家族4人で1年に出すごみの量がわずかガラス瓶1本分(=1ℓ)という驚異の「ごみゼロ生活」を紹介する
『ゼロ・ウェイスト・ホーム』。
生活のシーンごとに実践的な取り組みが紹介されていて、
興味のあるところや身近なところから少しずつ始めることができます。
「日本でもできるの?」という疑問にお答えすべく、
翻訳を手掛けた服部雄一郎氏による実践リポートを
お届けしていきます!

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第7回 ゼロ・ウェイストの掃除と洗濯


◆掃除嫌いからの脱出

実は、夫婦そろって、掃除が大の苦手でした。掃除機を押入れから引っ張り出してくるのが億劫で、いつもついつい先延ばし。床に埃が巣食うようになってから、やっと重い腰を上げます。それ以外の基本的な整理整頓も滞りがちで、机や床にはありとあらゆる雑多なモノたちが増殖。持ち物の管理がうまくできていないため、四六時中家の中で探し物。来客時にはそれらすべてのゴチャゴチャを「開かずの間」に押し込み、その時だけきれいなふりをする、そんな生活を十年以上続けていました。

……さすがに「変わりたい」と思っていました。でも、どうすればいいのかわからない。その扉を開いてくれたのは、知人が「これ、なかなかいいよ」と貸してくれた「こんまり」の本でした。

「こんまり」とは、言わずと知れた片づけコンサルタント近藤麻理恵さん。この徹底的な片づけ術の本は、さすが世界的なベストセラーとなっただけあって、ただものではありません。本を片手に半信半疑で家の大整理に取り組んだことで、「人生が変わった」と言っても過言ではないくらい、わが家の状態は劇的に改善しました。

こんまり流片づけ術の最大のポイントは、とにかくモノを徹底的に減らす、という点だと思うのですが、「モノを減らす」ことがここまでパワフルだとは、それまでの自分は思いもよりませんでした。モノを減らすことで、部屋がゆったりと広くなり、埃がたまらなくなり、掃除がラクになる。モノが少なければ、探し物もなくなり、余計な買い物のための出費も減り、それでいて不便は一切なし。

まだ完璧に実践できているわけではないので、大きなことは言えないのですが、実感として部屋の中は格段にスッキリし、掃除も圧倒的にラクになりました。モノが減ったので、床に散乱するモノの数も減り、いつもすぐに片づけられます。仮に散らかっても、“片づいた状態の快適さ”を体感済みなので、自然に「すぐにまた片づけたい」と思える。そんなプラスのループで、我々はごく短期間のうちに“毎日必ず掃除する夫婦”に変身することができました。


◆掃除機いらずの快適な掃除

まるでこんまり流片づけ術の宣伝のようになってしまいましたが、何が言いたいかと言うと、「こんまり」と「ゼロ・ウェイスト」にはかなり重なる部分があるということです。特に掃除について言えば、両者の目指す像はほとんど同じではないか、と思うほど。要は、どれだけシンプルに暮らせるか。身軽に暮らせるか。わが家は「こんまり流片づけ」で持ち物を相当減らしたあとだったので、家のゼロ・ウェイスト化に取り組むハードルはかなり低かった気がします。

今朝は野草茶で掃除。
丸く見えるのは、野草茶にブレンドしたゴーヤ。

今、わが家は毎朝、ほうきを使って掃き掃除をします。もう掃除機は卒業しました。冒頭に書いたとおり、押入れから掃除機を引っ張り出してくるのが億劫で、騒音もニオイもいただけないし、フィルターにたまった得体のしれない埃くずを捨てたり、フィルターを取り換えたり買い足したり……といった煩わしさを考えると、ほうきでの掃除は本当にシンプルで快適です。

条件はひとつ。床にモノを置かないこと。床にモノが散らばっていなければ、あとは、壁にかけてあるほうきを片手で引っつかみ、サッサッと履いていけばよいだけ。掃除機よりも遥かに手軽です。ただ、そのままでは埃が舞い立ってしまうので、わが家は必ずお茶殻を使います。お茶を飲んだら、必ずお茶殻を翌日の掃除用に取り置いておき、掃除の前に床に適当にばら撒いて、履いていくのです。

昔ながらのこの知恵、最初にお茶殻をばら撒くときは床を汚してしまうような気がしてかなり勇気がいりましたが、お茶殻の水分が埃を吸着してくれるので、むしろ雑巾がけをするような原理で驚くほどきれいに掃除ができます。飲んだお茶の種類によって、紅茶の香りや、野草茶の香り、アールグレイならベルガモットの香りなど、掃き掃除の間、さわやかな香りがほのかに漂うのもとても気に入っています。

