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アノニマ・スタジオWebサイトTOP > わたしをひらくしごと もくじ > 第12話 エイジワークス 軸屋鋭二さん

「働いて生きること」は、人の数だけ、物語があります。取材でお会いした方、ふだんからお世話になっている方、はたまた、仲のいい友人まで。これまでに出会った、他の誰とも似ていない仕事をしている「自分自身が肩書き」な人たちに、どのようにしてそうなったのか、話を聞きにいきました。

写真:藤田二朗(photopicnic)

あるがままを丸ごと、身体感覚で共有する

第12話 エイジワークス 軸屋鋭二さん


マッサージでもなければ、リラクゼーションでもない。
でも、たとえうまく言葉にできなかったとしても
未知だった自分の体との出会いははっきりと感じられる。
“自明”と“不思議”が同居している
軸屋鋭二さんをひらく、しごとの話。

名前

仕事

ボディワーカー

この仕事を始めたきっかけ

渾身のスタートダッシュ


軸屋鋭二(じくや・えいじ)
1976年、兵庫県出身。大阪体育大学卒業。公益財団法人尼崎市スポーツ振興事業団にて勤務後、カナダへ留学。独立時、取り戻した自身の身体感覚を根拠に活動する決心をし、もっていたインストラクターやトレーナーの資格をすべて放棄する。現在は兵庫県加東市の森のなかにある「森の音」をベースに、各地を定期的に行脚しながら、人の体を介して会話する「エイジワークス」を展開中。
http://eijiworks.com/
https://www.facebook.com/eijiworks/



心はけっこう大人

──体育大学を出ているくらいだから、もともと運動が得意な子だったんでしょう? 体育の成績はいつもよかった?

まさに。思ったとおりに体が動かせたんです。

──できたのは運動だけですか?

勉強もまあまあできたほうかなあ。

──あら、そう!

まあまあ、よ(笑)? 思いどおりに体が動くっていうのは、教えてもらっていないことでも、想像したとおりに実際にできてしまうってことで。たとえばタッタッタッと走っていって、跳び箱に手をついて側転するなんてことも、いきなりやってみて、できてしまう。だけど先生の前でやるわけにはいかないから、隠れてやってたんだけど。

──なんで? 褒められるんじゃない?

いやいや、子どもがいきなりできるようなことじゃないでしょ。大人の前では子どものふりをしてないとあかんと思ってたから、僕は。

──えー、どうして?

自分が考えていることをそのまま言ったら大人はきっとびっくりするから、子ども視点に変換してしゃべらなあかんって、小さいころから思ってたの。大人の事情のいざこざがあるじゃない? それを、小さい僕は冷静にいろいろ見て、理解しちゃってた。心はけっこう大人だったんです。

──大人のほうは、わからないと思って子どもの前で平気でそういう話をするわけね。

そうなのよ。なんで俺のおる前でそんな話すんの、全部理解できるのにって。だから自分は何も気づいてないよっていう態度をとらなあかんって思ってたの。

──子どもを演じてたんですね。

そのギャップ体験が、自分の根っことして大きくあるみたい。表に出せなくても、丸ごと見ようとすることを俺自身は忘れたらあかんよって、当時の自分が自分に言ってるの。


スタートダッシュに懸ける

──高校では、陸上部で短距離をやっていたんですよね。

まわりは筋肉をつけるトレーニングをめっちゃしてたんだけど、僕は体が小さかったし、筋トレに励む気分になれなくて。で、誰よりも速くスタートダッシュしようと思いついたんですよ。その情熱の注ぎ方が尋常じゃなくて、高校3年間はずっとそのことばかりを考えていたくらい。「よーい、ドン!」っていう音に反応してたら遅いってわかったから、じゃあどうしたらいいんだろうって。

──うわあ、おもしろいねえ!



耳で聞く以外に反応できる方法があるんじゃないかって、どんどん研ぎ澄ませていって。そうすると、「よーい」の姿勢をとっていると、体が広がっていくのを感じるのね。それはいまだったら説明ができるんだけど、要は“膜”なの。筋肉や骨だけじゃなくて、体全体は膜でひとつながりになっていて、そのおかげで人は立つことができている。歳をとっても立っていられるように筋肉を鍛えましょう、なんていまだによくいわれてるけど、“膜”が僕たちを立たせてくれてるんだよ。それは空間と共鳴し合ってる。だから膜を感じることで、立ちやすくなるんです。

──実際、物理的に存在する組織なんだものね。つい先日も、最大の器官が発見されたってニュースがありましたよね。これまでは人間の最大の器官は皮膚だとされていたけど、全身にネットワーク化された“間質”の存在が新たにわかったって。つまり、高校生のエイジくんはそういうことを自分なりの感覚で理解したんだね。体全体で反応することに気がついて、実践できた。

しかも、そうするのがいちばん速かったの。ほとんどフライングみたいだけど、フライングではない。

──瞬間にフォーカスして集中するなんて、仏教の瞑想みたい。

それくらいの集中力を使ってたね。

──風変わりな高校生だねえ(笑)。でもそれ、当時は誰にも言ってないんでしょう?

