青山雑草日記/かわしまよう子
2004年7月31日(土)

ゆうべ遅くまで花を飾っていた。
ほんのちょこっとなんだけど、一本ずつ飾っては眺め、飾っては眺め……。草だけの花かざりを満喫した。
やっぱり花を飾るのは好きらしい。どんな草もかわいいし、器は何にしようかって考えると楽しくってとまらない。花飾りとディスプレイなら徹夜も空腹も我慢できる。それってものすごく好きってことだ。
それで今日の取材は楽しかった。暑い中、蚊の餌食になりながらも草かざり教室に参加していただき、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
雑草にはたくさんの種類があること。よく見ればけっこうかわいいこと。飾るときは(器と花の)相性を大事にすること。かわいいじゃんと思いながら飾ること。 草の名前はいっぺんには覚えられないから、少しずつ遊びながら覚えていただけると嬉しいです。小さな自然からも季節のうつろいを感じてください。
しごとのほんについて聞かれた取材は初めてだった。道端で花売りしているときキャバクラ嬢のスカウトマンに声をかけられ、でもスカウトされるではなく人生について語りあった日々。その人も花はいいよなあと言ってました。そう。花はいいのです。
[Hao]ハオという作っていくことを楽しむひとの本。いらしてくださった方皆さん、素敵な方でした。
今日のイチオシ。
07031
クローバー+ペットボトルのふた+九州の海でひろってきた木、です。

2004年7月30日(金)

今日も頭ががんがんした。夕方、夕立らしき雨が降ったので、これが原因だったのかも。降るべきものが降って、今だいぶよくなってきた。
雨が降るか降らないかは空を見ればわかるけれど、あと、鳥や虫も教えてくれることを知った。雨があがった瞬間、セミがもうれつに鳴きはじめること。鳥の声はいつもよりかわいらしくなること。
セミの声を聞きながら、自転車に乗って夕飯の買い出しに行った。風をこんなに気持ちよく感じたのは久しぶりだった。肉屋のおじちゃんはいつものごとく、暑さで顔はのびきっていたけれど、おじちゃんは71才なんだって。
それから明日の取材用の草をつみに行き、いそいで河原に出かけた。最近みつけた指定席で本を読むのが楽しくて。もしかして活字ぎらいが消えたかも。すごいことだ。作っている人たちの声を想像しながら、少しずつページをめくっている。

2004年7月29日(木)

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人との出会いでも、会った瞬間何かを感じる人もいれば、何回も会っているのに名前さえ気にならない人もいる。初めて会ったはずなのに、どこかで会いましたっけって言ったり言われたり。約束もしていないのに、偶然の出会いが絶妙だったり。人と人との出会い。いろいろある。
人と花もそう。
どこにでも咲いているありがちな花に、なぜか足を止めて見てしまう花もある。なのに「こんなところに」って誰かに言われるまで気づかない花もいたり、いろいろ。名前が気になって気になってしかたないときもあれば、ぜんぜん気にならないときもある。そういうのは“縁”というのと関係あるのだろうか。
写真のトウバナという雑草は、何回もどこかで会っているのにちっとも気にならなかった花。はずかしながら、今回青山の空き地にてそのことを教えてもらう。
トウバナ……。そういえばそんな名前、聞いたことあったかな。
今日は気持ちのいい雨が降った。私は晴れ女のくせに雨が好き。高いところから落ちてくるしずくを一粒ずつ見るのが好き。そのしずくが水たまりに跳ねる瞬間を見るのが好き。
こんなことをじーっと見てるうちに、あっというまにおばあちゃんになってそうやわ。

2004年7月28日(水)

今日は手でちぎったような雲が、ゆっくりゆっくり流れていた。しかし気圧の谷を感じて体はだるい。雨? 風? 台風?
夕方、いつもの土手で紙と鉛筆を持ってすごした。最近、蚊がいないナイスな場所を見つけて私の指定席がある。夏はあっちにこっちに歩くより、ひたすら川面を見るのがいい。遠い空に浮かぶ飛行機。こうもりのはちのじ回転。魚の背面ジャンプ。何を見ていても飽きない。
さすが夏休みとあって、多摩川の土手は花火軍団が増えていた。暗くなればなるほど白い煙がたちのぼって、それを見るのもまた飽きない。楽しげな声と光。夏はいいですねェ。
でも。人が増えるとゴミが増えるのが現実。なんともかなしいかな。人の手で作ったものを、自然の中に捨ててはいけません。人の手で作ったものは、さすがの自然もどうすることもできないのです。