履き終えたあと、ちり取りの中身は、ごみ箱ではなく、土に戻します。単なる埃くずと茶葉ですから、何の問題もありません。紙くずや糸くずが混じっている場合は、少し面倒ですが、回収して資源やごみに分別します。床を清め、部屋に風を通したあと、朝の光を浴びながら、ちり取りの中身を庭に埋めに行くのは、“面倒”どころではない、この上なくさわやかなひとときです。ごみ箱にほとんどお世話にならない軽やかな掃除。断然おすすめです。

はたきは友人がプレゼントしてくれたこちらを愛用。
とても上質なはたきなので、大切に使える上、天然毛と木製の柄なので、最後は堆肥化が可能。


◆洗濯も「減らす」

「減らす」ことの威力を実感したのは、洗濯も同様です。

わが家は5人家族。子どもが3人もいて、うち2人は夜のオムツが取れていないので、洗濯の負荷はマックス。そのくせ、大きな家電を買いたくないという妙なこだわりもあって、洗濯機の容量は45ℓと小さめ。結果、洗濯は毎日最低3回転、子どもがおねしょをすれば、5回転という日もざら、という悪夢のような日常を過ごしていました。しかも、全自動洗濯機の洗濯槽がかびやすいのが嫌で、敢えて昔ながらの二層式を使っているため、その手間たるや、筆舌に尽くしがたいものがありました。

単に、巨大な全自動洗濯機を買えば済むこと……なのかもしれません。でも、どうしてもそうシンプルには思えない自分がいます。まがりなりにもインドの貧困をこの目で見て(洗濯機なんて持たない家が当たり前でした)、環境政策の勉強で世界の水不足の現状を知り(世界ではびっくりするほど水が枯渇しつつあるのです)、中国産の家電の生産と廃棄の裏でどれだけたくさんの貧しい労働力が搾取され、健康被害がもたらされているかということを多少なりとも知った身としては、もう少し違う方向性の解決策を見いだせなければ、明るい未来が思い描けません。

というわけで、伝家の宝刀、ゼロ・ウェイストの実践です。ここでも最大のポイントは「減らす」。何を減らすのかと言えば、何よりもまず、洗濯物の数を減らすのです。

ベア・ジョンソンは、家族全員が最低限の数の洋服をなるべくきちんと着まわすことで、1週間に1度まで洗濯を減らすという方法を提案していますが、日本の気候風土や文化からすると、さすがにそこまで減らすのは少し極端かもしれません。でも、いざわが家の洗濯物を顧みると、それまでいかに「無駄にじゃぶじゃぶ水を使って、それほど汚れているわけでもない服を大量に洗っていたか」に気づかされました。

日本では、学校や保育園でも、「毎日入浴して、きれいな服に着替えること」が前提になっています。それは気持ちのよいことでもあるし、衛生面でのメリットが理解できないわけでもないのですが、それを前提としてしまうことで、たくさんの人々が日々水を大量に使い、洗剤を大量に使い、「どうしても洗わなければならないほど汚れているわけではない服」をせっせと洗い、結果として服はどんどん傷み、買い替えられ、大量の農薬を使って大量の綿花が栽培され、中国やパキスタンの劣悪な労働環境の中からまた新しい服が作られているのだと思うと、やはり考え込んでしまいます。ここは初心に立ち戻って、洗濯というのは「必要性があってこそ、されるべきものなのだ」ということを、これからの地球を生きる人間として、今一度考えなおしてみたいものだと思います。


◆どれだけ洗濯の無駄が減ったか

ということで、「不潔な家庭と思われる……」と難色を示す妻を適当にいなしつつ、家庭内洗濯物削減運動に着手しました。くれぐれも、わが家が目指すのは「不潔」ではなく、「過剰な清潔のカット」です。両者はまったく別物ですから、不潔と思われるはずがありません!(たぶん……)

「家庭内」とは言え、大人ふたりはそれほど無節操に毎日すべての服を洗濯に出していたわけではないので、運動の矛先が向かったのは、そのとおり、3人の子どもたちです。やったことはただひとつ。子どもたちが入浴前にめちゃくちゃに洗濯物入れに投げ込んだり脱ぎ散らしたりした服に真正面から対峙し、「まだきれい」と判断されたものを次々に救出し、再び着せるのです。重要なポイントは、必ず子どもが入浴中に回収すること。なぜって、子どもが浴室から出て来てしまったら最後、びしょぬれの子どもに踏みつぶされて、きれいな服も汚れた服もすべてまとめて洗濯機行きの運命になってしまうからです。

もしかして、こんなこと、常識でしょうか? わが家は「子どもの服なんて、どうせ汚れてるし、どうせ全部洗うんだし……」ということで一切の分別努力を放棄していたのですが、たったこれだけのことで、洗濯物の量は半減に近いところまで減りました。服を無節操に洗うことをやめて以来、洗濯の回数は毎日せいぜい1~2回転。何日かに1回は、「ほとんど洗うものがないから今日は洗濯なし!」なんていうヴァカンスのような優雅な朝まで訪れるようになったのです。