言ってない。まわりの同級生も、小柄で筋肉もない僕がなぜそんなに速いのかがわからない。渾身のスタートダッシュだけで僕、兵庫県で優勝したからね。100メートル走の、後半はめっちゃ遅いんだけど。

──スタートだけで、あとは惰性だものね。

惰性、惰性。だって走る練習はしてないんだもん(笑)。

──でもそれが、いまエイジくんがワークで発揮している身体感覚の鍛錬になったんですね。

めちゃくちゃ楽しいからやってただけなんですけどね。結果が出るから嬉しかったんだと思う。



感覚を取り戻す

──自分自身が体を動かしていたのから、他人の体を見るという方向には、どうシフトしていったんですか?

大学を卒業して、尼崎市のスポーツ振興事業団っていうところに入って、必然的にインストラクターになったのね。市民にいろんなスポーツを教える。だけど、何十年も通っている人たちの指導員にならなあかんのよ、1年目のインストラクターが。シニアにバドミントンやバレーボールを教えなあかんし、そうかと思うと幼児に体操も教えなあかん。大変すぎて拷問かと思った。おかげで僕、十円ハゲできてん(笑)。
で、3年目に、スポーツジムの配属に変えてもらったの。そこで、よりトレーナー的な、専門的な知識を学び出して。それがたぶんすごくよかったんだね。

──大学のときに勉強したんじゃないんだね。



大学のときにも一応してるいうても……大してしてないなア(笑)。で、そこには6年くらい勤めて、28歳のときに辞めて、カナダに行くことにして。

──なぜ?

普通だったら転職を考えるところなのかもしれないけど、自分には無理だと思って。

──勤めるということが?

そう! だから、身体のことを勉強するという名目で。日本でだって学べるんだけど、環境を変えたかったんだろうね。

──それまでは勤まっていたんでしょう? なんで無理だと思ったの?

勤めてる間に、パーソナルトレーナーとかのアスリート向けのプロ資格も取ったんだけど、自分の限界が見えてしまったのよ。僕はこの程度しか人に対してアプローチできないっていうのがわかってしまった。何回、何セットの腹筋をやって、このくらいの筋力がついたら、このくらいパフォーマンスが上がる。とかいうことだけで果していいのか?って。実際、それで満足している人たちはまわりにいたけど、俺はこれをやり続けてたらダメだと思った。自分のなかに湧き上がるものがないっていうのかな。

──じゃあ、カナダでは具体的に何をしたんですか?

体に関して僕が体感していたことと、それまで教わってきたことのずれを実感しました。自分自身も、鍛えているのにもかかわらず腰を痛めたりしていて、おかしいなって思ってて。それで、自分の体を変えたかったのね。カナダで出会ったヨガの先生が力ではない体の動かし方をしているのを見て、これだ!って思った。自分が感じていたことを実践している人がいる!って。それで、ウエイトトレーニングなんかをすべてやめちゃって、その先生のところに朝晩、修行みたいに通ったの。

──それこそ、イメージしたとおりにできた?

そうそう、できるようになってきたわけ。力ではない体の使い方があるっていうのを思い出したっていうのかな。その感覚を取り戻したっていうか、回路が開いたっていうか。高校で気がついた感覚を、大学以降は閉じちゃってたんだと思う、いま思えば。



ずれに気がつく

──感覚を取り戻して、そのあとは?

帰国後、ピラティスの資格を取って、ヨガ&ピラティスのスタジオで教えることと個人でのセッションを並行してやってました。スタジオではピラティスのクラスを受け持っていたんだけどね。そこで求められるのはエクササイズなわけだけど、それ以前に呼吸がうまくできない人がいたりして、そういう人にはやり方を教えてた。呼吸がうまく入って体の緊張が抜けると、解放感や安堵で泣いてしまう人もいるんです。すると僕は職場で呼び出されて「お客さん泣かして何やってるんですかッ!」(笑)。




──個々の人間に対しては成立していたけれど、スタジオという単位では認められなかった。

なぜその人自身を見ようとしないのかと、すごく怒りが湧きました。そういうことで葛藤があって、ぶつかって、結局そこは1年で辞めてしまったんだけど、いま思えば、そのずれに自分が気づくために、わざわざそういう環境に入ったんだなってわかるんです。そうやって枠で囲ってしまって生きている人がいるって知ることができたのは、よかったと思う。

──でも、ほとんどの人は何かしら枠を設定しているんじゃない?