2004年7月27日(火)

昨夜もパン屋さんに泊まってしまった。自分の家以上に居心地がよくって、つい帰りそびれてしまう。
今回はパンのお手伝いも、彼女がやってる布小物づくりの仕事の手伝いもできてよかった。で、どれほど役にたったかというとたいしたことないのだけど、とにかくいつもお世話になりっぱなしなので、小さくなっていた私の気持ちがふくらんだ。人の役に立つって(立ったつもりになるって)気持ちいい。鼻歌も流れてひとり満足気分。
家に帰りついてポストをあけると、大田区の山本さんからお葉書が届いていた。山本さんはたしか「はなのほん」以来ずっとお手紙をいただいている方。冊子に向けた小さな感想をきれいな字で書いてくださっている。とても嬉しい。「夏の緑にありがとう」という文字が忘れられない。

2004年7月26日(月)

いつものパターンで昨夜はパン屋さんにお泊まりした。朝目が覚めたら二人はケンカしていて、
「だから言ってるだろ、バーカ」
「そんなの知るか、ボーケ」
という会話をしていた。なにやら不機嫌な様子。ゆうべ寝床を私が占領したために、あるじは床の上で寝たという。それでなのか? 
お店は月、火お休みなので、私も起きてカレーパンの仕込みを手伝った。人参と玉葱を切りまくる。たまに慣れない仕事をすると楽しい。ざくざく、かしゃかしゃ、むしゃむしゃむしゃ……。
向かいの空き地はどんどん工事が進んでいるらしい。空に伸びたクレーンがちょっと悲しい。
工事が始まって以来、久しぶりのパン屋入りだった。

2004年7月25日(日)

姉に頼んでいた九州滞在中の“ひろったものコレクション”が今朝やっと届いた。桜島や屋久島の海に落ちていた流木、小石、ハンガーフック、バトミントンの羽……など。それから川辺ゴミ処理場でゴミ山に埋もれながらゲットした千里品の数々が、やっと届いた。
一番楽しみにしていたのは川辺から持ち帰った“炊飯釜”。そんなの何するんねー とおじさんたちに言われれば言われるほどニヤけてしまう。人が捨ててしまったものに新しい価値観をみいだす。これが私の至福、らしい。
姉は怪獣のような三人娘(1歳、5歳、8歳)をかかえ、昼間は外で働いているから大変である。ガラクタをと文句ひとつ言わずに送ってくれてありがとう。
夕方、仲良しのパン屋さんとこに出かけた。昨日丹治さんに「東京はもうなにもない」なんてぐちったので、なんとなくごはんをつくりに来た。そしてみんなで食べた。
にとって東京とはなんだろう。お洒落なものがたくさんあって欲しいものはなんでもある。でも……私の欲しいものはあるのだろうか。

2004年7月24日(土)


昨日のカフェで屋久島短期移住計画を発表。(ほんとか?) とりあえず年内にもう一回行くので、通帳開いてにらめっこした。まぁ、なんとかなるだろう。(ほんとか?)
それでもって兄さん姉さんに電話した。屋久島はどんなですかって。そしたら「暑いでぇー。でも夜は寒いでぇー」だそう。目を閉じるとあの星の輝きを思いだす。
今日は茨城から生徒さんが来てくれた。9月から東京で働くというのに「いやだぁ〜」と眉を寄せて言っていた。田舎で暮らしたいのだそう。自然の中で暮らしたいのだそうだ。
夢と現実問題はそううまくはいかないのか。
それにしても暑い。雨が恋しい。

2004年7月23日(金)

