タイトルデザイン:峯崎ノリテル ((STUDIO))
アノニマ・スタジオWebサイトTOP > わたしをひらくしごと もくじ >まだまだ続く!わたしをひらくしごと 針江のんきぃふぁーむ 石津大輔さん(米農家)
「働いて生きること」は、人の数だけ、物語があります。取材でお会いした方、ふだんからお世話になっている方、はたまた、仲のいい友人まで。これまでに出会った、他の誰とも似ていない仕事をしている「自分自身が肩書き」な人たちに、どのようにしてそうなったのか、話を聞きにいきました。
写真:藤田二朗(photopicnic)
食べ物をつくる真価と、食べる行為の真理のはざまで
針江のんきぃふぁーむ
石津大輔さん(米農家)
答えは食に、生まれ育った土地にあった。
そしていま、原点から見据えるのは
未来の自分たちの仕事と
それからやっぱり、人間のありよう。
石津大輔さんをひらく、しごとの話。
◉ 名前
米農家
◉ この仕事を始めたきっかけ大人の思春期の訪れ
石津大輔(いしづ・だいすけ)
1981年、滋賀県生まれ。専門学校進学の際に実家を離れ、在学中より大阪にて古着屋を経営。2005年、どう生きるべきかという命題に突き当たり、故郷に戻り家業「針江のんきぃふぁーむ」に就農。有機栽培の米のほか、大豆やマクワウリなどを栽培し、餅や米菓子といった加工品も手がける。米はコペンハーゲンの世界的レストランNomaに採用された実績も。有機JAS認証検査員。たねと食とひと@フォーラム共同代表、成安造形大学招聘教授といった顔ももつ。
https://nonkifarm.com
昼は学生、夜は古着屋
──もともとのお仕事はファッション関係で。ファッションに興味をもったのは高校生のときかな。色気づく年頃で「モテたい」しか頭にないじゃないですか(笑)。年末年始は東京に行って、ラフォーレ原宿に並んで、福袋をいっぱい買って。寒いから、明治神宮の初詣の人混みに紛れにいって、あったまって(笑)。当時はまだ関西で売ってなかったブランドの服を、関西に持ち帰って古着屋に買い取ってもらうと、儲かるんですよ(笑)。
──転売ヤーの走りじゃないですか(笑)。
むちゃくちゃ非効率だけど(笑)。それで味をしめて、クラスの友だちが着なくなったブランドの服を預かって、月に一度、京都の鴨川のほとりでシートを広げて売ってたんですよ。1998~1999年くらい。そのときにファッション関係の人と知り合ったりして。
──高校卒業後、大阪の服飾専門学校に進んだんですね。
ものづくりに対するリスペクトはずっとあり、手に職をつけることへの憧れがあったので、オートクチュール学科っていうところに入りました。そこの学生だった19歳のときに、大阪で店をいろいろやってブイブイいわせてる人と出会ったんです。井上さんっていうんですけど、僕の人生はそのおっちゃんから強烈に影響を受けてるんですね。いまでもつき合いがありますけども。
20歳のとき、空き家があるから何かに使わないかって井上さんに言われて、勢いで古着屋をやることにしました。9月にオープンして、とりあえず年内までと思ってた。翌春には卒業だったんで、当初は就職も考えてたんですよね。
学校から帰ってきて、夕方から夜中まで店を開けてました。家賃は12万くらいだったかな。学生の身ではちょっとしんどかったけど、なんとかクリアできて。あ、案外いけると思って結局、就職せずに、そのまま古着屋を続けました。
大人の思春期がやってきた!
