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その1

聞く耳なんていらない。
押し合い続けるパワープレイのけんか


東京都練馬区の住宅街の一角に現れる「東京おかっぱちゃんハウス」。敷地100坪、築65年の古民家の中にはイベントスペース、スタジオ、ギャラリー、ショップ、cafe、BAR、シェアオフィス、アトリエ、キッチン、テラス、畑といった空間が作られ、アーティストの展示会、トークショー、音楽会、ワークショップ、マルシェ、映画上映会などなど日夜様々なイベントが行われています。ここを営んでいるのが伊藤篤志さんとブージルさん。「おかっぱちゃん」とはブージルさんの通称でもあります。日々楽しんで過ごしているようにみえるご夫婦ですが、篤志さんは脱サラし、イベントスペース運営の道へ。家庭も仕事も夫婦一緒に。そうした環境は時に楽しいばかりでは終われないんじゃないだろうか…?そんな予想と期待を胸に2人に話を聞きに行きました。


夫 伊藤篤志さん 
大学卒業後7年勤めた会社を2015年に辞め、フリーランスの道へ。現在イベントスペース「東京おかっぱちゃんハウス」にて企画・運営を担う。


妻 Boojil(ブージル)さん 
服飾専門学校に在学中、アジアへの旅をきっかけに、イラストレーターとして活動を始める。独学で絵を学び、世界各国を一人旅しながらCDジャケットや本の挿絵、テレビ番組のアニメーション、絵本の制作など幅広く活躍。自身の旅エッセイ『おかっぱちゃん旅に出る』(小学館文庫)がNHK Eテレにてアニメ化。メキシコ留学後の2013年「東京おかっぱちゃんハウス」をオープンする。絵本作家としても活動をスタートし、絵本『おかっぱちゃん』(あかね書房)が発売されたばかり。





親友から夫婦へ

もともと高校の同級生として出会った篤志さんとブージルさん。卒業後、絵の道を志したブージルさんはアジアや中南米を旅しながらイラストレーターとしての自身を築き上げていきました。



一方篤志さんは大学卒業後、金融機関に就職しサラリーマンに。進んだ道は違えども、ずっと親友だった二人に変化が訪れたのは東日本大震災の後。大きな災害が互いの気持ちに気付くきっかけとなったそうです。
「長く友人だったから付き合うなら結婚だ!って、決意して付き合いはじめました」と二人。信頼しあっていた二人の付き合いは楽しく穏やかなものでしたが、その時ブージルさんは半年間メキシコに留学することが決まっていました。
日本とメキシコ、離れて過ごす半年間はブージルさんにとって自分の未来を考える時間になったといいます。

ブージルさん
「日本に帰ったら人が集う場所、好きなことやものが集う場所を作りたいと思いました。イラストレーターとして10年やってきて、たくさんの出会いが仕事に繋がってきた。でも結婚や出産をしたら同じスタンスではいられないかもしれない。だったらイラストレーターの仕事と並行して、新たに出会いが生まれるスペースを作りたい。自分や身近なアーティスト仲間のためにそんなスペースを作りたくなったんです」




夢や目標をイメージする力、それを実現していく力がずば抜けているブージルさん。なんと帰国の翌日に、まさに思い描いていたような物件に出会ったそうです。
資金や運営の不安はありましたが、一緒に暮らすことを約束していた篤志さんの後押しもあり、その物件を借りることに。
サラリーマンとして働きながら、休みの日には必ずあちこちのイベントに出かけるほど音楽や映画や演劇、アートといった分野が好きだった篤志さんにとって、好きなことを仕事にしているブージルさんは眩しい存在でもありました。そして、だからこそ彼女の新しい挑戦を応援したいと思ったそうです。
借りた物件で「東京おかっぱちゃんハウス」をオープンすると同時に結婚。ブージルさんはイラストの仕事をしながらスペースの企画運営を行い、篤志さんは会社勤めをしながら週末のイベントをサポートする日々がスタートします。やがて息子さんのカンくんも誕生。慌ただしくも順調に日々は進むかと思いきや、事態は予想外の方向へ。夫婦は転機を迎えます。




30歳で無職の夫

きっかけは篤志さんの職場の異動。異動先の環境がどうしても合わず、真面目で愚痴や文句を言わない篤志さんが毎晩うなされるほど追い詰められていきました。見かねたブージルさんはある日意を決し「明日、会社に辞めるって言っておいで」と言ったそうです。