九州滞在中にカリカリになっていたワイヤープランツたちに、新しい葉っぱがでてきた。みじかく切りつめたところに窮屈そうに生えている。こんなに暑いのに復活してくれて嬉しい。
今日は知り合いがつくったカフェに行った。この日を心待ちにしていたので、連絡をいただいたときは嬉しかった。
場所は話しのとおりわかりにくいところだった。そしてなるほど! とうならずにはいられない空間だった。どこからどこまでもがひたすら“さすが”。それでいて流れているものは静かなにおいだった。
おいしいチーズケーキとコーヒーをいただき、しあわせをわけていただいてきた。
今度は誰かを誘って行こう。

2004年7月22日(木)

今日はいくぶん過ごしやすい一日だった。根っからの冷え症体質の私には、これくらいがちょうどいい。
こんなに暑くなると散歩するなら夜だよな、と思う。今日もマツヨイグサがきれいだった。月の光を受けとめる黄色い花。小さい頃、月見草だと思っていた花。
最近なんだか物騒なので、夜はふらふら歩かないほうがいいとは思う。でも今日は歩いてしまった。そんな気分だったらしい。
てくてく……と歩いていたら昔、田舎に住んでいた頃のことを思いだした。夏になったら花火をリュックに詰めこんで出歩いていて、夜中の公園でぼーっとセミの脱皮を見守ったり、空の下に寝て朝露を体に受けたり……。堤防にねころがっては流れ星(これがまたスゴイ!)をながめたり、船の先端にねころがっては風を顔面で受けたり。夏を満喫していたな……と。
いろいろなことを思いだしながらマツヨイグサの横を、てくてくと歩いた。

2004年7月21日(水)

夕方、商店街に買い物に行った。肉屋のおじちゃんはもうバテバテで仕方がない、といったかんじだった。私も負けないくらいバテバテだったのだけど、コロッケをもらってなんとかもちこたえる。
おじちゃんはいつも「よう子、仕事はあるのか?」と聞いてくる。あるとかないとか返事をすると、おばちゃんが「まぁ、なんだかんだいいながらやってんだもん。たいしたもんだよ。」とホローする。そのあと、家賃はいくらだ? 結婚しないのか? 実家と連絡とってるか? のどれかの質問を続けるおじちゃん。
ひとむかし前は「よう子は肉屋にはならないのか?」ってのもあった。今日はちなみに家賃について。最近この質問が多い。

2004年7月20日(火)


今日も暑かった。40度?! ふらふらになりながら朝から夜まで外を歩いた。
この暑さの中、アスファルトのすきまから咲いている雑草はすごいと思う。焼けるようなあの温度に耐えられるなんて、ほんとうにすごい。
写真のアレチノギクという雑草はまたとくにすごくって……(すごい! しか言葉がみつからない)名前のとおり、なにもこんな場所にと思うところに生える。車が走る道路の脇とか、水分を感じないやせた土の上とか。そんなところが好きなのか? そんなとこしか場所がないのか?
たった今。雑草たちよ、えらいよすごいよ、と思いながら日記を書いていたら、北海道にいる友達からメイルが届いた。どこかで気温を聞いたらしく「東京はすごいことになってるらしいね。負けるな雑草たち」。
とても嬉しかったのだけどちょっと思った。負けるなワタシじゃないのね、と。でも「夏バテしないように頑張れ」と言われるより励みになる。頑張ろうと思うとき、頑張っている人を見るのがなによりの励みになるように。

2004年7月19日(月)

今日は青山へ出かけた。アノニマ・イベントの週末食堂、内田さんの手料理をいただいてきた。
アノニマ・スタジオはいつもの様子と一変していて、すっかりカフェスペースになっていた。「おーっ」という声とともに窓際の席を選んで座る。お料理はもちろん、ドリンクもやっぱりおいしかった。内田さんの手にかかると食材がみるみる新しいカタチに変身していく。
内田さん、お声をかけてくださってありがとうございました。そしておいしいお料理、ごちそうさまです。
満腹のお腹をさすりながら歩いていたら、イデーの大熊さんにお会いした。それからイラストレーターの石坂さんにも。石坂さんに会うのは久々で、あまりにも嬉しくてしばらく一緒に歩いた。青山に来ると小さな出会い(草)も大きな出会い(人)もある。
夕方葉田さんのおうちに行った。さんぽのほん、秋の号の原稿ができた。
お仕事をお願いにあがったのにごはんをいただき、誕生日プレゼントをいただきしあわせだった。
やっぱり東京もいいよなぁ、なんて思う。

