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アノニマ・スタジオWebサイトTOP > わたしをひらくしごと もくじ > 第11話 月のチーズ 月村良崇さん

「働いて生きること」は、人の数だけ、物語があります。取材でお会いした方、ふだんからお世話になっている方、はたまた、仲のいい友人まで。これまでに出会った、他の誰とも似ていない仕事をしている「自分自身が肩書き」な人たちに、どのようにしてそうなったのか、話を聞きにいきました。

写真:藤田二朗(photopicnic)

豪快さと緻密さでもって、全力投球で楽しむ

第11話 月のチーズ 月村良崇さん


チーズ製造で生計を立てようと決めたから
酪農ヘルパーになったし、専門店で営業職にも就いた。
そんなふうにビジョンをもって、目的に向けて着実に構築する。
でも石橋を叩いて渡るのではなく、ものすごく豪快に直感で突き進むのだ。
月村良崇さんをひらく、しごとの話。

名前

仕事

チーズの製造

この仕事を始めたきっかけ

怪物みたいなおじさん


月村良崇(つきむら・よしたか)
1975年、東京都出身。スポーツクラブのインストラクター(東京)、酪農ヘルパー(北海道)、「チーズ王国」の営業職(東京)を経て、2007年、子どものころから慣れ親しんでいた北海道紋別郡滝上町に移住。自宅の後ろにチーズ専門工房を設立する。オリジナルブランド「月のチーズ」としてクリームチーズ、フロマージュブラン、モッツァレラ、のむチーズといったフレッシュチーズを専門に製造している。「月のチーズ」の商品は道内の空港や道の駅、百貨店の他、全国の「チーズ王国」各店などで購入可。



働く男たちに強烈に憧れて

──北海道には子どものころからよく訪れていたそうですね。

僕らが子どものころって、都市に住んでる子どもを田舎に行かせるのが流行っていたでしょ。山村留学とかサマーキャンプとか。僕は「森の子どもの村」っていうキャンプに小学6年生のときから参加してたの。

──月村さんは道産子どさんこに見えて、じつは東京・渋谷区出身の超都会っ子ですもんね(笑)。

お客さんにもよく「いかにも北海道の人の顔をしてますね」って言われるんだけど、期待を裏切りたくなくて否定できない(笑)。

──キャンプは最初から楽しかった?

いや、初日でホームシックになって。それまでも地元の子ども会なんかでは経験があったからキャンプ自体には慣れてたんだけど、これは知り合いがまったくいない、ひとりでの参加だった。「きみはあの子と一緒にあのテントね」って、知らない子と当日急に組まされたんだけど、相手の子はその日のうちに友だちのテントに移っちゃった。何もわからないまま、ひとりぼっちになっちゃって。夜なんてほんとに真っ暗だし。




──知らない場所に来た小学生には、それはかなり心細い。

それでも10日くらいいたのかな。もう、失意のもとに家に帰ったんだけども(笑)。でも負けん気だけは強いもんで、翌年、もう1回行ってやろう、と。

──失意の思い出を塗り替えてやろうとしたんですね。

いまでもそうだけど、僕は嫌なほうにはあえて突っ込んでって、ぶっ壊しちゃうたちだから。2年目からは友だちもできて、すっかりおもしろくなって。そのときから畑の手伝いをするようになってたんだよね。

──キャンプの間にやることは、みんなそれぞれ違うんですか?

釣りに行こうが、川で泳ごうが、木に登ろうが自由なの。僕はずっと労働してたけど(笑)。

──汗を流して働くことに純粋に喜びを感じていた?

友だちが一緒にいたからっていうのも大きいけど、収穫を手伝ったり、収穫物を夜中までかかって選別したりっていう作業自体も楽しかった。で、僕は体が大きかったから力仕事にまわされるようになって、酪農家の手伝いに行くようになって。いま僕が(チーズの原料の)牛乳を買っている村田牧場さんも、じつはこのときからのつき合い。そうして中学1年生の夏が終わって、それ以降は冬も来てたんだよね。春も来てたかな。高校生になってからもね。



──要するに、まとまった休みの間はいつも北海道にいたということですね。

うん。なぜって、酪農がかっこいいなと思っちゃったんだよね。あのころの酪農っていまより力仕事が多くて、何十キロもあるミルク缶を両手それぞれに持って運んだりするような怪物みたいな力持ちのおじさんがいっぱいいて、強烈に憧れちゃったの。それが、俺が酪農をやりたいと思った原点。

──そのときにはすでに、将来は酪農家になりたいと思っていた?