うん。いまだったらむしろ枠はつくっていいと思うし、僕自身にだってそれはあると思ってる。でもそのときは正義感もあって、なんで生きてる人を丸ごと見ようとしないんや!って怒りが先行してしまったんだな。しかも自分が何をしたいんかがまだはっきりわかっていなかったころだから。だから、そのスタジオで体験したことによって、自分がやりたいことを認識させられた、というのかな。しかも、そこでできることはやりきって辞めたから。そのおかげで、自分のワーク一本でやっていく決心がついたんです。それが30歳になる前くらい。

──なるほど。ところで4年前に“出世”を決めたというのは?

友人が祈祷してもらうというので、神社についていったことがあるのね。そのとき、安全祈願とか健康とか自分の希望を書くところに、初めて“出世”と書いたの。なんだか自然にその言葉が出てきて。べつに成功したいという意味ではなくて、世の中に出て自分の仕事をする、という宣言をしたの。

──ということは、それまではそういうふうに思っていなかったんですね。

だって、自分のやりたいことは人に伝わらないと思ってたから。それに、自分がやっていることを表に出すのが、じつは怖かったんです。自分のこの感覚を自分の内にこめているぶんにはいいけど、他人と共有するときにはよほど注意しないと、その人にとって思わしくない方向に導いてしまうリスクもあるから。体の状態はよくなるかもしれないけど、その代わりにその人にとっては歓迎できない要素が露わになる可能性だってあるし。そんなことをいろいろ想像してしまって、すごく怖くて。でも、これだけ世の中が変わってきてて、いろんな見方が許されるようになって、いまなら大丈夫だって思えるようになったんです。

──時代がエイジに追いついてきた、ってことだね。



その先もだいぶあります

──普通は、というとちょっと語弊があるけれど、たとえばマッサージに行くとして、こちらとしては体をほぐしてもらったりして、施術者に任せてしまうことが多いと思います。でもエイジくんは「僕がなんとかするわけじゃない」と言いますよね。

知らないふりをしているだけで、本当はあなた自身が知っているんでしょう、ということかな。それが僕にとっては当たり前というか、そう決めてしまっているんですね。

──じゃあ本人が気づくためのサポート役のような?

うん。治療家になる方向性もあったと思うんだけども、どうしてもそっちには興味が向かないというか。相手に喜ばれるとしても、自分のなかではその交流は楽しくない。そういうことをしている人は他にいくらでもいるし。でも、痛みが改善されるといったような具体的なことならすごくわかりやすいけど、僕がやってることってわかりづらくて。ほぐしも癒しもない。僕は何をしてるんでしょう。僕はいったい、なんなんでしょうか(笑)。



──最初からそういうスタンスだったわけではない?

明確に気がついたのはあとからだけど、僕のなかに最初からあるにはあった。自分の仕事についてはマッサージとかトレーニングっていう言い方をしてきてはいたけれども、つねにずれは感じていたんです。たとえばボディメイクの仕事をしていたときには、このアスリートはなぜパフォーマンスを上げたいんだろうって、その先を見てしまう。でも、その人自身は半年後の身体的パフォーマンスが上がればいいのであって、そんなところまでは見ようともしていない。その先もだいぶありますけど?って、僕は思ってしまっているのに。

──そのことは本人には伝えなかったんですか?

伝えない。

──本人が求めていることではないから?

そうです。でも自分のなかでは全然共鳴しないし、ここから先はやってはあかんねや、という抑圧にどんどん気がついていってしまうわけ。それがいちばんキツかった。それがさっきのピラティスのクラスの話につながっていくんだけど。




都合がよくて、そうなっている

──エイジくんは「構造ではない」とよく言うじゃない?

へえ~。

──「へえ~」って、他人事みたいに(笑)! これは鎖骨です、ここからここまでが上腕骨ですっていうことではないんだよ、と。勝手に区分けして別々のものだと思い込んでいるかもしれないけど、それが人の体の動きや考え方を限定してしまっているんだよ、人間以外の動物がそんなことを考えて体を動かしてますか、と。

それ、おもしろいね!

──あなたが言っていたことです(笑)。

こっちが背中で、こっちが胸で、これが正しい姿勢です、みたいなのって限定的でつまらなくない? それより、そのまま見てみようよ。肩甲骨はいったいどこにいようとしてる? 骨盤は?って、素朴に感じていくほうがワクワクしませんか?



──たしかにエイジワークスは、これまで意識していなかった体の部分に意識を向けさせますよね。あ、自分のこんなところに、こんなものが存在していた!みたいな。

それを治療の方向にもっていくのが、たとえばロルフィングだったりすると思うんだけど。僕は、感じているその人自身に任せる。

──その人をよりよくしたいという思いはない?