2004年7月18日(日)

下北沢に用事があって10日ぶりに電車に乗った。そうか、今日は三連休の中日。いつもと違う声のトーンにかこまれて、夏の暑さを感じたりした。
九州から戻ってきてエネルギー全快だったのも束の間、ここ数日また意気消沈している。理由は二つ。仕事関係と自然関係。
仕事は、一つずつこなしていきたいという自分の性分がいやになってきた。それってほかのことができないということで、自分の中にあるものがからからからから音を立ててまわっている。何度も何度もこれではだめだと思いつつ、今日こそほんとにだめだと思った。
二つめは自然関係。自分は東京にいなくていいんじゃないかと思っている。ずっと前あるところに営業の電話をかけたとき 「雑草? そんなの東京には生えてないからね」ってピシャリと言いかえされたことがあった。くやしくてくやしくて涙がでた。東京をそんなとこにしていいのかーって。もう何年も前のことだけど。
この前ナカムラさんに写真を見ていただいたとき「くるしいでしょ?」と言われた。すごくびっくりした。そんなことを言われたのは初めてだったし、くるしいですと答えたのも初めてだった。
しばらくやわらかい土の上で暮らしたいなぁ。今日たくさんの足音を聞いていて思った。

2004年7月17日(土)

ここ4〜5日、暑かったりで安眠できていないうえに、昨日は一晩中上の階のおじちゃんのラジオが大っきくてまた眠れなかった……。どれだけ大きいかというと、気をまぎらわすためにかけたアン・サリーの曲がミックスされるくらい。聞いたこともない曲になる。曲というかお経? 昼間から夜中の二時、三時、四時…… AMラジオのあの男の人の声が、ずーっとずーっと流れている。
窓もぜんぶ閉めて布団にもぐってもだめで、とうとう花粉症まではじまった。私の花粉症は睡眠不足で再発するのだ。ああ……ついにヨレヨレ。
今日はおじちゃんに言うぞ!と思っていたけれど、なんと、おじちゃん外出中。昼すぎ、部屋に戻ってきた気配とともに音はやんだ。
……。

2004年7月16日(金)

昨日の夜遅く、沖縄級の大ゴキブリが出た。
それだけならまだなんとかなるものの、ええぃと戦っている後ろから、今度はブゥゥゥンとすごい羽音をひびかせてカナブンが登場。私はゴキブリよりカナブンが苦手。このはさみうちはつらかった。
今日から教室が再開。しばらく九州に行っていたので、その他もろもろがあるかと思い一週間おやすみしていた。けれど結局することなくって(ないことはないのだけど、なんともお気楽な生活をしている。まずい。すっかりぼーっとすることに慣れている。
でもとまり木の兄さんが言ってた。「がんばらんでもええねん」って。つまりは10代20代で頑張ってもたかがしれとる。もっと遊びなはれ、と。大人になって頑張るべきときがきたとき頑張ったほうが効率がよいというのだ。なるほど。

2004年7月15日(木)

うちの上の階に住んでいるおじちゃんが、どうやら朝の“ラジオ体操”にめざめたらしい。
「さぁ〜つぎはむねをはって〜」くらいから私は目が覚めるのだけど、それが毎朝とんでもなく音がでかい! 昨晩なかなか寝つけず、くわえて夢見も悪かったので今朝はさすがにしんどかった。窓全開にしてフルボリュームのいきおい。夏のあいだずっと続くのでしょうか……。
今日この暑さの中、もちろんエアコンもつけずに領収書の整理に燃えつきた。そういえば日記を始めるとき「日記だけは続いたためしがなくって……」と書いたかもしれない。けれどあれはうそだった。小遣い帳なるものもまったく続いたためしはなく、いつもしりきれとんぼになっている。
それから今日、ラ・ガルリ・デ・ナカムラの中村さんからお便りをいただいた。便箋に描かれた朝顔の表情と中村さんのやさしさが重なって、なんだかちょっとじんとした。
また明日から頑張ろう。

