アノニマ・スタジオWebサイトTOP > 「世界はまるい」の世界 もくじ > 第1話 『世界はまるい』ができるまで


第1話 『世界はまるい』ができるまで


 ガートルード・スタイン文、クレメント・ハード絵、そして、マーガレット・ワイズ・ブラウン編集──。『世界はまるい』の表紙クレジットを見て、新鮮な驚きを感じた読者の方も多いと思います。
 ピンクの紙にブルーの文字で印刷された、このとびきりスタイリッシュな本が、80年前にアメリカでつくられたということ。しかも、この本を編集したのが、世界中の子どもたちに愛されている名作絵本、『おやすみなさい おつきさま』(

Goodnight Moon

, 1942)の作者、マーガレット・ワイズ・ブラウンだというのだから、なおさらです。
 この魅力的な本は、いったいどのように誕生したのでしょうか。ガートルード・スタイン(1874〜1946)、マーガレット・ワイズ・ブラウン(1910〜1952)、そして、この『世界はまるい』と『おやすみなさい おつきさま』の両方に挿し絵をつけている、画家のクレメント・ハード(1908〜1988)を結ぶ、出会いの物語をひもといてみましょう……。



 世界恐慌後の1930年代、ヨーロッパから大量の移民を受け入れて、多文化がひしめき合っていたニューヨークでは、児童図書館員と出版社が協力し合いながら、未来をになう子どもたちのための、すぐれた子どもの本が続々と出版されていました。とくに、1930年代から40年代にかけては、“アメリカ絵本の黄金時代”と呼ばれ、マンロー・リーフとロバート・ローソンによる『はなのすきなうし』(

The Story of Ferdinand

, 1936)、ルドウィッヒ・ベーメルマンスの『げんきなマドレーヌ』(

Madeline

, 1939)、ロバート・マックロスキーの『かもさんおとおり』(

Make Way for Ducklings

, 1941)、バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』(

The Little House

,1942)など、日本でも長年親しまれ、今日まで読みつがれている古典絵本が数多く誕生しています。
 マーガレット・ワイズ・ブラウンは、この “黄金時代” に、すぐれた絵本のテキスト作家として活躍した中心的人物のひとりでした。『ぼくにげちゃうよ』(

The Runaway Bunny

, 1937、クレメント・ハード絵)や、『おやすみなさいのほん』(

A Child’s Good Night Book

, 1943、ジャン・シャロー絵)、『たいせつなこと』(

The Important Book

, 1949、レナード・ワイズガード絵)など、シンプルで美しい文を画家に提供し、「絵本のテキストを書くことを、アートにまで高めた最初の人」と評されています。この時代には、ブラウンのほかにも、いく人もの傑出した女性の作家、編集者、図書館員たちが活躍し、さまざまなドラマが生まれました。そのドラマについては、別の回にたっぷりとお話しましょう。
 ブラウンは、幼い子どもための本について、はっきりとした考えをもち、すべての感覚(五感)にアピールするものでなければならないという、哲学をつらぬいていました。この考えは、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジにある、先進的なバンクストリート教育大学で培われたものでした。ここでは、付属の幼稚園で子どもを観察し、新しいタイプの絵本をつくるための実験がおこなわれるいっぽう、「幼い子どもたちは、従来のおとぎ話のような架空の世界よりも、自分たちが実際に生きている “いま、ここ(here and now)” の世界に興味を示す」という考え方にもとづいて、創作ワークショップなども開かれていました。
 バンクストリートの創設者、ルーシー・スプラーグ・ミッチェル(1878〜1967)は、若いマーガレット・ワイズ・ブラウンが、幼い子どもの関心事や心の動きについて、知りつくしていることをいち早く見抜き、彼女の才能をさらに育てるよう後押ししました。こうしてブラウンは、幼い子どものためのお話を書きはじめ、それを自分の天職と考えるようになったのです。
 いっぽうでブラウンは、1938年に創業された新進気鋭の児童書出版社、スコット社の初代編集長となり、エネルギッシュにその才能を発揮しました。この出版社は、バンクストリートの革新的な考えに共鳴し、“子どものための現代の絵本”をつくることをめざしていました。それは、子どもの感性と可能性をとことん信頼し、それにアピールするものを、最上のエンタテイメントとして届けるという、画期的な試みでもありました。その試みは、現代の日本の絵本に通じる愉しさの源流でもあります。



 さて、“新しい絵本” の最初の何冊かが成功をおさめると、スコット社では、アメリカの現代作家に子どものためのお話を書き下ろしてもらおう、という意欲的な企画がもちあがりました。作家の候補は、アーネスト・ヘミングウェイ、ジョン・スタインベック、そしてブラウンが学生時代から愛読し、あこがれていたガートルード・スタインでした。当時、『アリス・B・トクラスの自伝』(