そう。だから早く仕事を覚えたくて手伝ってたんです。



社長代理で技を磨く

で、酪農の世界に入るにはいろんなアプローチがあっていいと思って、高校卒業後、農業の専門学校に行ったんです。農業改良普及員(現・普及指導員)っていう国家資格があって、農業を指導する人間を育成する学校。資格を取っておけば、もし農家で食えなくても田舎に入り込める術になるだろうと思って。 僕は農家になりたかったわけだから、学校では実習がとにかくおもしろかった。卵受精やバイオテクノロジーや畜産も学べて、自分にはすごくいい学校だったんだよね。でも、そこを卒業してどうしたかっていうと、コナミスポーツクラブの水泳のインストラクターになっちゃった。

──学生時代はずっと競泳をやってたんですよね。

そうです。農家にはなりたかったんだけど、その前に、若いときにしか経験できないことをしておきたいなと思っちゃって。というわけで、なぜか農業改良普及員や家畜人工授精師、家畜商の免許をもってるインストラクターの誕生だよ(笑)。2年半くらいやってたかな。

──社会人になってからは、北海道には来ていなかったの?

そうだねー。その間はさ、ほら、女の子とつき合ったりとかしてたから(笑)。それで、そのときじつは、中部地方に移住することになりかけてたの。彼女が地元に戻りたいっていって、そこで酪農ができるからってことでね。でも結局、ふられてしまって、さあどうしようってまさにそのタイミングで、滝上町(北海道)の農協から声がかかって。
というのも、農協にはヘルパーという仕事があるのね。酪農家って生き物相手だから365日稼働しているんだけど、ヘルパーが各酪農家に入ることで、酪農家の休みをつくる仕組みがあって。そのヘルパーに空きができたから、こっちに来ないかってスカウトされたわけ。


──子どものころから通っていたから、滝上にはすでに人脈があったんですね。

ずっとやりたかった農業の夢が断たれたところに、渡りに船でしょう。しかも、故郷みたいなところの人たちに請われたんだから。それで滝上の酪農ヘルパーになりました。



──ヘルパーっていうのは、いろんな酪農家のところに数日ごとに行くわけですか?

だいたい3日間なんだけど、最初は半日かけてそこのやり方を教えてもらう。農家ごとに、やり方が全然違うから。ある意味、社長代理の仕事だよね。

──それぞれ違うというのは、けっこう難しいですね。

技術がないとできない。家畜に病気が出たら対処しなくちゃいけないし、分娩だって安産ばかりとは限らないし、大変なことはたしか。でも俺は、仕事は楽しくやりたいし、自分の納得するレベルまで行きたいから、勤務時間以外でも農家さんに出入りして手伝って。自分も農家になりたいわけだから、スキルを磨こうと思ってね。

──いろんな人のやり方を見られる、盗めるチャンスでもあるんだものね。




おいしくなければ意味がない

──チーズに興味をもったのはいつごろなんですか?

学生のころから。チーズはそのうちきっとやるだろうと思ってたから、食べ歩いたり、国内の工房をまわったりしてたの。

──そのうちやるだろうと思ったのは、どうしてなんだろうか。

酪農家になったら、チーズをつくりたいってきっと思うだろうなって。海外では酪農家がチーズをつくるのはわりと普通のことだから、日本だってチーズの文化が熟して、ゆくゆくはそうなるだろうと思ってた。農家になってからでは、そういうスキルを磨くのは難しいだろうっていう考えもあったし。
だから卒論も「世界から見る日本のチーズ」をテーマにして、フランスに視察に行ったんですよ。なんていうのかな、チーズは、酪農という大きな球についてる小さな球みたいなもので、一緒に転がっていくだろうなと思ってた。

──でも、酪農品にもいろいろあるでしょう? なぜとくにチーズに目をつけたんでしょう?