2004年7月14日(水)

山崎まさよしのCDを図書館に返し(ながながと失礼いたしました)、今度はボブ・ディランを借りてきた。久しぶりに聞く独特なテンポ。二十歳くらいのときはまって聞いていたけど、こうやってオトナになってから? 聞くとまたひと味もふた味も違って聞こえるかも。一番好きなあの曲! を探しているけどみつからない。歌うに歌えないのでがんばって地道に探さなくては。
あさってまでに期限を延ばしてもらい、今日、切手についてのコラムを書いた。7月23日から10日間ほど、渋谷PARCOのロゴスギャラリーで開催される切手イベント「It's a Stamp World」に参加することになったのだ。
なぜか小学生でコレクターごころに火がついていた私は、当時発売された切手は全部買っていたと思われる。今回展示するのは中国で買った“とっておき”だけれど、懐かしいことをたくさん思いだす一日だった。
このイベントはそのまま本になるらしい。楽しみ。

2004年7月13日(火)

0713むおおおお……っと暑かった。夕方、蚊とり線香をいれた香炉を持って公園にでむく。暑いけど、木の陰のベンチでもろもろの用事をすますのが好き。結局は蚊の餌食になるのだけど、たえられるまでそこで がんばる。
カレンダーを見ると7月もなかば。暑いはず。どこを見ても私の好きなドクダミの花は終わっていて、深い緑色の葉っぱだけが残っている。
8月号の装苑でも紹介したけれど、私はこのドクダミが大好き。どれくらい好きかというと……、人でいうと親友をおもうようなかんじ。道ばたで出会うとなんだかじん……としてしまう。なんでだろう。なんでかなぁ。
このドクダミは地下茎でどこまでものびていく。何かの本で数十メートルも! と書いてあるのを見たことがある。雑草と思って抜こうとすると根っこから全部をひきぬかなくてはならず、それって多分不可能なので、苦労したわりにまた生えてくる。ヨッ! それでこそ雑草! 影ながら応援しているのは私。
最近八重の花や斑入りの葉をしたものがお店で売られていて、意外と高値なのにおどろかされる。


2004年7月12日(月)

くもり、ときどき雨がぱらつくこともあり。連日うだるような夏日だったのでたすかった。
夕方、たまちゃんがうちに来た。留守中の水やりのお礼を兼ねて、おみやげの受け渡しと一緒にごはんを食べた。
久々に会うと話しがつきないのだけど、今日はどうもめまいがしてしんどい。ごはんはたくさん食べてるし、睡眠も人いちばいとっているはずなのになんでくらくらするのだろう。でもオセロの勝負は圧勝した。ぜんぶ白でうめつくしたので気分はよい。

2004年7月11日(日)

今日は花の仕事に踏みこんでまる4年がすぎたという記念日。自分が歩いている道についてほんのちょっと自問自答してみる。
友達の買い物の付きそいで渋谷まで行こうかと思ったけどそれはやめて、家の近辺をうろうろして過ごした。雑草たちもしばらく見ないうちにこれでもかとはびこっていたり、写真を撮ろうと思っていたところが草刈りされていたり、ちょっと歩いただけでおもしろい出来事がけっこうあった。そうそう、とんぼの交尾にでくわしたのだけどどう見ても水色のとんぼと黄色のとんぼがくっついていた。今の時代こんなことは普通なのか。
部屋を夏仕様に変えて、涼しさをよぶために風鈴をつるした。風鈴は市川実日子さんのお手製。うちの家宝のひとつ。

2004年7月10日(土)

最近食べることに対してかなり怠慢。じゃが芋、ゆでるだけ。皮もむかずに食べる。トマト、ひたすらかぶりつく。塩もふらずに。青野菜はとりあえずゆでておいて、しょうゆ少々かけるていど。でもこれくらいが夏はうまい。 今日ははやしさんがうちに来た。東京に戻ってきて初のお客様だった。はやしさんとの写メールしりとりはまだ続いていて、今「じ」の返事待ち。写真にこだわるとかなりあついゲームになる。 九州土産を食べてもらいつつ、誕生日クッキィをいただきつつ、屋久島の写真を見てもらいつつ、納豆を食べた。今日は7/10で“納豆の日”。挽き肉と炒めてレタスで包んで食べた。

