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第6話 わたしという殻


 さまざまな出会いを経て、家族で週末、馬に会いに行く日々がはじまった。通いはじめてしばらく経った頃、カムロファームに競走馬とホースセラピー両方の世界を知る馬の人、山住弘明(やまずみひろあき)さん(ズミさん)が新たに入られた。それから私たち家族は、主にズミさんを介して馬について学ぶようになっていった。




娘にひき馬をしてくれているズミさん


 この日もいつものように厩舎(きゅうしゃ)の掃除からスタートした。3頭分を黙々とすすめていくと、馬ごとに匂いの違いがあることをはじめて感じる。掃除が終わると「今日は調馬索(ちょうばさく)をやってみましょうか」とズミさんから提案される。調馬索とは、無口頭絡(むくちとうらく)という馬の頭につけた道具に平たいロープを通した状態で、人を中心にした円状の運動を行うもの。
 馬のいる放牧地に入り、道産子のオーロラに手綱をつけて、馬場の真ん中へ。ロープを頭絡(とうらく)にとりつける。ズミさんからオリエンテーションを受ける。人と馬が、横並びになっている状態から、馬に同心円状に離れてから歩きはじめてもらわなければならない。歩きはじめは、進行方向へ馬の鼻先を向け、その方向に手で力を加える。馬の移動の推進力をつくるのは後ろ足なので、同時に目線は後ろ足へ。馬が思った方向へ歩き始めたら、馬だけを集中して見るのではなく景色も含めて全体を捉えながら観察する。歩くのをやめようかな、という馬からのサインを感じたら、歩くことを続けるように指示を出す。これが、上手い人になればなるほど、動くことなくそのイメージを馬に伝えられるようになる。見ている側には全くわからない小さなサイン(例えば筋肉の動き、指の動きなど)によって成立する世界である。ゆっくり歩く並足(なみあし)を5周ほど続けたら、走る動作(早足はやあし)へと移していく。早足を言葉以外のサインでどのように馬に理解してもらえるのか、さっぱりわからず困惑していると、ズミさんから「早足を続けている時に自分の中に明確なイメージ、どのような動きをしてもらいたいかを鮮やかに思い浮かべるんです」とアドバイスを受ける。こちら側のイメージが意思となって伝わり、それが馬のエネルギーとなっていくそうだ。ズミさんとオーロラを見ていると、活き活きとテンポよく走っていて、ズミさんのイメージがオーロラに伝わっているのが確かにわかる。しばらくして「今から自分の中にあるイメージを手放しますね」とズミさんが言うやいなや、一気にオーロラの走る速度が落ちた。「もう一度イメージしますよ」というズミさんの声と同時にオーロラはまたテンポよく走り出した。もう魔法にしか見えない。

 「一人でやってみましょう」とズミさんから赤いロープが手渡された。横並びになる私とオーロラ。教わったとおり、歩く方向を示すように鼻先を押してみる。歩きはじめるオーロラ。しかし、すぐに私の方に顔を向けて止まってしまう。「もういい?」とでも言いたげな表情でこちらを見ている。「ちがうちがう。歩きつづけようね」と思わず、伝わるはずもない言葉を発してしまう。もう一度トライ。しかし、何度やっても私の方を向いて止まるオーロラ。苦戦していると、離れて見ていたズミさんがやってきた。「ちょっと見ててくださいね」と、私の横に立って、腕を一瞬小さく曲げると、あれだけ動かなかったオーロラが一気に走りはじめた。一体何が起こったんだろう。「よく観察して下さい。止まる前に馬はサイン出してますよ。その時すかさず、こちらからもサインを出してください」とズミさん。



調馬索の様子。並足をかろうじてしてくれているオーロラ

 なるほど、必要なのは観察力。集中して観察すると、表情が変わったり、頭を下げたりするオーロラのサインが見えるようになってきた。オーロラのサインを感じたら、すぐその瞬間にこちらもすかさず応答する。すると、オーロラが完全停止することがなくなった。ゆっくり歩く並足(なみあし)ができるようになった。次は軽く走る動き、早足(はやあし)への移行を試みる。「はやあし!」と声をあげながら、手を振り下げたり、大きな動きをしたりしてみるけれど、全く走り出す気配のないオーロラ。ズミさんからまたアドバイスが飛ぶ。「どんな方法で伝えてもいいんです。走ってほしいことが伝わればいい。でも、自分の殻をやぶらなければ伝わりませんよ。いまのままではあなたがリーダーだということは伝わりません。どうしたら伝わるでしょうか」
 ズミさんの言葉が全身に染みていた。それは、当時私が仕事の中で感じていた壁について言われているようだったから。



冬場は2メートルほど雪が積もるため、雪の壁で馬場をつくる

 カムロファームに通いながら保育園開園の準備をし、2017年9月に開園。私は、にわか園長になった。立ち上げ自体にも困難はあったけれど、本当の壁は何もかもが順調に進んでいるように思えた幸せな数ヶ月を過ぎてから現れ、徐々にその厚みを増していった。
 保育の現場は「関係性」そのものが仕事であり、無数に交わされる応答の一つひとつがその場の質の根幹を担っている。私がこれまで経験してきた、目標があり着実に実行していくような「仕事」と、保育現場での「仕事」とはその本質が全く異なっているのだ。予想はしていたものの実際にやってみると、どこに焦点を合わせたらいいのかが掴めない。開園してしばらくの間、オペレーションの改善を進めていく中で迷うことが多かった。ルールをつくることでこぼれ落ちていくものが確実にあるからだ。ルールは最小限にし、曖昧な領域をできるだけ残しておくことで、個別ケースに応じた対応が可能になる。そしてその判断をチームの誰しもができる意識の質を育まなければ、安易なルールづくりへと流れてしまう。でも、焦点が合わないメガネをかけている私には、みんなの意識の質へ働きかけていくこと自体がとても難しい。加えて、プレイヤーからリーダー(園長)へという、役割の変化。保育の現場で働いたことのない私がリーダーなのだから、わからないなりに模索するしかない。そんな私の模索ぶりと共に働く人の信念とがぶつかりあって摩擦が生じることもあり「あの人は何もわかってない」と陰で囁かれるようになっていた。自分に全く自信が持てず、不安で押しつぶされそうな時だったから、ズミさんの言葉が芯まで堪えた。

 誰かに見られていることを意識している私。誰かからの評価から逃れられない私。そういう私の無意識が、オーロラとの今に向き合う真剣さを阻んでいたことに気付かされた。そしてそれはオーロラとの間だけで起きていることじゃない、ということも。自分の中にある「恐れ」に向き合わなければ次の道は開かれないと、言われている気がした。



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遠藤 綾(Aya Endo)

やまのこ保育園 園長/ライター/編集者。
2005〜07年九州大学USI子どもプロジェクトで子どもの居場所づくりの研究に携わる。2008年から主に子ども領域で書く仕事、つくる仕事に携わりながら、インタビューサイト「こどものカタチ」を運営。2013〜16年 NPO法人SOS子どもの村JAPANで家族と暮らせない子どものための仕事に携わる。運営していたインタビューサイトをきっかけに山形県鶴岡市にあるスタートアップ企業に出会い、2016年に移住。2017年やまのこ保育園home、2018年やまのこ保育園を立ち上げ、現職。



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