おいしいからじゃない(笑)? おいしくなければ意味ないじゃん。

──いいね~(笑)。

そうじゃないと、自分がのってこないでしょ。それでいろいろ食べてみると、日本のチーズは海外のものより味が劣っていると感じた。その理由はフランスに行ってわかったんだけど、日本はいい牛乳は飲むほうにまわすけど、向こうでは加工に使うんだよね。



そんなことを学びつつ、ヘルパーをやってわかったのが、国と農協の仕組みに従うと、チーズをつくれるようになるまでにはたぶん何十年もかかるし、お金もずいぶんかかるということ。つまり、就農してすぐにチーズをつくるのがいかに大変かがわかったんですよ。
それで思いついたのが、先においしいチーズをつくっちゃって、それで生活できるようになったら、趣味で牛を飼えばいいんじゃないかと。

──趣味の飼育なら、農協をとおす必要がない。

そう! で、26歳くらいのときに、じゃあチーズの勉強をしよう、それも、製造より先にマーケティングの勉強をしておこうと思ったわけです。それで転職すべく就職活動を始めました。そのときにはもう未央(奥さん)と結婚することになっていたから、東京に戻ってきて、ふたりで吉祥寺に家を借りて。ご両親には無職の状態で結婚の挨拶に行ったから、お義父さん、ポカンとしてたよ(笑)。
まず、世界中のチーズの味が知りたいでしょう。それから、世界のチーズや日本の消費者の動向を知りたいでしょう。そういうことができるだろう商社などの会社数社にアポを取って。で、たまたま最初に面接を受けたのが「チーズ王国」(株式会社久田)だったんだよね。


──最初に面接してもらった会社にめでたく決まっちゃったんだね。それで、「チーズ王国」の吉祥寺店勤務に?

そう。吉祥寺店は当時いちばん売上がいい店舗で、ちょうど人が欲しかったみたい。近所に住んでるし、畜産も知ってるしというので、採用された。

──なんだか神がかってるなー。



アホみたいに働いてしまう

で、吉祥寺店はけっこう売れるから、販売用に小分けするために大きいチーズを日々、切るのね。

──店舗で切るんだ。

30kg以上あるパルミジャーノレッジャーノも1日でなくなっちゃう。切っては食べ、次の日また切っては食べ、とやっていると、味の違いがわかってくる。俺は声がデカいから、おまえは叫んでるか食ってるかだなって揶揄やゆされたけど、でもお客さんに出す試食の味がわかってないといけないんでーとか言っては、ちょくちょく食ってた(笑)。だって、置いておくだけでどんどん味が変わっていくからね。

チーズの普及に努めたとしてGuilde Internationale des Fromagersから授与された
──それは個人ではなかなかできないもんねえ。

無理、無理! しかも世界中から選ばれたおいしいチーズが集まってるわけだから。で、インストラクターやヘルパーのときと同じように、楽しいからアホみたいに働いちゃって。気づいたらたった半年くらいで店長になってて、お義父さんに「おまえの会社は大丈夫なのか」って言われたよ(笑)。


──無職だった人が急に出世したから(笑)。

そのあとマネージャーになって、課長になって。そうなると百貨店の食品部長なんかとも話せるようになるし、どういうふうにこの国の販売がまわってるのかもわかってくるし、つくり手とも関係ができる。おかげで、そのとき知り合った人たちとはいまもつながってます。


──「チーズ王国」は、道外で「月のチーズ」がコンスタントに手に入る貴重な店だけど(※チーズ王国では「オリジナルテイストJAPAN」という商品名で販売している)、最初から扱ってもらっていたの?

