第5回 錦・高倉屋 バッキー・イノウエさん


 好きな人のことほど、文字にするのは難しい。言葉にするのはもっと恥ずかしい。けれども会いたいし、話が聞きたい。どうしたらいいのか。悩んだ末、決闘を申し込むかのように「たのもう!」的な取材依頼をしてしまった。けれどもバッキーさんは、拍子抜けするほどあっけらかんと「ええよ」と返してくださった。しかも日程も時間もだいたいしか聞かず。取材の主旨をお伝えしようとすると、「ええよ、大丈夫」と再び。急ぐ私を諭すかのような優しい返事をくださった。ならばと、「では、企画書を」と言いかけると、「大丈夫、大丈夫。近くなったらまた電話して」とだけ言い、電話を切った。電話の向こうにあのカッコイイ笑顔が想像できる。いやぁ、格好いい人はこういう受け応えまでさらりと素敵なのだなぁ、と電話を切ったあともしばらくはその余韻にデレデレとしてしまった。

 井上英男さん、通称バッキー・イノウエさんは、生粋の京都人。生まれも育ちも京都。住んだことがある場所は京都以外にないという。画家、踊り子とさまざまな経歴を持っているが、今は京都の錦市場で「錦・高倉屋」という漬物屋さんを営む一方、京都の裏寺と呼ばれる辺りに位置する「百練」というお店もなさっている。そしてさらにはご自身の文筆業、イベントと日々お忙しい。と、私は勝手に思っている。が、たまに京都を訪れて、早い時間に百練に寄らせてもらうと、カウンターで酒を飲みつつ、将棋を打っていたりするのである。『行きがかりじょう』というバッキーさんの著書の通り、何にせよあまり決め事をしない。今回の取材の約束も、ものすごく前もっての電話では、まったくもって詳細は決められなかった。晩のごはんをご一緒に、とお誘いすると「ええよ」というが、京都の方に無粋とは思いつつも「お店を予約しましょうか」というと、「その日あってから考えようや」とスルーされてしまった。

 そんなダメダメな前段階を踏みつつ、取材当日、恐る恐る京都入りして目にしたバッキーさんの本棚は、寝室のベッド脇に二手に分かれて置いてあった。拝読する筆の感じから大層な本棚を想像していたが、これまた拍子抜けするほどいい意味で細身でライトな本棚。しっかり背の高さに合わせて美しくというのとは正反対に、ここは私の理想通り、ぶっきらぼうに毛色の違った本がザクザクと差し込まれていた。思っていた以上に本の数が少ないことに驚いていると、察したのか「僕はね、本屋に行ってぽろっと買ったり、新聞の書評を見て読んでみようかなと思ったものとかを買うんだけど、読んでおもしろかったら人にあげるんよ。自分が読んでいていいなと思ったら、これ、あいつにも読んでほしいなと思うやん」とぽそり。そして「だからここにあるのは人にあげてもおもろないものか、どうしても手放したくないもののどちらか」と続いた。なるほど、そのどちらかとはどんなものなんだろう?と、本棚に近づいてみると、『談志絶唱 昭和の歌謡曲』『世間はやかん』『童謡咄』など、立川談志師匠の著書が結構ある。ほかにも『常用字解』『日本の名随筆 将棋』、山口百恵が表紙の雑誌『GORO』は、昭和52年のもので、山口百恵と矢沢永吉の特集だった。松坂慶子の写真集も目立っている。これはどうしても手放したくないもの、だろうか?


「僕はね、マイケルジャクソンと山口百恵、それと原辰徳と同じ年なんよ。だからというわけでもないけれど、やっぱり百恵ちゃんは皆好きでしょう? でも何冊かこれ(『GORO』)があるのは、前に神保町の古本屋さんで『GORO』を見つけたとき、これ、ビニ本だったんよ。だから中身が見れないやん。でも表紙には全部“激写”って書いてあるし。それでどれにしようか迷って、一冊「これや!」と思って買って、すぐ店の外でビニールから出してみたんやけど、あんまり気に入った写真じゃなかった。それで、次! 次!ってして、ようやく3冊目に出てきたんがこれ。俺が十代のときの時代のもんやね。うれしかった」


『GORO』といえば、私の世代でも男子たちの青春、憧れの女性タレントやグラビアアイドル、そしてスポーツや音楽のことまで網羅した大衆的かつ今がわかる雑誌だった。ちょっとエッチな写真とかも特集されているとあって、女子としては当時、なかなか手に取りにくいものだったけれど、こうもいい加減いい年になってくるとそういう境がなくていい。ズケズケと興味のままに何冊もあった『GORO』について訊ねていた。もちろんバッキーさんへの憧れも尊敬も忘れちゃいないが、まずこのやられた感のする本棚のほうがググッときてしまって、どうにも???が抑えられなくなっていたのだ。他にも古い雑誌が本棚にそこそこ束になってささっている。本棚にさす本は、ハードカバーのものか文庫というのが一般的ではないだろうか。雑誌はどちらかというと、重ね置くもの、という印象が強い。そんななかごく普通に本棚に雑誌という絵面がよかった。『GORO』以外にも、ぴあの前身となった『Q』、80年代前半の坂本龍一が表紙の『宝島』なんてものもあった。しかも横に配されているものには、『レヴィナスと愛の現象学』なんてものもある。実は考えられているのかもしれないけれど、この雑多な感じはまさにバッキーさんの身上とする「行きがかりじょう」、なんてわかったふうなことを思ってしまった。


 百練文庫から出ている『行きがかりじょう』という本は、バッキー・イノウエさんが書かれた一冊目の著書。新潮文庫のようなものをと、2003年に自身が主宰する百練文庫から10000部出版した。帯にはなんと居酒屋「百練」での焼酎無料券が2枚も付いている、粋なつくりになっているのだ。バッキーさんがいう行きがかりじょうとは、「刹那的なことではない。仕方なくとも違う。自分が選択して、現れるものと向き合い、ポジティブに反応もする。(途中略)行きがかりじょうというのは、シアワセになるための基本的な心構えであり、優れた戦法である(本文より)」なのだそうだ。著書を拝読し、崇拝し、そうありたいと思ってきた私だが、「行きがかりじょう」という身上が、本棚にまで出ていたとは、さすがすぎて最後はまとめようにもまとめられず、言葉もなかった。情けない話だ。昨日、今日整理し、並べた本ではない、何十年と積み重ねてきたその人そのものがあるのが本棚。たまに見直してみると、自分でも思わぬ発見や、ふと思い返す何かが潜んでいるかもしれない、ということを思い知らされた祇園祭前の蒸し暑い京都での1日。本棚はやはり底なしに奥が深い。



バッキー・イノウエ
画家、踊り子、編集者などさまざまな経歴ののち、現在は錦市場にて漬物屋「錦・高倉屋」を、裏寺にある居酒屋「百練」を営む。生業をしつつ、街へ出て酒を飲む日々を雑誌や自身の著書、漬物屋発行の新聞などに執筆している。毎週木曜は百練にてさまざまなアーティストたちの歌を聴く、「百練の聞いて語る祭」を開催。まもなく300回を迎えようとしている。