店を始めて3年目、24歳のときに、大人の思春期が訪れて。仕入れで海外にいろいろ行くなかで、経済的に豊かではない国の人たちのいきいきと暮らしている様子なんかを見て、幸せってなんなんだろう、なんて思うようになって。同時期、やたら本を読んでいたんです。ファウストとか河合隼雄とかコリン・ウィルソンとか、頭のなかをごちゃごちゃにされるような本とたくさん出会ったのも、相まって。──自分の知らない生活や思想を、たくさん見聞して。
こんなこと言うの恥ずかしいんですけど、生きるとはなんぞや、みたいな思いにはまり込んでしまったんですね。で、人間らしく生きたい、このままじゃあかん、人生を変えよう、と。
──人として生きる根源のところを自問した。
うん。衣食住でいうたら、服は暖かい上着とパンツ一丁あったらなんとかなる。寝るところも、自分はそれまでいくらでも野宿してたし、原宿のプリクラのなかで夜を明かしたこともあるから(笑)、なんとかなる。でも食べ物だけは、お金を介在させなければ得られなかったんですよね。
で、よし、自分で食べ物をつくれる人間になろうと思ったときに、ようやく父親の姿が見えたわけです。それで、父親に頭を下げに、実家に帰りました。
──家業は農業で。継いでほしいと言われたことはなかったんですか?
そもそも親父とコミュニケーションをとったことがほぼなくて。男親ってまあまあありますやん、そんなしゃべらへんし、そもそも親父もそういうタイプじゃなかったし。でも母親から聞いたところでは、農業高校に行かせたいとは思ってたみたいですけど。
それまでは僕、家が農家だっていうのがコンプレックスでしかなかったんですよ。軽トラとか長靴とか、泥だらけとか汗くさいとかで、農業ってかっこ悪いと思ってたから。
で、いきなり店を閉めるのはお客さんに不誠実やと思ったんで、そっから週3は大阪の店、週4は滋賀の実家で農業やるっていう生活を1~2年やって。そのあと農業一本になりました。
──最初はお父さんと、弟さんも一緒に農業をやっていたんですよね。
僕は最初は頭でっかちになってたのもあって、親父とは、まあ喧嘩しまくりました。でももう親父は引退したし、途中からは好き放題やってます(笑)。
──お父さんから代替わりして、何が変わりました?
いまはオーガニックが8割で、減農薬と、除草剤を1回使ってるのが2割なんですけど。もともとは比率が逆だったのをスライドしてきたって感じですね。
まず、当時はネットに無農薬の農業の情報はあんまり出てなかったから、『現代農業』っていう雑誌を見て、こんな農家さんいるんや!って知ったり、東は埼玉から西は九州まで、いろんなところに話を聞きにいったり。それで自分もできるぞってなって、無理やり変えていったけど、全部自然栽培に変えるってストイックにやりすぎて、首吊る寸前まで行ったので。いまはシンプルな原料しか使わないなど、自分なりのポリシーで基準を決めたうえで肥料を使うようになって。販路は、秋に農協をとおして生協さんにドーンと出して終わりだったのを、個人のお客さんや飲食店との取引を増やしていきました。
あとは、作業を削いでいくっていうのもやってます。たとえば、ビニールハウスは雪で壊れてから使ってません。気候も変わってきてるので、それで全然問題ない。草刈りも、刈ることが絶対だと村の農家の人たちは思っていて。景観は確かに綺麗になるんですけど、いまの夏の暑さのなか、命を危険に晒すことと天秤をかけたら、そこまで意義があることとは思えない。そういう感じで、自分が求めている本質に必要なものは何かっていうジャッジをして、毎年1個ずつ仕事を減らしていけたらいいなって思ってますね。
──そういう実験は、1年に1度しかできないですもんね。
そうなんですよ。だから失敗もいっぱいしてきましたけど。でも、本当にやらなあかんのかっていうのを全部クエスチョンつけてって、いらないと思ったものは、やらない。ただし、村の人たちとも調和しながらね。
汚しながら生きていく
いま、自分の仕事がこの先どうなっていくのかに興味があります。フードテクノロジーの進化で、これだけ食べてたら生きていけますよっていうバイオフードが出てきているのはひとつ、着眼点としてはすごい大事なことだと思っていて。で、いまや大気中からたんぱく質の粉体が生成できるんですよ。──!?!?