2004年7月9日(金)

くどいけれど屋久島のはなし。だって一日に何回も思いだすのだ。やっぱり島はいい。
まず何がいいのかというととまり木の居心地の良さ。兄さん姉さん、である。あのへんをうろうろしているとき、あーこれが自分なんだ、と思う。違和感のない居心地というのか。
島にいるときいろんな人と話しをした。みんな自分の人生や自然について一生懸命だった。それは人に認められたいという野心や見たくれはぜんぜんなくて、自分の中で一生懸命だった。私が東京で見失いそうになっていたこと。それが普通だったからうらやましくってくるしかった。
それから自然に対する意識がみんなと同じで嬉しかった。人様がどうこうしないことが一番だってこと。自然というか生命というか、いろんなことがあることがわかっているかのように、ちゃんとつながっていくものなのだ。自然はそのままの姿がいちばんいい。
兄さん姉さん釣り人たちの、口とはうらはらなやさしさに早くもいいようのない気持ちになっている。
今日九州で撮った写真ができた。なんでもないものをたくさん撮っていたみたいで現像代に汗をかく。財布がかなり軽くなったので頑張って働かねば。

2004年7月8日(木)

暑い……。暑いというより“熱い”東京。
しばらく見ないうちに小庭のトマトがかなり伸びた。まだ花は数個だけだけど背たけは私と同じくらい。それにくらべて小ネギはちっとも大きくなっていない。一番楽しみにしているのにヒゲの状態のままだ。
それにしても暑い……。クーラーをつけたいけど、私一人のために室外機が稼働することには抵抗がある。あの熱風がきらいなのだ。あれさえなければもっと涼しくなると思うとますますきらい。
夕方、多摩川の斜面に寝そべった。今日は意外ときれいな空の色をしていた。夕焼けこやけを歌いたくなる季節かな。

2004年7月7日(水)

東京の朝。静かな朝。
昨日は夜遅くに家についたので、不在中に届いた手紙や荷物の受け取り、植物たちの健康チェックをしたりした。植物たちは数鉢ごめんなさいしてしまったけど、こんなに暑い季節だもの。みんなよく頑張った。往復40分も自転車を飛ばして水やりしてくれたたまちゃん。ほんとにほんとにありがとう。
さて。九州で大きく羽を広げてきた私は、多分今ならなんでもできる。ちょっと前までは自分の思っていることを誰もわかってくれない……なんていじけてたけど、今はわかってもらえるように努力しなくちゃ、と思っている。自然の中にただずんでいたら自分がむかっていきたい道がちゃんと見えたみたい。自然と整体の力はすばらしい。
この集中力がずっと続きますように……。七夕さまへのお願い。

2004年7月6日(火)

0706
いよいよ最後の九州日記。こんなにあっという間に過ぎるとは……。
今日は朝から整体に出かけた。忘れてならないのはこれが今回の最大の目的ということ。健康になること。そして自分らしく笑うこと。
東京ではなんだかぐちぐちねちねちしていた自分がいた。ほんとに些細なことでストレスを感じていたらしく、この突きぬけた空の下で過ごせた時間は本当によかったと思っている。
整体ですっきりしたあと本屋さんへ行った。図書館へはよく行くけどスーパーみたいな本屋は苦手。久しぶりにゆっくりながめて雑誌の多さにおどろいた。たまに自分が載っていたりするともぞがゆい気持ちがした。
帰り……。飛行機にまた乗り遅れそうになる。ほんとのこというといっそ乗り遅れたかった、のだけどこういうときって間に合うものだ。
明日、丹治さんと打ち合わせがある。もしも口を開いて遠くを見ていたら、うちわでぱたぱたしてもらうことは可能であろうか……。

2004年7月5日(月)