篤志さん
「しんどくて、でも踏ん切りがつかなかった時、彼女が『辞めなよ』と言ってくれたことにすごく救われました」

ちょうど子供が生まれたばかり、生後2ヶ月の頃。ブージルさんの気持ちも仕事も不安定な時期に、収入が安定していたサラリーマンを辞めるという大博打。それでも辞めることが家族にとって最善と信じ、周囲の心配や湧き上がる不安も「どうにかなるよ」とねじ伏せました。
それまで強い情熱を持たず仕事を続けてきたことに葛藤を持っていた篤志さんは、好きなことを仕事にする挑戦をしようと考えました。とはいえ、30歳でフリーランスへの転身はなかなかの険しい道。悩む篤志さんにブージルさんはある提案をしました。

ブージルさん
「退職金で行ってみたい所に旅したらって言いました。それまで篤志は長期の休みがなくて旅に行けなかった。私は旅で得たものや学んだことがすごく大きかったから、篤志も旅の中で自分のやりたいことをじっくり考えてみたらいいって思ったんです」



生後2ヶ月の子供を抱えた妻が無職の夫に一人旅を勧める、なんてなかなかできることではありませんが、そこはさすがのブージルさんです。提案を受けた篤志さんは、もともと海外のアーティストや音楽シーンに強い関心があったことから、憧れのニューヨークに行くことに。

旅をした10日の間に、篤志さんの胸には決意が宿りました。

篤志さん
「『東京おかっぱちゃんハウス』の企画運営をやりたいっていう答えをみつけました。週末のイベントを一緒にやってきたのもあり、せっかくスペースがあるのだから、その中で自分が好きな分野の企画を立てていきたいと思ったんです」




妻と夫が上司と部下に

しかしながら、ブージルさんは篤志さんの決意に、素直に賛成することができませんでした。

ブージルさん
「何も経験がないのに一緒に仕事をすることに大きな不安がありました。わたしは10代から、フリーランスで活動して15年。起動に乗るまで5年以上かかったこともあり、ゼロからひとつひとつ仕事をつくってきた自負があります。対して篤志はすでに仕事環境が整っている。まずは外で経験を積んでから、働くことを選んでほしい。一度は外で勉強してステップアップしてからやったら?と。でもわたしの想いに反して、彼はとにかく自分でやってみる!って引かなくて」

篤志さん
「やっと好きなことを仕事にできるんだ!という前向きな気持ちと、初めて故の何でもやってみせる!という根拠なき自信が湧いていたんだよね」




妻の懸念を押し切り篤志さんはブージルさんから企画運営を引き継ぎ、担当することに。更には「東京おかっぱちゃんハウス」のカフェ部門までも立ち上げます。

ブージルさん
「飲食店の経験もないのにカフェなんて……ってそこも賛成できなくて。やる気はあっても全部を同時にやるなんて無理があるでしょって思ってた」

3つの内容のちがう仕事、しかも篤志さんにとって初めての仕事ばかり。すぐにうまくいかないのは当然。そうわかっていても、もっとこうしたらいいのに、というもどかしさと自分の意見を聞かない夫への苛立ちがことあるごとにブージルさんを襲うようになりました。

ブージルさん
「わたしははっきりいってフリーランスとしては大先輩で、しかも『東京おかっぱちゃんハウス』を立ち上げたのはわたしなので、仕事の指示をしなくてはならない立場。つまり上司のようなもの。仕事を一緒にする上で、自分のやり方を通そうとする彼がミスするたびなにをやってんだ〜!って怒りが爆発。そうなると彼はよけい反発して」

篤志さん
「先輩だし上司だしってわかるんだけど、仕事上の関係だけじゃない、夫婦でもある人にそれを言われると反発しちゃうところも正直あった」

新しい働き方を模索していくためには自分でトライ&エラーを繰り返していくしかないという思いもありました。けんかはいつも仕事のこと。幾度も幾度も繰り返し、双方エキサイトして時に子供の前でちゃぶ台をひっくり返したりもしながら、気がつけば3年が経っていました。




息子も3歳、夫も3歳

それでも最近けんかが減りつつある気がする、と二人はいいます。

篤志さん
「僕が働き方をやっと確立できつつあって。当初全部やろうとしていたことがいかに無謀だったかっていうこともわかり、カフェ部門を外部の人にお願いして企画と運営に集中できるようになりました」

そんな篤志さんを見ていてブージルさんにも気付いたことがあるといいます。

ブージルさん
「私自身ずっと1人でやってきて、後輩のような存在を持つことも初めてだったから、自分だったらこうするっていう型に彼をはめようとしていたんだなって。型にはまってくれないと怒りが湧いていたけど、自分とは違う彼のやり方があるんだ、彼のやりかたの良いところ、得意なところを認めていこうってやっと思えてきました。そう思えるくらい、篤志のできることが増えて成長してきた。今は安心して任せられる仕事がたくさんあります」