いやいや。退職して3年くらい経ったとき、「チーズ王国」の当時の社長が北海道に来てるからって急に連絡があって、チーズを持って会いにいったの。そのとき「これは本物のクリームチーズか?」って訊かれたんですよ。一般的に出まわっている安いクリームチーズは、安定剤を入れて熱をかけて充填してるのね。つまり乳酸菌が死んでる、濃度の薄いクリームチーズもどきなの。要は社長は「おまえのつくったチーズは乳酸菌が生きているのか」って訊いたんだ。それで「もちろん本物です」って言って、そこからはトントン拍子に。

──えー! それで卸すようになったの? ガチンコだー。



おいしいチーズがつくれさえすればいい、わけではない

──ちょっと話を巻き戻しますね。チーズづくりをするために再び北海道に行くあたりの経緯を教えてください。

「チーズ王国」に勤めながらも、北海道でチーズづくりができる場所を探してたんです。なかなかいいところが見つからなかったんだけど、あるとき、さっきも話した村田牧場さんから連絡が来て、よさそうなところがあるぞって。ただし、ひと冬誰も住んでいなかったから家屋が潰れそうになっていて、誰かが住まないと今度の冬まではもたないっていうんです。

──雪で潰されないように住みながらケアしないと、家がダメになっちゃうってことですね。

それで選択に迫られたんです。「チーズ王国」では5年勤めると社内ベンチャーができる制度があるから、それを利用するつもりでいたんだけど、その時点でまだ勤続4年だったから。
すごい悩んだけど、これも出会いだからさー。将来は北海道に移住しようと未央とは話していたし、そのときにはつくりたいチーズもだいたい決まってた。好きなチーズはいろいろあるんだけど、それだけじゃ足りなくて、それで食っていけるもんじゃないとダメでしょ? 貧乏でもおいしいチーズがつくれさえすればいい、それが俺の人生なんだ、っていうふうには俺は全然思わない。生活はしっかりさせたい。クルマには乗りたいし、ビールは必ず飲みたい(笑)。
それで、回転率がいいものにしようと思って。つくったものをすぐに全部売れば、すぐにお金になるでしょ。しかもフレッシュチーズなら熟成庫を設置しないで済む。熟成庫って、ものすごいお金がかかるから。

──なるほど!

フレッシュチーズに勝算はあった。というのも、クリームチーズをチーズ農家さんに食べてもらったら、こんなもの売れるの?って言われたんですよ。乳酸菌が入ってるから酸っぱさがあるでしょ、それが腐ってるイメージとつながるみたいで。で、これはイケる、突っ走っちゃえば僕の独占になる、と思ったんだよね。国内では本物のクリームチーズがあまりつくられていなかったから。それからフロマージュブランは、「チーズ王国」在籍時代にお客さんだったフレンチのシェフたちが「日本では高価で手が出ない」って嘆いてたから、これも商機があるなと思って。これから本格的に生産量を増やしていこうとしてるモッツァレラもそう。日本ではまだまだ本物が出まわってないからね。




それと、国内で売るフレッシュチーズは国内でつくるほうがやっぱり有利でしょ。賞味期限が短いから、海外から輸入するとなると航空便に限られる。ということは当然、高い送料が商品の値段にかぶさってくるし、いくら空輸でも日本の店に並ぶまでにどうしたって数日はかかるわけで。でもうちなら、工房からすぐの牧場で搾乳したての新鮮な原料で商品をつくることができる。だから、うちと同じくらいおいしい海外のチーズがあっても怖くない。日本で勝てる要素を狙ってやっているんだよね。

──ものすごく緻密に戦略を練っているんですねえ。

だけど、社内ベンチャーという支援を頼りに起業計画してたもんだからさ、どう計算しても250万円くらい足りなかった。そんなとき、北海道に地域起業家育成補助金っていう制度があるのを知って。いまはもうないんだけどね。勝ち抜きで、満額だとまさに250万円もらえるの。これだ!って応募して。書類審査や銀行のお偉いさんや知事と面接を経て、最終まで残って、無事に満額の補助金が下りたのさ。




潔く引き下がれない

──チーズづくりはどうやって会得したんですか?

酪農家の手伝いや学生のときの加工実習、フランスへ研修に行ったりもして、ある程度つくり方はわかってた。そのうえで、じゃあ僕がつくりたいチーズはどうやってつくるのかと考えて参考にしたのは、あるフランスのチーズで、それを分析にかけたの。江別の食品加工研究センターっていう、保健所なんかも検査を依頼するようなところに電話して、協力してくれって頼んだんです。で、江別に泊まり込んで、データを取って、僕のチーズのたたき台をつくったの。まだ日本では誰もつくっていないんだっていう熱意だけだったけど、つき合ってくれて。

──そうか、個人規模でクリームチーズづくりをしているのって、珍しいんですよね?