The Autobiography of Alice B. Toklas

, 1933)により作家としての地位を確立し、フランスで暮らしていたスタインからは、この依頼をよろこんで引き受ける、と返事が届きました。しかもすでに「世界はまるい」というお話が、ほとんど書きあがっている、というのです。
 その年の秋、フランスから届いた「世界はまるい」の手書き原稿を、ブラウンとスコット社の2人の共同経営者が、ブラウンのアパートのキッチンテーブルを囲んで、声にだして輪読するシーンは感動的です。途中で電気が切れたため、ろうそくの灯りをともして、夕食をとることも忘れ、3人は夜更けまで、ローズといとこのウィリーのファニーな物語に興じました。翌朝、ウィリアム・スコットは、フランスのガートルード・スタインに宛てて、「スバラシイゲンコウ ケイヤクムスビタシ」と電報を打ちました。
 挿し絵画家には、いく人かの候補のなかから、若いクレメント・ハードが選ばれました。イエール大学で建築学を勉強したあと、パリでフェルナン・レジェに師事して絵画を学び、ニューヨークにもどったばかりのハードは、彼の壁画をたまたま目にしたブラウンに見いだされ、バンクストリートに出入りするようになっていました。フランス文化やヨーロッパの芸術遺産にたっぷり触れ、近代絵画にも造詣の深かったハードは、スコット社が理想とする新しい子どもの本に、まさにふさわしい画家でした。そして、彼のシンプルでエレガントな挿し絵は、スタインの絵画的なことばにぴったりでした。こうしてハードもまた、子どもの本の描き手として、幸運なスタートをきったのです。
 ピンク(フランス語で「ローズ」)の紙に、ブルーの文字で印刷するというアイデアは、ガートルード・スタインのつよい希望でした。ローズはもちろん主人公の名前、ブルーはローズの好きな色です。印刷のとき、画家のクレメント・ハードは、バンクストリートで出会ったイーディス・サッチャーと結婚式を挙げたばかりでしたが、ピンクとブルーの色合いをチェックするため、新婚旅行を先延ばしにして、印刷所に駆けつけたといいます。
 こうして、1939年の初秋、あざやかなピンクとブルーの2色で美しく刷り上がった、ガートルード・スタイン文、クレメント・ハード絵、マーガレット・ワイズ・ブラウン編集による『世界はまるい』(

The World Is Round

)が、ニューヨークのスコット社から刊行されたのです。



 その後、『世界はまるい』は、クレメント・ハードが新たに挿絵を描き下したり、判型を変えたりしながら、いくつもの版元を経て生きながらえてきました。思えば、不思議な運命ですが、その変遷については、『世界はまるい』の巻末でくわしくご紹介していますので、そちらをご覧ください。
 そして、2013年、初版刊行から75周年を迎えるのを記念して、『おやすみなさい おつきさま』の出版社でもあるハーパー・コリンズ(当時はハーパー・アンド・ロウ)社から、ピンクの紙にブルーの文字で印刷された『世界はまるい』が刊行されました。ガートルード・スタインの希望どおりの色で、挿し絵もクレメント・ハードの最初の絵にもどした、オリジナル版の復活です。1939年の初版からいく度かかたちを変えながら、読みつがれてきた『世界はまるい』が、ぐるりとひとまわりして、もとのかたちにもどったのです。
 この『世界はまるい』のスタイリッシュなデザインと、スタインのことばのみずみずしさには、あらためて目をみはります。80年前につくられた“新しい子どもの本”が、いまなお、わたしたちの目にこれほど新しく映るとは、なんとすばらしいことでしょう。
 それにしても、ガートルード・スタインの一見、子ども向きとは思えない難解なテキストをすんなり受け入れ、クレメント・ハードの絵と組み合わせた、編集者マーガレット・ワイズ・ブラウンの慧眼には目をみはります。
 次回は、そのインスピレーションのみなもとにまつわるエピソードを中心に、バンクストリート教育大学と師であるルーシー・スプラーグ・ミッチェル、さらには、『世界はまるい』を出版したスコット社と、華々しく波乱に富んだマーガレット・ワイズ・ブラウンの人生について、くわしくお話します。


主な参考文献
イーラ写真、マーガレット・ワイズ・ブラウン文『どうぶつたちはしっている』(寺村摩耶子訳、文遊社、2014)
レナード・S・マーカス『アメリカ児童文学の歴史 300年の出版文化史』(前沢明枝監訳、原書房、2016)
レナード・S・マーカス「ブラウンとハードの生涯 “おおきなみどりのへや”の夢をはぐくんで」(中村妙子訳、『“おやすみなさい おつきさま”ができるまで』より、評論社、2001) Edith Thacher Hurd,

The World Is Not Flat

from

The World Is Round

by Getrude Stein, Arion Press, 1986
Leonard S. Marcus,

Margaret Wise Brown: Awakened By the Moon

, Beacon Press, 1992
Ariel S. Winter,

Gertrude Stein: The World Is Round from We Too Were Children

, Mr. Barrie, May 10, 2011, http://wetoowerechildren.blogspot.jp/2011/05/gertrude-stein-world-is-round.html(2017-12-23閲覧)


みつじ まちこ

1964年、三重県生まれ。洋書絵本輸入会社勤務を経て、絵本、アート、食などの分野を中心に、翻訳、執筆、編集にたずさわる。2001年、パリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店で、ガートルード・スタインを知る。2007~12年まで、母校である青山学院女子短期大学図書館にて、欧米の古書絵本「オーク・コレクション」の調査と図録制作に従事。おもな訳書に『フードスケープ』(アノニマ・スタジオ)、『ミシュカ』(新教出版社)、『地球の食卓』(TOTO出版)、「はじめてであう絵画の本」シリーズ(あすなろ書房)など。



世界はまるい

文:ガートルード・スタイン
絵:クレメント・ハード
編:マーガレット・ワイズ・ブラウン
訳:みつじまちこ

『世界はまるい』詳細ページへ>




アノニマ・スタジオWebサイトTOP >  「世界はまるい」の世界 もくじ > はじめに