うちは息子も3歳、夫もフリーランス3歳だからね、と二人は言います。



仕事については厳しい言葉を言う一方、ブージルさんは夫として、父としての篤志さんにはひとかけらの文句もないそう。夫婦で「東京おかっぱちゃんハウス」を営むスタイルは、家事も育児もすべてを半分ずつシェアしあうという夫婦の形も生みました。

ブージルさん
「2人ですべてを担えている。2人ともがお父さんでもありお母さんでもあるような、そんな対等な関係」


そしてそんな関係があるからこそ、イラストの仕事に躊躇せず向かっていけるとブージルさんは言います。


二人は今「東京おかっぱちゃんハウス」をより一層、人と人を繋ぐような場へと発展させていきたいと計画中です。


ブージルさん
「もともと自分のために作りたいと思っていたスペースが予想外に夫の未来に繋がって、彼の仕事になった。彼の生き方が変わった。自分の夢が人の未来に繋がったのはすごく嬉しいことでした。夫は、おかっぱちゃんハウスが誰かの何かを変えるきっかけになるかもしれないっていう可能性の、一つ目のケースでもあるのかなとも思っているんです。人ってやれば変われるんだなってこと、彼を通してすごく感じる3年だったから」

篤志さん
「自分が変われたからこそ、できることがあるかなと思っていて。『東京おかっぱちゃんハウス』が、誰かにとって、プライベートや仕事を充実させる何かを得られるきっかけを生み出すような場所になっていけたらいいなっていうことが、自分の夢でもあるんです」

夫婦のけんかの後に生まれた新しい夢。二人の夢はこれから出会う誰かに繋がり、未来を変えるのかもしれません。




取材後記

人の話を聞くことは大事、とよく言いますが、時には聞かないことも大事なんだなあ、と今回の話を通して思いました。
パワー溢れるブージルさんと一緒に働く夫の篤志さんは、その経緯からお会いする前には姉御肌のブージルさんに引っ張られている感じなのかな?と想像していました。
ですが、そんなブージルさんの意見を跳ね返し何度もけんかしたという2人。夫婦じゃなかったら、ブージルさんがただの先輩や上司だったら篤志さんは「聞かない」なんて選択肢を持てなかっただろうな、と思います。経験者からしたら不合理にみえる失敗を重ねながらも、築いてきたひとつひとつが今篤志さんの自信になっているんじゃないかと思うと、30歳からのフリーランスという道を歩む上で妻への反発は、結果大きな糧となっていたのではないでしょうか。
そうして成長していく姿がブージルさんの意識も変えた現在。ブージルさんのパワーに押されても押し返す、篤志さんもまたパワー溢れる方だったのでした。
お互い押し合うパワープレイのけんかを繰り返すのはなんとも気力体力が必要です。疲れ果ていつも同じことの繰り返しだ、と思いそうでもありますが、押し合いを続けることはそれぞれの意思をさらに強くする力になって、ある時ふと成長したお互いに気付き認め合える。結果お互いの意識や夢を成長させていく…ことがあるのかもしれません!そんなふうに思えた夫婦のお話でした。そう思うと、お2人にはまだまだけんかをたくさんしてほしい!そして「東京おかっぱちゃんハウス」のこれからがますます楽しみにも感じてしまうのです。






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中村暁野(なかむら・あきの)

一つの家族を一年間にわたって取材し一冊まるごと一家族をとりあげるというコンセプトの雑誌、家族と一年誌『家族』の編集長。夫とのすれ違いと不仲の解決策を考えるうちに『家族』の創刊に至り、取材・制作も自身の家族と行っている。8歳の娘と2歳の息子の母。ここ最近の大げんかでは一升瓶を振り回し自宅の床を焼酎まみれに。
夫はギャラリーディレクターを経て独立し、現在StudioHYOTAとして活動する空間デザイナーの中村俵太。
家族との暮らしの様子を家族カレンダーhttp://kazoku-magazine.comにて毎日更新中。



馬場わかな(ばば・わかな)

フォトグラファー。1974年3月東京生まれ。好きな被写体は人物と料理で、その名も『人と料理』という17組の人々と彼らの日常でよく作る料理を撮り、文章を綴った著書がある。夫と5歳の息子と暮らす。そんなにケンカはしないが、たまに爆発。終わればケロリ。
著書に『人と料理』(アノニマ・スタジオ)、『Travel pictures』(PIE BOOKS)、『まよいながら ゆれながら』(文・中川ちえ/ミルブックス)、『祝福』(ORGANIC BASE)がある。




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