家族4人で1年に出すごみの量がわずかガラス瓶1本分(=1ℓ)という驚異の「ごみゼロ生活」を紹介する
『ゼロ・ウェイスト・ホーム』。
生活のシーンごとに実践的な取り組みが紹介されていて、
興味のあるところや身近なところから少しずつ始めることができます。
「日本でもできるの?」という疑問にお答えすべく、
翻訳を手掛けた服部雄一郎氏による実践リポートを
お届けしていきます!

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第8回  “うつくしすぎる” ゼロ・ウェイストの子ども部屋


◆ジョンソン家の子ども部屋

「4人家族の1年間のごみがわずか1ℓ」という驚異の可能性を世界に知らしめてくれたベア・ジョンソン・ファミリー。その創意あふれる暮らしぶりは、私たちに数えきれないほどのインスピレーションを与えてくれますが、僕が個人的にいちばん大きな衝撃を覚えたのは、その“うつくしすぎる”子ども部屋です。




これはジョンソン家の下の男の子(当時小学生くらい)の部屋の写真。この目を疑うようなスッキリ感!(写真は勉強机しか映していませんが、部屋全体がこんな感じで、押入れの中にもほとんどモノがありません。別室や倉庫にモノが隠してあるわけでもなく、これが「普段」の状態です。)








こちらは上の男の子(当時高校生くらい)の部屋。同じく、神々しいばかりのスッキリ感です。この衝撃の子ども部屋を見て、心に浮かんだのは「いいなぁ」と「ホントにいいのかな?」の両方でした。




◆子ども部屋をめぐる心の葛藤

「子どものおもちゃさえきれいに片づいたら…」と思い続けて〇年。これ、多くの親御さんに共感していただける感覚だと思います。わが家も、いろいろな工夫や、迷走や、諦念を経て、かなり改善してきたと自分を慰めてはいるのですが、現状はいまだにこのとおり……



ジョンソン家に比べて、何と所帯じみていることか! 一昨年の「こんまり流片づけ」を経て、3人分のおもちゃと絵本と上着とかばんを合わせてこれだけに減らせたのは、それなりに評価できるかなと自負しているのですが、いかんせん、雰囲気がイケていない…。ジョンソン家のうつくしい子ども部屋がうらやましいです。

でも……。何とない疑問も残ります。ジョンソン家の真っ白な子ども部屋は、どう見ても「子どもの趣味」とは思えない。「子どもはイヤじゃないのかな?」 果たして、親に押しつけられている感じはないのでしょうか?

経験上、子どもはキャラクター物やチープなプラスチック製品が大好きです。いつも“どこまでを許容すべきか?”で悶々としているわが家。先日も、「現状に流されず、できる限りゼロ・ウェイストを目指す!」と強い決意を固めたわずか数日後、保育園で“バザー”という手ごわい行事があり……


ご覧の通り、娘が持ち帰ったのは、これだけでガラス瓶10本分以上になりそうな雑多な品々の山! そして、このうれしそうな表情!(※これに加えて、下の息子もほぼ同量の品々と笑顔を携えて帰宅しました。)


この笑顔を見た瞬間、「子どものごみはゼロ・ウェイストの目標から当面除外しよう」と翻意した自分です。現実問題、ジョンソン家のようなスッキリした子ども部屋は可能なのでしょうか? そもそも、目指してしまっていいのでしょうか!?



◆目からウロコのゼロ・ウェイスト教育論

そんな疑念に対して、さすがは“カリスマ”ベア・ジョンソン。しっかりと腑に落ちる考えを提示してくれています。

その1:すっきりした部屋は子どもにとっても快適

“どこかで制限を設けなければ、子どものいる家庭はいともたやすくおもちゃの洪水に呑まれてしまいます。(中略)午後の数時間めいっぱい遊んだだけで、あざやかなプラスチックが床中に海と広がり、最後は全部片づけなさいと言い争うのがオチ。この大混乱、一体誰を責めたらいいのでしょう? このいつ終わるともしれない片づけと、それに続く口げんかは誰のせい? おもちゃを全部出してしまった子ども? それとも、こんなにたくさん家に持ち込むことを許した大人???”
(『ゼロ・ウェイスト・ホーム』p.244)

このくだり、思わずハッとさせられました。「片づけなさい!」の口うるさいお説教、わが家も毎日飽きもせずに繰り返しています。子どもの欲求を尊重して、おもちゃやガラクタに「目をつぶっている」つもりでも、結局毎日「片づけなさい!」とガミガミお説教するのでは、子どももたまったものではありません。
対するジョンソン家は以下のとおり。

“暮らしをシンプルにして以来、片づけはもう面倒な作業でもなければ、口論の元でもないのです。すべてが整然と整っているうえに、おもちゃの量も減ったと来れば、片づけなんてあっという間。簡単で、苦労知らずです。たぶんこの変化が、息子たち自身のゼロ・ウェイストへの挑戦の中で、もっともわかりやすいメリットだったのではないかと思います。”
(同p.244-245)

「片づけなさい!」と無縁の暮らし。なるほどこれはポイントが高いです。整った部屋で、親からガミガミ言われることもなく、ゆったり落ち着いて過ごすことができるのは、子どもの精神衛生上良いに違いありません。

わが家も、まだまだ不十分ながら、だいぶ子どものおもちゃを減らしてきて、その効果を実感しつつあるところです。「親の心、子知らず」とは言いますが、子どものご機嫌を伺いつつ、隙を見つつの断捨離には相当な手間がかかりました。でも、特に目覚ましい効果があったのが障害のある長男。元来、持ち物への執着が強く、かつ片づけや管理は苦手なため、毎日10回くらい「〇×が見つからないー!!」とパニックに陥っていたのですが、おもちゃの量を減らしてみたら、なくしものの数と頻度が激減。つくづく、子どもには「与える」ばかりでなく、「管理しやすい量に抑えてあげる」という視点も重要なのだと教えられた一件でした。