思い起こされるのは、省エネ生活の著作で知られるアズマカナコさんの言葉です。東京在住のアズマさんは、洗濯機を持たず、4人家族の洗濯をすべて手洗いでこなすというツワモノですが、次のように書かれています。

「手洗いの方が、服が長持ちすることがわかりました。手洗いなら、1枚1枚汚れの具合や生地の性質によって、洗い分けることが可能です。丈夫なものはまとめて洗いますが、そうでないものは、衿や袖などの汚れた部分だけを洗濯用のブラシで軽くこすり、全体は生地を摩擦しないように、やさしく押し洗いすれば、ダメージは最小限に抑えることができます。」(アズマカナコ著『もたない、すてない、ためこまない。身の丈生活』主婦の友インフォス情報社刊p.57より)

「洗い分ける」って、目からウロコでした。洗濯機に慣れ切った身としては、洗濯といったら服全体を盲目的にゴシゴシ洗わなければならないような錯覚に陥りがちですが、決してそんなことはないのです。何しろ、洗濯とは「汚れた部分こそを洗うこと」なのですから。汚れた部分を中心に、服を傷めないように洗えば、手洗いは一般にイメージされるほど大変なことではないそうですし、洗濯機で洗うよりも水も節約できるようです。


◆水道代も一気に半減!

せっかくの機会なので、わが家も少し水の節約を意識してみました。「洗い」と「1回目のすすぎ」には風呂の残り湯を使うようにし、最後の2回目のすすぎのみ、水道の蛇口からきれいな水を使うようにしてみたのです。

実はそれほどの節約効果を期待していたわけでもなかったのですが、結果は驚くべきものでした。当初1カ月28㎥だった水道使用量が見る見るうちに1カ月14㎥に半減。先月の水道料金は1カ月1300円でした。わが家は簡易水道なので、一般的な上水道よりも料金は割安だと思いますが、それでもこの数字には夫婦そろってビックリ。しかも、特段の不便を感じることもなく、一応カフェや菓子製造を細々と営みつつの数字ですから、さらなる希望もふくらみます。残り湯の活用は、粉石鹸も溶けやすくなり、洗浄力もアップ。まさに申し分ない結果をもたらしてくれました。

いいこと尽くめの「減らす洗濯」。余裕が出てきたら、さらに洗剤の削減も工夫していきたいなと思っています。既に合成洗剤や助剤・柔軟剤などは完全に卒業し、基本は無添加の粉石鹸のみ(+たまに重曹や酸素系漂白剤)でほとんどすべての洗濯をこなしていますが(残念ながら量り売りで買えるものはないため、プラスチック包装入りで買っています)、無添加石鹸とて使わないにこしたことはありません。やはり最終的な理想形は、ソープナッツ(ソープベリー)での洗濯。ソープナッツとは、石鹸成分のある特殊な木の実のこと。何と、天然の木の実で洗濯ができるのです。

中の石鹸成分が出るように半分に割って、ネットなどに入れて洗濯機に投入します。
自然のものなので、すすぎがまったく不要というのも大きなメリット。

日本でも「ムクロジの木」などの名前で知られ、神社など意外に身近な場所で拾うことができたりします。インド滞在中に一時期使用してみましたが、さわやかな使用感で、最後はコンポストに入れることもでき、使い心地は悪くありませんでした。ただ、自然のものだけに、洗浄力はそれほど強いわけではないため、子どもの服の汚れは落ちにくく、また日本では手に入りづらく値段が高いことなどもあり、その後粉石鹸に戻してしまったのですが、先ほどの論理で言えば、「子どもの服の汚れを落とすために、すべての服をまとめて(洗浄力のより強い)石鹸で洗う」こと自体が過剰なのかもしれません。

必要最低限を見据え、よりシンプルに、より身軽に。ゼロ・ウェイストの家事は、これからも暮らしを心地よく変えていってくれそうな予感です。




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服部雄一郎
1976年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部を経て、東京大学総合文化研究科修士課程修了(翻訳論)。20代の終わり、障害を持つ長男の誕生を機に、六本木の高層オフィスから当時住んでいた葉山町の地元の役場に転職、ごみ担当に配属され、ゼロ・ウェイスト政策に携わる機会を得る。その後、フルブライト奨学金を得てUCバークレー公共政策大学院に子連れ留学。ゼロ・ウェイスト関連の国際NGOのスタッフとして南インドに滞在。2014年、高知に拠点を移し、よりサステイナブルで自由な生き方の実践をスタートする。妻とともに食まわりの活動「ロータスグラノーラ」主宰。地方移住の本音をつづる連載サイト「移住のなかみ」にも執筆中。

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