![]() |
|
海のそばの旅館で働いたことがある。 客の朝ご飯の準備を始める早朝から、夕食の皿をすべて引きあげる夜遅くまで、旅館の1日は長い。長い分だけ、この旅館に限って言えば、みな適当に息抜きをする術を見つけ、折を見てはおやつを食べたり、数人で集まっておしゃべりをしたりする。 「あんた、これよばれない。」と突き出されるのは、たいてい誰かの畑でとれたさつまいもだったり、自宅に余っていた到来ものの菓子折りや土地のまんじゅうである。朝10時の「正式な」おやつの時間には、なぜかインスタントコーヒーをいれて飲むのが決まりだった。 ひとりひとり、自分のお茶碗、おはし、汁わんをのせた小さな四角形のおぜんを持っていて、食事の時間が近づくと棚からそれを取り出す。「ほな、先によばれるわ。」とひとりごとのようにつぶやき、大きな木のテーブルの、裸電球の下に席をさがす。そういえば、ごちそうさまもいただきますも、誰ひとり言っていなかった。 朝のみそ汁は大根などを豆味噌で炊いたもので、時に油揚げが入ればぜいたくに感じられる。ごはんは客用の残りを炊飯器で保温していたから、時間がたっていつもいやな匂いがしていた。くさっているわけではもちろんないが、もわりとして黄色味がかっていた。昼には汁の温め直しを欲しい人だけ取り、料理場からあてがわれるおかずを食べる。できあいのつくだ煮ひとパックだったり、冷凍さといもの煮付け、はんぺん一枚など、昼も夜もおざなりのものが多く、たいてい皆しぶしぶ食べている。だから、朝一番のできたてのみそ汁というのが大切だったのだ。 おぜんの上にはほとんどの人が漬けものを持っていて、おかずがひどい時でも「漬けもんとお茶ですませたろ……」と言ってさらりとかきこんでしまう。たいてい真っ赤なシバ漬けやたくあんだ。らっきょうだけはほとんどの人が自分で漬けていたから、「みのちゃん、ちょっとやろか?」と言って、誇らしげに小鉢にとりわけてくれる。ある人のらっきょうは少し甘く、ある人のらっきょうは少し辛かった。 前菜から酢のもの、焼きもの、刺身、天ぷらと客用の皿をいっきょに乗せられる長細いお盆を「脇取り」と呼んでいた。1階から5階まで、渡り廊下から旧館まで、重い脇取りを持って旅館の女たちは実によく動く。これだけのエネルギー供給量で、なぜ朝から晩まで働いていられるのか、決して「いっぱい食べればエネルギーが出る」わけではない、ことの証明のようだった。むしろ、たくさん食べてしまうともう動けないので、6分目位まで食べ、あとの4分目は「働くことで」エネルギーを供給しているようだった。食べている間は言葉少なく、食べ終わればおのおの立ち上がり、もう自分の皿を洗うために水場へ向かっている。客の帰った昼時だけは、ゆっくりと食卓上の小さなテレビをつけて話しているが、それ以外は食事は団らんのためでも何でもなく、ただの活力補給時間だった。 女仕事の中でも一番下っぱの「お勝手」という役を、少しの間だけやったことがある。「お勝手」は、台所というその意味が示すように、朝のみそ汁作りからお客さんのご飯炊き、お茶炊きなどすべての台所仕事、それから館内のトイレと大風呂の掃除をする。お勝手役だった若い女性がどこかの穴に落ちて足を折り、私以外には若い人材がいなかったのだ。 みそ汁作りには手慣れていたが、ここではある人には薄い、ある人には辛いと言われ、皆にいつも満足してもらうのは難しかった。「みのちゃん、あんたはまだ若いからこれでいいけどな……」と、ある昼時「オフクさん」がやんわりと私に言う。「おたいらには(=わたしらには)、くたくたになってるくらいがちょうどいいんやに」。歯ごたえを残して煮たナッパは噛み切れない、と言う。ふとん係のおじいさんなどは入れ歯が嫌いで歯茎だけで食べていたから、もっともな話しだ。そんなことも苦にはならず、毎日はいはいと言って工夫していたから、根本的にめし係をするのが嫌いではないのだろう。 私が始めてビデオカメラで撮影をしたのは、この旅館だった。多くの修学旅行客や新婚夫婦が訪れた観光名所も、今は海外旅行ブームにおされて客が減り、この旅館も数ヶ月後に閉館を決めていた。働き始めた時は撮影などは想像もせず、ただ、なぜそのような「美しいもの」が終わることになるのか、知りたかった。旅館の人たちと毎日いっしょにいるうちに、なんとかこれを形に残せないだろうかと考えた。皿をふくふきんのすばやさ、陰口を言いながらもどこか助け合ってしまう在り方、巨大な食器洗浄機がぐいーんと音を立てるそばでくりひろげられる世界は、ただ消えてしまうには惜しかった。美しき建築物の外側しか人は見ないが、「由緒ある」建物の中にはひわいな冗談を言いながらぞうきんがけをする人間の世界があるのだ。そして、それがたてものが生きている、ということだ。 しかし撮ったらどうかと思っても、カメラもなければ映像の勉強をしたこともない。1週間程、散歩の時間に海を見て考えた。今はたいしてきれいではないこの海、昔は「みそぎの浜」として有名で、けがれ落としに人が訪れたと言う。若い時からここで働いていたおフクさんが、「昔なあ、海女の島の娘さんたちが奉公に来ててな、夏のあっつい夜にお客さんが終わるやろ、そうすると着物を脱いでどぼーんどぼーんと海に入ってくんやに……。まっくらな海でもこわいことないんやなあ、あの人らには……。」と言っていた海だった。 タイムリミットがある迷いだったので、かえって都合がよかったのだろう。やらなければ時間は過ぎて何も残らないし、やれば何かは残る。1本だけ、浜辺から電話をかけて友人に相談し、その時の彼女の言葉で「それならできる」と思ってしまった。つてがあって運良くカメラも貸してもらえたし、館主も記録に賛成だった。女中さんたちは毎日、かんべんして、と言いながら恥ずかしそうにカメラに向き合ってくれた。 けれども、「お勝手」をした間は一分たりとも手を休められない。ごはんを何号炊くか客数から計算し、米を洗ってガス釜にセットし、おしぼりを干して、昼のおかずを温めて、なべを洗ってトイレを掃除しているうちに、カメラなど手にすることもできなかった。その間に何か撮れていたとすれば、きっと良いものが撮れていただろうに、まだそれだけやり通せなかったということだ。 10月のある朝に、客が朝ご飯に残した生卵を給湯室でゆでて、何人かでおやつに食べた。えんじ色の旧館のじゅうたんに秋の日があたって、空気は冷たくても日向ぼっこびよりだったのを覚えている。その時撮った映像が北イタリアの小さい町まで私を運んだのだから、考えてみれば旅館の時間は私に長い道を開いたのだ。 《《《ブラから 2007年3月》》》 冬が来ぬ間に春が来てしまったブラは、いま花が次々と開いてきています。寒い時期においしいとうもろこし粥もじゃがいも団子の「ニョッキ」も、何となく暖かすぎるようで、ついに2月も作るチャンスを逃してしまいました。日本だったら「鍋のできない冬」といったところでしょうか。 友人があんずの花を折って持ってきてくれました。まるで桃のような梅のような、ちょうどひなまつりに合わせて家の中が華やぎました。
|
|
copyright 2008 anonima studio
|