その2:モノは少ない方が価値が深まる

先日、子どもたちと一緒に「大草原の小さな家」シリーズを読みました。その中で主人公のローラが、たったひとつの古びた人形を分身のように大切にしたり、クリスマスに質素なコップをもらって歓喜したりする場面が深く印象に残りました。

 豊かな現代。今や、こうした「モノが少なかったからこそ」のよろこびや真実の贅沢というものは、失われてしまったのかもしれません。今、わが娘はぬいぐるみを10個以上持っていますが、どれひとつとして「分身のように大切」なんてものはありません。すべてをぞんざいに扱っています。お絵描き用の紙も色鉛筆も山ほどありますが、ありすぎて何の思い入れもありません。

“満杯のおもちゃ箱というのは、言ってみれば、詰め込み過ぎたクローゼットのようなもの。選択肢がありすぎると、子どもはいつも同じおもちゃばかりを選ぶようになります。心理学者バリー・シュワルツが「選択のパラドックス」と呼んだこの現象、選択肢がありすぎることに起因する一種の麻痺状態です。”
(同p.247)

モノが豊富にあることで、ひとつひとつのモノの価値も薄まってしまうのです。ジョンソン家のミニマルな子ども部屋では、きっとひとつひとつのアイテムが輝かしい存在感を放っていることでしょう。そんな「ひとつひとつのモノが大切」という感覚を養えるのは、こと現代にあっては貴重ではないかと思います。


その3:周囲に合わせるのではなく、周囲のお手本となる

“ゼロ・ウェイストの家族では、子どもたちのいちばん重要な任務は、モノを[家に]持ち込む前によく考えること。きちんと教えましょう。すべてのものが丈夫に作られているわけではなく、そういうものはすぐに壊れて、壊れたらあなたが泣くことになるのだと。受け身にならず、価値のあるものとすぐにごみになるものを見極めて、手遅れになる前に「ノー」と言うことを教えましょう。断るにはそれなりの覚悟が必要です。「受け取る」ことが礼儀正しいとされている社会では、断るというのはまるでマナーに反しているように見えかねません。でもそこは、新時代を生きる私たち両親が、善意の贈り物を礼儀正しく辞退するのは悪いことではないんだよと子どもたちに教えてやればよいのです。人と違うことへの不安は万国共通、子どもにはとりわけ顕著です。断るには途方もない勇気が要りますが、こうしたチャレンジに出会うことで子どもは一生ものの自信を築き、それが他の子どもたちのお手本にもなるのです。”
(同p.251)

この力強いパッセージ、思わず脱帽してしまいました。ベア流「ゼロ・ウェイストの教育論」の中でもいちばん感服した部分です。個性を重んじる文化圏ならでは、という気もしますし、日本で同じように決然と突き進めるかとなると心もとない部分もありますが、少し意識してみるだけで、世界がまったく違って見えてくるのを感じます。

その通り、ゼロ・ウェイストとは本来、「人と違って困ること」ではなく、「人のお手本となるべきこと」なのです。ゼロ・ウェイストを通して、もし子どもがそんな強さや自信を身につけることができるとすれば、それはかけがえのないことですし、きっと、そうした強さによってこそ、この世界はより良いものに変わっていくのだという希望も感じられます。


◆さっそく見えてきた、小さな変化

さて、“そうは言っても”、なかなかすべてがすんなりうまく行く世の中ではありませんが、そんな中でも、“家族として”ゼロ・ウェイストに取り組み始めたことで、わが家の子どもにもさっそくささやかな変化が生まれ始めています。

つい先日、子どもたちが「お店屋さんごっこ」をしていた時のこと。「レジの人」の役をしていた6歳の娘の口からこんな言葉が飛び出したのです。

「そちら様はゼロ・ウェイストの方ですか? それじゃ、ビニール袋に入れない方がいいですね?」

別の日には、同じ娘が「ガラス瓶、ちょーだい!」。何事かと見ていると、食べ終わったおやつのパッケージをガラス瓶にギュッと詰め込んで、「これ、スイ(=娘の名)のゼロ・ウェイストね!」

「ごみを瓶に詰め込むのがゼロ・ウェイストか~」とのけ反りましたが、ゼロ・ウェイストを身近に感じてくれている証しですから、素直にうれしく思いました。まだまだジョンソン家とは別次元のカオスにあるわが家ですが、子どもたちが中学生くらいになった暁には、あの“うつくしすぎる子ども部屋”に近づけているといいな、とイメージしつつ、ゼロ・ウェイストとのたのしい付き合いを続けていけそうな予感です。




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服部雄一郎
1976年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部を経て、東京大学総合文化研究科修士課程修了(翻訳論)。20代の終わり、障害を持つ長男の誕生を機に、六本木の高層オフィスから当時住んでいた葉山町の地元の役場に転職、ごみ担当に配属され、ゼロ・ウェイスト政策に携わる機会を得る。その後、フルブライト奨学金を得てUCバークレー公共政策大学院に子連れ留学。ゼロ・ウェイスト関連の国際NGOのスタッフとして南インドに滞在。2014年、高知に拠点を移し、よりサステイナブルで自由な生き方の実践をスタートする。妻とともに食まわりの活動「ロータスグラノーラ」主宰。地方移住の本音をつづる連載サイト「移住のなかみ」にも執筆中。

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