早いもので、九州滞在も残すとこあと一日。今回は見慣れた景色の中で心身を休めたいという気持ちがあったのに、毎日毎日あっちこっちと出かけてしまい、かなりハードにすごしてしまった。
祖母には「帰ってくるからね」と連絡したものの、結局ちらっとしか会っていない。一人暮らしだからいつもさみしい思いをさせているので、なるべく一緒にいてあげたかったのに。いつものことながら反省する。
祖母は戦争で祖父を亡くし、今の時代では考えられない苦労を重ねている。それなのにかわしま家はちょっと複雑な環境になっているので、私とこうやって仲良くしているのも最近といえば最近のことなのだ。
だから今夜は祖母の家に泊まりに来た。いちばん手のかかる幼少時代を育ててもらったりしたので祖母孝行をしたいと思って。いや、しかし……、なんでもないことをよくしゃべること。それもおんなじことを何回も何回も……。はじめはだまってうなずいてたけど、だんだん辛抱できなくなって早く寝てくれ、とお願いしてしまった。
ほんとにたまにしか会えないのだから何回でもうなずいてあげればいいのに。ごめんね、おばあちゃん。

写真はそんな祖母のうしろ姿。

2004年7月4日(日)


鹿児島での朝。なぜかホームシック。とまり木の予定表に「よう子脱走」と書かれているかと思うとしょげてしまう。
屋久島に来ておどろいたことは、言葉にできないことの多さ。うすうす気づいていたけどほとんどがそう。多分私が活字ぎらいでボキャブラリーも足りないのもあると思う。でも。心の中にズコンときたことほど、人に話したり日記に書いたりできないものかも。
そうそう昨日書き忘れたことがあった。私を神社に届けてくれた釣り人の言葉。「みんな何かを犠牲にしてここに来てるからね」。
いろんな人がいるけれど仕事をやめてまででかい魚を求めて来ている人もいる。釣り人曰く、そんな人の思いは無駄にはできないと。釣った魚の写真を真剣に撮る理由であった。魚は撮影後すぐ海にかえすものらしい。それだけのことにそんなにあつくなれることは理解しきれないのだけど、釣り人の思いはうらやましかった。いつかまた会えたら釣り竿一本勝負をしてみたい。
今日は加治木港で釣りをする話しがあったけど、それには行かずふらっと散歩したあと一日中昼寝していた。姪っ子のかなちゃんと七夕の飾りを作ったりした。

@とまり木情報 09974-3-5069 屋久島空港からすぐ
ひとり旅をおすすめします。

2004年7月3日(土)

八時起床。今日こそは帰らなくちゃ、そう思っているのに遅起きしてしまった。宿泊客はもうとっくに出かけていて、宿はがらんとしていた。
それにしてもいい天気。この島でこの時期に雨にあたらないってすごいことでは。自分の晴れ女ぶりにほれぼれする。でも写真はあまり撮っていない。自分が撮りたいように撮れない自信がある。
さて、出港までまたお昼寝か? と、とまり木にあった雑誌をぱらぱらめくっていたら、ある神社の話しが目についた。この島の一番北にある矢筈神社というところ。もう何年も初詣に行ってないので、歳もひとつ増えたことだし昼寝はやめてここに行くことにした。
それで姉さんにチャリで行くと言ったときはこわかった! 大きな声で「行けるもんなら行ってみい!」「行ってもええけど知らんでえ!!」なぜかケンカ腰。確かにここからは遠いし時間もない……。そしたらたまたま横で漫画を読んでいた魚命の釣り人が、しかたなさそーに立ちあがってくれた。今回島では車に乗りたくなかったんだけどしかたなく乗せてもらって、目的は無事に達成できた。
釣り人とは三年前にここであっているらしい。たまたまトカラ島? まで釣りに来たみたいだけど、その頃とまり木の住民だったとか。不思議な縁だ。
たった三泊なのにこのいいようもない気持ちはどこから来るのか。釣り人に港で下ろしてもらい船に乗り、甲板から島をぽけーっと眺めた。船が動き出したとき!! やっと姉さんが駐車場から手をふっているのに気づいた。声にならない声を初めて出した。私は姉さんが大好き。この島は兄さん姉さんがいるからこそ、こんなに親しみがもてるのだと思う。
鹿児島に夕方ついてバーベキューした。ホタルの光を久しぶりに見た。
うっすらと開聞岳見えますか? ずっと前私がホームシックにかかった
JRのポスターとおんなじ風景が、こんな船の上で見れました。


