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これまでに6組の夫婦のけんかを取材してきた中村暁野さん。この企画のもとにある想いや、「家族」「夫婦」「けんか」にこだわるのはなぜなのかを、ご自身の内面を覗き込んで考察していただきました。「中間考察」を経て、さらなるけんか取材の旅は続きます。

中間考察

夫婦のけんかに、夢をみる

写真:中村俵太




ちがいを痛感するジレンマの連続

先日、夫がグラスを割りました。少し前に購入したばかりの作家ものの、一番気に入っていたグラス。洗いかごの上のものをどかさずに下のものを取ろうとしたところ雪崩がおき、洗いかごのそばに置いてあったグラスに直撃。木っ端みじんに。「あ〜やっちゃった!」と叫んだ夫は、わたしのほうをクルリと向いて「でもさ、グラス置いてあった場所も悪かったよね?」とグラスをそこに置いていたわたしに責任転換をしてきたので、驚きました。「…どう考えても横着して取ろうとしたあなたが悪いでしょ」と低い声で返すも「いや〜、置いてた場所も悪かったとおもうよ?」と夫。割れたグラスを片付けながら「これはあれだね。家族分グラスを買ったほうがいいっていうお達しだね。これを機にこのグラスを買い揃えよう」と明るく言うので、また驚き。何事もなかったかのような時間が流れ始めるなか「食器棚の中に戻しておけば割れることはなかったんだ…。やはり置いた場所が悪かったの?いや、どう考えても割ったほうの不注意だよね?」と悶々としてしまったわたしは、数分後「ねえ、グラスについて反省とかないの?」と夫に問いただしてみたのです。すると夫は「え?グラス?!」と、まだ引きずっていたの?と言わんばかり。長く生活を共にしていますが、夫のこういうところに毎回、新鮮な驚きを感じています。もちろん、驚きと共に苛立ちも感じています。べつに落ち込んでほしいわけじゃないけど、ごめ〜〜ん!の一言くらい言うでしょ、そこは。と思うのですが、そんなことを言ったら「過去は振り返らないと決めているんだ」等の発言を更に聞かされ、わたしの主張は彼の特徴である強すぎる自己肯定力に跳ね返され、行き場のない思いが高まるばかりなのです。そんなこんなでわたしに残された道は不機嫌になるくらいなのですが、夫にとってはその不機嫌が理不尽に感じるようで、けんかが勃発。わたしたち夫婦のよくあるパターンです。

このように些細なことが原因の、1日で笑い話にできるライトパターンもあれば、互いの仕事だったり子どものことであったりが原因のヘビーパターンまで。毎回毎回コトが起こるたび、この人ちょっとおかしいんじゃないの?とわたしは思っているのですが、同じように夫も、憤るわたしのことをおかしいんじゃないの?と思っていることでしょう。互いのちがいを痛感するジレンマの連続。わたしたち夫婦の365日はそんな感じです。





けんかにまみれるとは思ってもいなかった

結婚して最初の数年、夫を理解できないこと、夫に理解されていないこと、わかりあう関係を築けない自分たちに、わたしは大きな負い目のようなものを感じていました。
夫とは20歳の頃からの付き合いで、25歳の時に結婚。付き合っていた頃はほとんどけんかをしなかったので、いざ夫婦になったとたん、こんなにけんかにまみれるとは思ってもみませんでした。夫婦になる前となった後で、いったい何が変わったのか。考えてみると、わたしたちは求めている夫婦像がまるでちがったのだと思います。





結婚前、わたしはミュージシャンとして活動をしていました。ライブで全国をまわったり、映画やCMの音楽をつくらせてもらったり、とても貴重な時間を過ごしていたのにもかかわらず表現をする自分に自信が持てず、コンプレックスでがんじがらめになっていました。自分のことばかりに囚われて、誰かや何かの役にちっともたっていないようにも感じていました。そんな気持ちが膨らんでいる中で結婚することになりました。結婚することで自分に新しい役割ができるように感じて、それを嬉しく思っていました。未熟な自分も誰かを支えたり助けたりすることができる、という思い。夫の暮らしを支えよう!と張り切り、また一緒に生きることを決めたのだから、手を取り合い、同じ方向を向いて、夫婦は誰よりわかりあう関係でありたい、という意気込みを持っていました。ですが夫にはそんな意気込みは全くありませんでした。今までの関係性の延長にあった結婚を機に、突然わたしがあらゆることを確認したり共感したがったりしたことに夫は戸惑ったかもしれません。「夫婦は2人で1人だ!」と思うわたしと「夫婦は1人と1人でしょ」と思う夫という感じです。





夫婦という関係すらまともに築けない

翌年娘が生まれ、その半年後に東日本大震災が起こると、夫婦像のズレからくるすれ違いは深刻度を増しました。出産、子育て、そんな中での大震災、と衝撃的な体験が続くのに、夫と力を合わせることが出来ず、1人きりで全て背負っている感覚に陥りました。何一つ変わらず、自由な振る舞いを続けている夫に対してものすごい苦痛を感じ、目も合わせられない口もきけない。そんな時期が続いても、当時の夫は大して気にしていないように見えました。鈍感で自分本意で、自分に対して常に肯定的で前向き。わたしが怒りを覚えていた部分はそのまま彼の強みでもあって、夫は他人からの評価や共感は求めたりしない、自分を信じる力に溢れた人なのです。口もきかなかったわたしが、もしも突然ニコニコと話しかけたら、夫は何事もなかったかのようにニコニコ返事をしただろうと思います。そう思うと1人相撲をとっているような虚しさに襲われ、わたしはコンプレックスをますますこじらせていきました。意気込んではじめた夫婦という関係すらまともに築けない。初めての育児の困難さも重なり、自分は何もできない人間だ、という気持ちが強くなっていたのです。