その粉が、肉になる。いうたら、空気から食べ物がつくられるっていう段階にきているんです。コストが合わないから実用化にはいたってないけど。それを『Wedge』で読んで、うわあ、すげえ、空気から食いもんかよ!と思うじゃないですか。それで、『ドラえもん』を思い出しまして。
──聞きましょう(笑)。
僕の子どもが小さい頃に、『ドラえもん』ループ時代というのがあって(笑)、ずっと『ドラえもん』ばっかり見てたんですよ。そのときの記憶に残っているのが、植物工場の話。いつもの5人で22世紀に行くんです。タケコプターでみんながプルプル飛んでる下にはアマゾンみたいな森林が広がっていて、そこから煙が上がってる。ジャイアンがクンクンいいにおいだ言うて、においの元をたどって降りてくと、工場があるんですよ。工場では、食パンの形したものがベルトコンベアで延々と流れてる。それをジャイアンが食べて、うまい!とか言ってる。いいにおいの元は、それやったわけです。で、追いかけてきたドラえもんが、この原材料は水と空気で、太陽光と水力と風力でエネルギーをまかなってる完全無人の食品工場なんだ、と説明するんです。『ドラえもん』の世界、すげえな!って戦慄して。
──時代を先取りしてますね。22世紀の話だけに(笑)。
空気から食べ物をつくるってことは、環境を汚していないということですよね。これを自分の仕事に置き換えてみると、有機や無農薬をやってると、環境にいい農業をしているという捉え方をされることがあるんですね。僕はそこにジレンマがあって。というのも僕らは、遠くから運ばれてきた中東の原油と、どこかの国の鉄鉱石かなんかでできたトラクターを使って、農業をしている。それから、うちは餅の製造販売もしてるんですけど、商品をビニールのパッケージに入れたりなんかするわけですよ。
つまり自分たちが仕事をすればするほど、膨大なエネルギーを使い、環境にダメージを与え、そのことで消費がまわっていく。そういう現実的なところを見たときに、『ドラえもん』のあの世界が成立したら、自分たちの仕事はどういう意味をもつんだろう、と。
ロバート・キャパの名言がありますよね。自分の仕事がないことがすばらしいことだっていう。
──戦場カメラマンの仕事がないイコール、戦争がないということ。
それに被せていうなら、自分の仕事がないほうが幸せだという時代がくるのかもしれない。それを、農家はちゃんと自覚しないといけない。
たとえば、遺伝子組み換え技術を駆使したバイオテクノロジーを使って、極限まで効率化した原料でつくった液体が、じつは環境に最もよくて、それを飲むだけで生きていけるとなったとき、僕らの仕事はどんな見え方をするんだろう。
──それは生命維持のためのたんなる栄養摂取であって、食事の喜びとは違う次元な気がするけど。
うん。おいしく楽しくごはんを食べるのは、僕にとっても大事な価値観ではある。そういうことを含めて、自分たちの農産物から次にどうつなげられるんだろうっていう。僕は潔癖は無理やし、リカバーできれば、ある程度汚していくっていうのは当たり前のことやと思うし。
──そうですね。生きている限り、どうしてもそうなりますよね。
そうそう。僕らは何かしら、多少汚しながら、人生を楽しまないといけなじゃないですか。そこにこそ、生きている意味があると僕は思う。
食べ物をつくる意味、食べるという行為の意味
環境にいいことだけをしたかったらほんま、『マトリックス』の世界が正解なわけですよね。だけど、バーチャルななかで満足することを僕は望んではいない。地球のため言うんやったら死ななあかんっていう極論には共感しかねるけど、言わんとすることは、わかる。昔は外部からのエネルギーなしに、地域だけで全部循環していて。日本も、ところ変わればかたちが変わるっていうのがたぶんものすごく複雑にあったはず。それがいまは均一になりつつあるのが、僕は問題やと思ってる。地域が地域らしくある、そのカルチャーがやっぱり最高の魅力じゃないですか。
──ローカリズムがなければ、旅に出る理由もなくなるし、そもそも他人と交流するおもしろみが半減しそう。だからいま僕は「農」と「農業」と言葉を使い分けて、新しい概念みたいなことを人に話したり、学生に教えたりしてるんですけど。食べるという行為は生きるためだけじゃない。そういうところに価値観を見出すしか可能性はないと思っていて。バイオフードに勝つにはね。そういうなかで、いま僕たちがやってる農業という仕事が、いつまで、どういうかたちで残るんだろうっていうことに興味があるんです。
でね、2024年の冬に1ヶ月、イタリアに行ってて。長靴のふくらはぎ側の、いろんな地方をまわったんですけど。
──旅行ですか?
