで代用できますが、人は応急処置が効きません。うちに長年いてくれて、うちのやり方も道具も知っていて、理念も経験もあって、というのはもうその人しかいない。信頼できるスタッフがいてこそ、いま自分は仕事ができている。家族のようなものですね。病院はともすれば、命を預かっているという大義を盾になんでもやらせて、いとも簡単にブラック企業になりえてしまう。そんななかでも、モチベーションをもって働きやすく、その人のパフォーマンスを発揮できるような環境をつくっておかなければと思っています」



インタビュアー

野村美丘(のむら・みっく)

1974年、東京都出身。東京造形大学卒業。『STUDIO VOICE』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、旅、犬猫など自分の生活の延長上をフィールドに公私混同で活動中。座右の銘は「ひと文字ひと文字にキレあれ」。この連載の撮影を担当している夫とphotopicnicを運営している。
www.photopicnic.pics


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