クリームチーズ自体は他でもあるんだけどね。僕のは安定剤不使用で、乳酸菌が生きてて、だから風味と食感がいい。そこを求めたいっていう思いにのってくれたわけ。で、そのあとオホーツク圏食品加工研究センターで、実地試験をして。この乳酸菌を使ったらこういう味になるとか、好みの酸味になる温度帯はどこだとか、科学的に検証していったんです。ただ教科書どおりにつくっても自分のチーズにはならない。すでに存在している味を再現するんじゃなくて、自分の理想の味をつくり出さないと。




だから僕は誰かに習ったわけではなくて、僕の味を一緒に構築してくれるブレーンをつくったというのかな。いまでもそうだけど、僕は自分に足りないものは、誰かに頼む。で、一緒にやって、実現する。そこには本当はお金をかけないといけないんだけど、当時は金がなかったから、つき合ってもらったんだけどね。

──真剣さと熱意があれば、応えてくれる人がいるんだね。しかしその計画力と行動力は、どうやって培われたんだろうか。

“食っていく”っていうことに対してリアリティのある母親に育てられたからかなあ。でもね、どうやったらおもしろいかっていうのは、いつも考えてて。それは水泳でも、チーズでも。ただ、チーズに関しては潔く引き下がれない。家族がいるから、がむしゃらになる。もしチーズがダメになっても他の方法で食っていける能力が俺にはあると思ってるけど、それでも、とことんやっておかないと悔いが残るだろうから。




せっかく生きてるんだから

──お金とか関係なくて、純粋に自分の好きなことをしていいとなったら、何がしたいですか?

人と話すのが好きだから販売もやりたいし、プールのインストラクターもおもしろかったなー。チーズもやりたい。

──全部じゃん(笑)!

だって全部おもしろいから、ひとつだけなんて選べない。俺、自分が楽しいと思うものに対してはものすごく貪欲だよ。そうじゃないものにはすごくケチだけど(笑)。




──楽しいかどうかが、いちばん大事ですか?

原動力はそこだけですね。楽しむっていうところだけは、絶対にブレない。自分が楽しまないことには人も楽しめないと思うから。だから逆に言うと、他人はともかく、自分が楽しめればいい(笑)。

──これからは?

そうだなー、まわりからは2代目を育ててくれって言われるけど、自分の代で終わってもいいと思ってる。

──息子たちに継いでほしいという気持ちはないんですか?

べつにないなあ。本人たちがやりたいというなら好きにすればと思うけど、勧めはしないかな。



──なぜ?

だって、めちゃくちゃ大変だもん(笑)! それに、息子には息子の人生があるからね。まあ、自分の知らない世界に行ってみてほしいっていうのはあるかな。僕は国内を商圏にして、このなかで戦えるものっていうので選んできたけど、この先、日本の人口は減っていくわけだし、世界に出たほうがいいんじゃないかな。だけど俺が思ってるのは、楽しくなければ仕事じゃないってこと。楽しいったって本当に辛いときももちろんあるわけだけど、でもその先にはやっぱり、楽しさがないと。だって、せっかく生きてるんだからさ。

月村良崇さんの “仕事の相棒”
宝物1号、2号、3号
「未央(奥さん)は俺の宝物1号、玲(長男)は宝物2号、吟(次男)は宝物3号。この宝物たちのために、僕は働いてるんだから。もちろんチーズがつくりたくてこの仕事をしてるのはまちがいないんだけど、何よりも家族と一緒にいられる生活がしたいっていうことがすごく大きかった。未央がいないと仕事が進まないという実際面も、もちろんある。経理やデザインのことはすべて任せているし、僕のアイデアを具現化してくれるのは未央なので。うちの味は、ふたりでつくってるんです」



インタビュアー

野村美丘(のむら・みっく)

1974年、東京都出身。東京造形大学卒業。『STUDIO VOICE』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、旅、犬猫など自分の生活の延長上をフィールドに公私混同で活動中。座右の銘は「ひと文字ひと文字にキレあれ」。この連載の撮影を担当している夫とphotopicnicを運営している。
www.photopicnic.pics


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