一応、僕、ある市民団体の共同代表をやっているんですけど、地球環境基金から助成金をいただいて。
──視察だ。
そうそう、リサーチでね。すごいおもしろいなと思ったのが、どこの地域に行っても、食べ物はチーズ、ワイン、肉の加工品、パスタの4つ。だけど、その4つの内容は地域によって全然違っている。
──おらが村へのプライドが、ものすごく高いですからね。スローフード運動が生まれた国でもあるし。
そうなんですよ。地域と密着した、それこそが本当のすばらしい文化で。僕はそれが大事やと思っているんだけど、日本は、とくに地方ではそれが急速に失われているから、そのことを日本で整理してちゃんと考えていかないといけない。
──空き家を改装して民泊にするなど地域の活動をしているのも、その思いと絡んでいそうですが。
僕らの最大の弱みは、土地を動かせないっていうこと。うちがたとえいい米をつくって評価をもらっていたとしても、なんらかの外的要因ですべてがなくなってしまう事態が起こるかもしれない。東日本大震災のとき、福島でそれを目の当たりにしたので。だから、いまは8割が米による収入なんですけど、商売のかたちを少しずつ変えていかないといけないということもあるんです。
でも、その弱みは同時に強みでもあって、自分たちが仕事ができているのは、この地域があるからこそなんですよね。正直、それまでは自分は村はべつに関係ないと思っていたんだけど、地域との結びつきが本当の意味で理解ができてからは、消防団に入って、班長になって。ポンソウの練習をやって。
──ポンソウ?
消防ポンプなんとかっていう、田んぼがいちばん忙しい時期にその大会があって(消防操法訓練大会。消防ポンプ車を使って標的を倒すまでの時間や操法の正確さを競う)、でっかい声出して練習するんですわ(笑)。それでいい成績を残してもうたおかげで、村の評議員に入れられてしまって。そこから2年間、草刈りしまくって土日がほぼなくなるという(笑)。
一隅を照らすことならば
──でも、村に溶け込む、すごくいいきっかけになりましたね。そうなんですよ。それで村の人と距離も近づいて、話をする人も圧倒的に増えたんで。地元をちゃんと見ていくと、みんなの考え方を理解しようってなってくる。そうするとやっぱり、村のためにっていう気持ちが強くなるし。
僕、出身高校が比叡山高校っていって、最澄さんが創始者とされていて。当時は坊主くそくらえくらいに思ってましたけど、最澄の「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」っていう言葉があるじゃないですか。いまさらながら、それがむっちゃいいなと思って。僕なんか大きいことは全然無理やから、とりあえず針江だけでええやんと思って。
空き家とか工場跡とかね、よそに迷惑かけんために、みんな潰したがるんですよね。更地になっていきつつあるのを、大事な場所は維持したいなと思って。移住者に購入してもらうとか、旅行者には民泊として利用してもらうとか。そうすることで結果的に針江にお金が落ちて、針江の人が喜んだら、いろんな意味で自分らも住みやすくなる。そうなってほしいっていうのはいま、素直に思っていて。針江で金儲けするのはどうやねんっていう空気は正直まだあるけど、空き家はどんどん増えるし、農業をやめる人もいっぱいいるのは実情だし。村の課題にはぶつかってはいますけど、集客もできるような地域にしてはいきたいとは思ってます。
──「宿り森」はそのひとつですね。