結果としてよくなることはもちろんある。でも、そうさせようとしても仕方がないと思ってる。だって、その人のことはその人自身がいちばんよく見てるわけだから。
それよりも、どんな状態でも、いま現在しっかり生きてるじゃないかっていうところ。現在地がわかったら、どうありたいか、どう生きたいかはその人自身が見つけていくべきだと思います。そのときに、身体にはこういう方向性がありますよっていうことまでは伝えられる。




これが正しい立ち方ですよ、と教えるようなことではやりとりしないし、あなたの腰痛はこれが原因ですよ、なんていう言い方もしない。だって何か理由があって、いまあなたの体はそういうバランスで維持できているんですよね。その痛い部分だけを取り除きたいという気持ちもわかるんだけれども、そうしていると都合がいいってことが何かあるはず。逆にいうと、痛みを抱えていることで全体としては都合がいい場合もあるってことです。だから、僕はそこには手を出さず、自身で探ろうとしていくのにつき合う、やりとりする。会話みたいなワークなんです。




思いを継いで、体は体で生きている

──エイジくんは相手の体にそっと触れたりしてるだけなんだけども、そのやりとりは確実に感じます。はたから見たら私はただじっと横たわってるだけなんだけど、エイジくんのエスコートで、自分の体内で動いているものを感じる。そして、私の体のなかで起こっていることを、エイジくんが敏感に捉えているのがわかります。何かが見えているんですか?

何かが見えたり聞こえたりするわけではなくて、身体感覚で“感じている”というのかな。それを“チャネリング”という人もいると思うけど。なんでわかるのかといわれると、いまここにある肉体だけで完結してるわけじゃなくて、もっと全体として存在してるから、としか言いようがなくて……。




──もしかして、人によっては“オーラ”とかで表現しているようなことだったりするのかな? 自分の感じていることをわかりやすく翻訳しているというか。

そのほうが受け取りやすいもんね。でも要はみんな、身体感覚なんじゃないかな? 全身で感じていること、全体に波紋で広がっていることから、ひとつだけを取り出そうとするのは無理がある。見えない部分だけを取り出してもおかしくなる。それが“スピリチュアル”といわれてることかもしれないけど。でも、体が現にここに存在してるでしょうっていうのが、いまの僕のスタンス。それで、骨や筋肉、筋膜といった身体のことを素直に見ていくと、どうしたって身体の外の空間、地球、宇宙と、壮大な世界にまで広がっていってしまう。そもそも身体の内側と外側の境界を皮膚で分けているけど、本当にそうかな?とか。

──「自分と体とには距離がある」ともよく言っていますね。

自我という自分の精神と、実体としての自分の身体。いつもその両方が別々に存在していて、自分は自分にいちばん近い他者だっていう感覚が僕の軸にある。しかも、たいがい自我は体をコントロールしようとしていて、体のほうはそれを許してくれていますよね。よっぽどのときには病気になったり壊れたりしますけど、多少無理があっても、基本的にはいつも自我の言うことを聞いてくれてる。

──自分が思ったとおりに、身体はなってくれているわけですものね。

いいこと言うなあ!

──いやいや、エイジくんが言ってたんですってば(笑)。



自分だけじゃなくて、親から、もっと前の世代から受け継いできた思いも、個人の体は引き受けてる。代々続いてきた生命体と、たった数十年生きたくらいの自分が、つねに一緒にいるっていう。こんなややこしいのが同居してるって、ものすごいことですよ。だからこそ、全部クリアに取り除くなんてことはしなくていいっていうか、そんなことできっこないですよね。であれば、いまを楽しめばいい。目の前のことをするしか自分にできることはないんですから。

──距離があるとはいえ、この体とは死ぬまで離れられないですからね。

絶対に離れない。それでいて距離感があるという、この不思議さ。でもね、波乗りするみたいに地球に、宇宙に委ねておいたらいいんですよ。体は体で、生きているんだから。

軸屋鋭二さんの “仕事の相棒”
自分の体
「自分の体は、まさにパートナー。心身一体だと思っている人は多いかもしれないけれど、僕にとっては自分とこの人(自分の体)の間には距離があるんです。自分自身でありながら、別人なんですよね。ワークのときはとくに、この人自体が生きているっていうことをしっかり見極めていないと、他人の体を見ることはできません。自分がどうしたいかというよりは、この人がどうしたいのか、どうあろうとしているのかを見ることで、相手の体も見ていくという感じなんです」



インタビュアー

野村美丘(のむら・みっく)

1974年、東京都出身。東京造形大学卒業。『STUDIO VOICE』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、旅、犬猫など自分の生活の延長上をフィールドに公私混同で活動中。座右の銘は「ひと文字ひと文字にキレあれ」。この連載の撮影を担当している夫とphotopicnicを運営している。
www.photopicnic.pics


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