そんな数年を経て、わたしの爆発をきっかけに、関係を修復しようと向き合うことになったわたしたちは、「家族」という雑誌を一緒に作ってみることにしました。不安や不満を具体的な言葉にすることは、何も築けなかったことを認めるようで、そして自分の寂しさや惨めさを認めるようで、ずっと意地を張っていました。でも限界が訪れ、ついにぶちまけた時、重かった胸が不思議と軽くなったのを覚えています。
夫としては、ずっと怒っている感じはしたけどまさかそんなことを思っていたなんて、という反応でしたが、言葉にしたことに対して向き合おうとしてくれました。すれちがってしまったのは仕事が忙しく、余裕や時間がなかったせいでもあるはずだ。時間を共有して、一緒に何かを作ってみたらきっとお互いをわかりあえるはず、と「家族」という雑誌をつくってみることを提案してくれたのです。
「家族」はわたしたち(夫、わたし、当時3歳の娘)が一つの家族を丸々一年取材して、一冊まるごと一家族を取り上げる、というコンセプトの雑誌です。家族に出会い、家族に学び、家族って何かを一緒に考える、そんなテーマで作り始めてみたところ…なんと、わかりあえるはずという期待は裏切られわたしたちはわかりあえない、ということが、いよいよはっきりと露呈することになったのでした…。




わかりあえないことに、救われた

改めて一つのものを一緒に作ってみると、お互いが感じていること、思うこと、行動の仕方、伝え方、すべてがちがっていて、衝突することばかり。修復を試みたはずが結果過去最大級のけんかが勃発。家が崩れるんじゃないかという爆発的危機を超え、なんとかかんとか「家族」の創刊号ができました。わかりあうため、と始めたはずの共同作業を終えて、わかりあえない、と思ったわけなのですが、その答えに、わたしは救われたような気がしたのです。
そして結婚してから抱えていた孤独の原因は、お互いがわからない、からではなかったとも思いました。「夫婦は2人で1人」であるべきと思い込んでいたわたしと、「夫婦は1人と1人」と思っていただろう夫、どちらが正しいわけでも間違っているわけでもない。わたしと夫はまったく別の1人と1人だけど、そんな1人と1人が向き合って「何か」を作ろうとする関係が夫婦なんじゃないかな、でもわたしたちは今までその「何か」を作ろうとしてこなかったから孤独だったんだな、そしてわたしはずっと、夫と、自分1人ではできない「何か」を作りたかったんだな、と気付きました。

そう気付けたのは、衝突して、もがいたからこそだと思いました。わかりあえないからこそ、向き合って作ったものの中に、わたし1人では絶対に見つけることができなかったものが確かにあるな、と思えたこと。わかりあえないわたしたちも「何か」を作ることが出来たんだ、と思えたこと。それは、わかりあえないことはダメなことじゃない、と思えるきっかけになったのです。

自由奔放でいつも自分に胸を張って生きていて、だからこそ時に傲慢で勝手な夫。臆病で自信がなくて、でもだからこそ守れたものや気付けたことがあるわたし。2人のちがいを認められた時、ずっと認めることができなかった自分のこともやっと少し、認めることができた気がしました。






けんかの先に今、また夢をみたい

何かを共有しようとすればするほどに、時に知りたくもなかった自分と相手の狡さや弱さにも直面して、うわー、めんどくさい。もう本当にめんどくさい、と思う。それは、きっとわたしたち夫婦だけが抱えていることじゃない、とも思いました。けんかを繰り返してしまうのは、関係をあきらめているわけでも、相手を屈服させたいわけでもないのです。

わたしとはちがう、あなたのことを認めたい。
あなたとはちがう、わたしのことも認めてほしい。
そしてわたしも、わたしのことを認めたい。

こうして文字にしてみたらとてもシンプルなのに、とても難しいこと。
でもそんな難しいことの入り口が、夫婦のけんかを通して見えた気がしているのです。

かつて、誰と生きるかなんて自分ではとても決められない時代があって、今も権利を認めてもらえない人がいて。誰もが、その権利を当たり前に持てるようになってほしいと願うし、同時に「選ばない権利」だってあるんだ、とも思います。

誰かと生きることを選んだ後に待っているものが、描いたとおり満ち足りた穏やかなものではなかったとしても。時に孤独や悲しみの吹き荒れる嵐に翻弄されたとしても。6回までの連載を振り返ってみて、それでも人と人が向き合って、ぶつかって、築く「何か」をわたしは知りたいんだ、と思うのです。

中間考察で胸を張って(?)ひとつ言えること。
それは、わかりあえない関係もまたいいものじゃないかしら、ということです。
夫婦のわかりあえない部分、ちがう部分、それがあるからこそ、生まれるもの。

「結婚して、幸せに暮らしました。めでたしめでたし」のその先に待っているのが、避けようのない夫婦のけんかだったとしても。
でも、そのけんかの先に今、また夢をみたいのです。






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中村暁野(なかむら・あきの)

一つの家族を一年間にわたって取材し一冊まるごと一家族をとりあげるというコンセプトの雑誌、家族と一年誌『家族』の編集長。夫とのすれ違いと不仲の解決策を考えるうちに『家族』の創刊に至り、取材・制作も自身の家族と行っている。8歳の娘と2歳の息子の母。ここ最近の大げんかでは一升瓶を振り回し自宅の床を焼酎まみれに。
夫はギャラリーディレクターを経て独立し、現在StudioHYOTAとして活動する空間デザイナーの中村俵太。
家族との暮らしの様子を家族カレンダーhttp://kazoku-magazine.comにて毎日更新中。



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