はい。住人がいなくなって以降、地域のボランティア団体が宿として運営していた家です。他県から友だちが来たらそこに泊まってもらったりして、僕はそこをけっこう利用してたんですよ。で、赤字も赤字やしもう手放すって決まったときに、そのまま引き取りました。宿泊客にはここの地域を味わってほしいというのと、そもそも村のためにという目的があるので、地域に迷惑がかからないよう、やさしくやさしく、やっていきたいんですけどね。
他にも、これから空き家はたくさん出てくるのと、あとは撚糸工場跡とか空き倉庫がいっぱいあるんですよ。移住してくれる人がいたらベストなんですけど、そうでなければ地域か僕が維持管理するつもり。それを徐々に針江に還元できたらいい。
あとね、村のじいさんばあさんの知恵が僕、すごく好きで。この地域のことをよく知っているから、それをなんとか残されへんのかなと。いうても100人くらいなんで、そういう人たちの自伝みたいなものがつくれたらいいなとか思ってるんです。
──個人的なナラティブなデータは、残さないと、本当に消えてしまいますからね。
それをストックしておくところがあれば、村から出た人であっても、気持ちのつながりみたいなのができるかなって。村の足跡を残せるような場所もつくりたい。おばあちゃんに話を聞きに行ったら何時間も拘束されてまうのが、ちょっと難点だけど(笑)。
──針江の人口は何人くらいですか?
いまね、500人ぐらい。
──100×3時間か。いけるかもしれない。本をつくったらいいですよね。
地域のためになりますよね。関係人口を増やしていくのは、人が減っていく地域にはすごく大事なんかなと思っていて。ただし、それを急激に事業でやります!ってやってハマるかというと、そういうことでもない。だから、自分にしかできんのかなって思ってます。仲間もいますしね。
石津大輔さんの “仕事の相棒”針江の水
「農業するために針江に戻ってくるまでは、水の貴重さなんて考えたことないですもん。子どものころは生水飲んだらあかんって言われてたし、親は福井県の瓜破までポリタンク持って水汲みに行ってたくらい。村の人は、浄水があるからって家をリフォームするとなったら川端*を潰してたしね。そもそも僕、田舎にはどこにでも川端があると思ってましたから。外へ出て、自分がどれだけ恵まれてたかわかりました。この水のおかげで米もつくれてるってことを、いまはちゃんと飲み込めてます」
*生水の郷として有名な針江には、湧き水を利用した家庭の炊事場“川端”があり、現在も100軒ほどの家に残っている。比良山系の伏流水が針江に湧き出し、川端を通じて集落共同の水路へ流れ、針江大川を経て琵琶湖へ合流する。
『わたしをひらくしごと』
全国の書店にて好評発売中<<連載もくじ はじめに>>
インタビュアー
野村美丘(のむら・みっく)
1974年、東京都出身。明星学園高校、東京造形大学卒業。『スタジオ・ボイス』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、犬と猫、心と体と精神性、そのルーツなど、人の営みがテーマ。さまざまなことやものや考えがあると知り、選択肢がたくさんあることに気がつくこと。その重なり・広がりが有機的につながっていくことに関心あり。フォトグラファーの夫とphotopicnicを運営している。
編集した本に『暮らしのなかのSDGs』『ヒトゴトにしない社会へ』『モダン・ベトナミーズ(キッチン・鈴木珠美著)』『ホーチミンのおいしい!がとまらない ベトナム食べ歩きガイド』(アノニマ・スタジオ)、『うるしと漫画とワタシ(堀道広著)』(駒草出版)、『マレーシアのおいしい家庭料理(馬来風光美食・エレン著)』(マイナビ)、『定食パスタ(カプスーラ・浜田真起子著)』(雷鳥社)など。
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