2004年7月2日(金)

本当なら1:20発の鹿児島行きのフェリーに乗る予定だった。けれどなんとなく帰りそびれてまだ屋久島にいる。
なんで船に乗れなかったんだろう。荷物もまとめたし、姉さんも港まで送ってあげるって言ってくれたのに。意味もなくハンモックにごろんと昼寝なんてして屋久島を贅沢にすごしちょるわぁ」と、兄さんに言われてみた。確かに、みんな力のあるかぎり山に登り、時間のあるかぎり名所を見る。昼寝なんてもったいないのか。
雑草図鑑を広げて、この島のことを、自然のことを、私なりに考えてみた。いろんな島があって私自身多くの島は知ってはいないのだけど、どう見てもこの島は別格だ。旅で来ている人と話していて気づいたのだけど、自分の中の答えを探しに来ている人も多い。三年前の私もそうだったし、昨日出会った自衛隊の人もそうだった。とまり木の滞在者にもたくさんいる。その理由は、私はこの島には神様がいるからと信じている。こんなハイテクな時代にこの島はそれを信じさせてくれる。自然てとても強烈なんだけど、一人でいてもこわくないのはそのせいなんだと信じている。
夜、兄さんに亀の産卵を求めて車を飛ばしてもらった。人もいなくて自然のままの場所へ連れてかれた。しかし、待てども待てども亀は来ない。昨晩もここに来て、二日連続亀に会えなかったのは兄さんも初めてのことなんだとか。


2004年7月1日(木)

何から書こうか。旅にでるといろんなことがありすぎる。いろんな出会いがありすぎる。
とりあえず、昨日のことだけど、屋久島に来てしまった。久しぶりに奄美もいいな、まだ見ぬ種子島もいいな。と、迷っていたことも忘れて屋久島へ。
この島は三年ぶりなのに、愛宿の“とまり木”の兄さんと姉さんは会うやいなや「おかえりぃ」「やせたんやないかぁ」って。「ただいまぁ」と大きな声で返事したら、じんわり嬉しくなってしまった。お日様がてっぺんにあるさなか、兄さんに連れられて流木ひろいに行ったりした。ジュゥ……って音がしそうなくらいとんでもなく暑かった。
そして今日は白谷雲水峡に登山。なにも考えずに来たので、靴もカッパもリュックも姉さんに貸してもらった。朝5時に起きて約10時間。台風で通行禁止区域があったので、えらい遠まわりして登った。屋久島の山。……もうここからのことは言葉にできないことばかり。もちろん苔苔苔……。ひたすら神秘的な世界。屋久猿、屋久鹿、屋久蛙? 東京ではない出会いがいっぱいあった。東京では聞けない音もたくさん聞いた。不思議なもので一人で登ったけど全っ然こわくない。どこまででも行けてしまうそんな自分がこわいくらいだ。でも、今日の目的地太鼓岩からの景色はこわいを越えておそろしかった。山頂からぴょんと飛びだした巨大岩に立つと、この世とは思えない絶景が待っている。
下山。また財布を忘れてたまたま居あわせた人に通行料を払ってもらう。けしてわざとではない。
下り終わったらその足で三浦くんを見送りに行った。三浦くんとは2ケ月ほどとまり木に滞在してた庭師さんで、会ってすぐ告白されてしまった人だ。三浦くんは告白だとみんなに言ってたけど夏の海にありがちなああいうのではない。花や自然に対する思いと疑問が私と似ていたのだ。今どきこんな人もいるんだと思った三浦くんは、鹿児島へフェリーで渡ったあと3年の年月をかけて北海道へ旅をする。自然を感じる旅をする。自分が目ざす庭師さんになるために車にはたくさんの図鑑が乗っていた。
見ずらくて悪いのだけどとまり木の予定表。私は30日にやってきたのだけどここでは“帰る”という意味になる。屋久島を離れるときは“よう子脱走”と書かれる。


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