
そんな茂木さんが久しぶりに自身の本棚を眺めつつ、たくさんあるなかでも特に気に入っていると選んでくれた本は、高校時代、学校の図書室で見つけ、その後自分で購入するほど気に入ったという、ちょっとどぎつくて不思議な雰囲気の、1900年代のはじめから後半までのシュールレアリズムの作家13人を集めた画集シリーズの一冊『クロヴィス・トルイユの画集』。それから1975年の『SAISON de non-noパリ大地図帳』。これは古本ではなくて、発売した当時、お姉さんに頼んで買ってきてもらったセルフヴィンテージ本。つまり、茂木さんが中学に入ったばかりの頃に読んでいたものだった。中学のときの私はパリを知っていただろうか? 今田美奈子先生のお菓子の本を読んでいたのは小学校のときだから、 パリくらいは知っていたかも? そもそも茂木さんがこんなにおしゃまな雑誌を買おうと思ったのは、小学校の時、同級生だった友人がお父さんの仕事の都合でパリに引っ越しをすることになったことから。新聞広告でこの本を見つけ、友人が移り住むパリってどんなところだろう?と思い、購入したのだそう。なんともかわいらしく微笑ましい。けれども微笑ましいなんて言っている場合じゃないくらい、雑誌の中身は驚きの充実度だった。今でもパリにあるポワラーヌやフロールといった名店はもちろん、パリの朝ごはんのスタイル、街角スナップに写る人々のおしゃれ感など、どれもこれも新鮮な輝きある内容に、恥ずかしながら初めて外国の雑誌を目にしたときのような興奮ぶりを見せてしまった。
「りんごのタルトの写真を見て、これはどうなっているんだろうって当時は真剣に思ってさ、よーくよーく見返していたよ。あと、この手描きの地図も味があるよね。けれど見やすい。制作していたスタッフの熱意を感じるね。当時は外国からの情報がすべて新鮮だったっていうのもあるんだろうけど」と、1ページ、1ページ、大事にページをめくっては、当時どんなふうにこの雑誌を見ていたのかを話す茂木さんを見ていたら、なんだか中学生にもどった茂木さんが目の前で話してくれているかのような不思議な気持ちになった。もっとずっと先の世界では「昔は雑誌ってものがあってね、みんなそれで外国のことや季節の料理のレシピや新しい洋服のこと、手芸のことなどを知るようになったんだよ」なんていう時代がきてしまったりするのだろうか。読み応えのある雑誌とは……。今もこの先のことも含め、すごく考えさせられる一冊を見せてもらった。
茂木さんがデザイナーとして活躍しているのは、エディトリアルの世界のなかでも特に料理に関する本が多い。料理本の奥付を見ると、結構な確率で彼の名を目にする。そんな彼が学生時代から好きだったというハギワラトシコさんの『ワンダフルパーティーズ』や、フリーのデザイナーになったばかりの頃に手にした長尾智子さんの『New Standard Dish』などは、私も大好きな名著だ。ハギワラさんのこの本は、あまりに好きすぎて、見つけては購入して友人たちにプレゼントしているのだそう。私もずいぶん昔に、ちゃっかりおねだりしてプレゼントしていただきました。あとは、小川国夫さん、須賀敦子さん、池澤夏樹さん、レベッカ・ブラウンとお気に入りの本が挙げられた。北九州市の広報誌の巻頭におさめられた大谷道子さんのエッセイなども。静かに一冊ずつ頭の中の深いところからそおっと思い出を引き出すように言葉を選びながら、いつの時代に読んでいた本なのか、なぜ、これらを選んだのか、何冊も著書がある作家さんに対しては、なかでもこの一冊が好きな理由も添え、小学校から現代に至るまで生い立ちを辿るように、話してくれた。川の流れの中にいるかのような静かな時間—全体にわたってそんな時間だったけれど、特にここはシューッと静かに物語の幕が閉じるような、ぱたんと最後本の裏表紙を閉じたかのような、そんな話の締めくくり方だった。何度巻き戻してももう二度と音が出なくなってしまったテープレコーダーのような、もしくはレコード針がレコードの上でパチパチと小さな音だけ立てているかのような、無の世界。でも色をつけるとしたら、乳白色のあたたかな白。冷たくはない。「はい、これでおしまい」と言われたけれど、あたたかな光がずーっとあり続けるような雰囲気にのまれ、なんだか泣きそうになっていた。こんな一面があったなんてね。茂木さんが友人としても、仕事仲間としても見せる、あたたかな一面はこんな空気とつながっていたんだなぁ。
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茂木 隆行
(もてぎ・たかゆき)
エディトリアル・デザイナー
料理や手芸といった、生活にまつわる実用書のデザインを中心に単行本や雑誌などをデザイン。甘い物と美しいもの、音楽をこよなく愛するデザイナー。 |