第17回 スタイリスト 池水陽子さん


 子供の頃はよく口にしていた“親友”という言葉。大人になってからはほとんどそういった類のことを思いもしなければ、自ら口にすることもなくなった。でも、あえて大人になってから出会ったなかでそういう人がいるとしたら、きっとこの人だろうなと思う。出会いは仕事から、だった。彼女は料理やインテリアのスタイリストをしていて、私は出版社に勤める編集者だった。かれこれ付き合いは24年にもなり、共に遊び、仕事をし、話もしてきた。旅にも何度も出かけた。結婚する前も後も、彼女に子供が生まれてからも。何ら変わってないように思っていたけれど、少しずつお互いの環境は変わり、もともと住んでいた場所から引っ越しもした。久しぶりにゆっくり話す時間を持ち、あらためて本棚を見せてもらったことで、思っていた以上に空白の時間を重ねていたことに気づいた。

 池水陽子さんは、今は料理を中心に雑誌、単行本、広告などで活躍しているスタイリスト。中学生の娘を持つ、現役の母さんだ。彼女はよく本を読む。朝早くから娘のお弁当を作り、スタイリング用のグッズや器の貸し出しに出かけ、撮影後には打ち合わせをしていることもある。一体いつ、どのタイミングで読んでいるのかと思うけれども、とにかく昔からよく本を読んでいるのだ。どうしてそれを知っているかというと、彼女は唯一、私に本をプレゼントしては、勧めてくれる友人だったからだ。江國香織の『神様のボート』も、リリー・フランキーの『東京タワー』も、吉本ばななの『海のふた』も、みんな彼女から当時、発売してすぐにもらった本だった。自分が読んでみて「おもしろかったよ」と言うことはあったとしても、その本を(しかも文庫ではなくて、たいがい単行本を)購入までして「これ、おもしろかったから読んでみて」と手渡されることはあまりないのではないだろうか。少なくとも私には、こう何度もそんなことをしてくれる人は彼女以外に思い当たらない。だから、彼女がいつでも本を、間を空けることなく読んでいるのを知っていた。
 そういえば、今思い出すと、ちょっぴり恥ずかしくなってしまうけれど、二人で江國香織と辻仁成の『冷静と情熱のあいだ』を読んで、映画まで観に行ったこともあった。どの回もものすごい混みようで、一席も空いておらず、二人で一番後ろの席の通路の段になった床に座り込み、体育座りをして観た。ともに結婚前で、恋愛もいろいろあったときだったのか、映画を観ながら何かしら自分と重ねてしまったこともあってずいぶんと泣いた。映画が終わって明かりが点いたとき、はげ落ちたマスカラでパンダのようになった顔が明るみに出て、えらい笑った。ブサイクで情けない顔だったけれど、いろいろなことに一生懸命に、共に駆け抜けていた頃の記憶だ。

 私はプレゼントされた本を、彼女の思いを追いかけるように読んできた。胸をえぐられるような悲しく切ない恋愛ものだったり、淡々とした暮らしが綴られているものだったり、いろいろあった。読むたびに、なぜこれを私に勧めてくれたのかを考えたりもしたが、おそらく良い本の“共有”ということが一番だったんじゃないかと今は思う。ここ7、8年は、そんなやりとりもなくなっていたが、今もたまに最近読んだ本の話をしたりする。そうやって思い返すと、自分が読んで良かった本の話をする相手というのもそうたくさんはいないことに気付く。本を紹介するとか、勧めるといったことは、ごく身近な人にしかできないプライベートなことなのかもしれない。おそらく、自分が気に入ったものを誰かと共有したいという思いがあっての行動だからだ。長年のやりとりを振り返ってみて、今さらながらそこに気付いた。

 そんな彼女の本棚は、棚3台が壁一面にぴったりと収まっているものだった。天井の高さと本棚の背丈もほぼ変わらない。あまりにぴたっと収まっているので「これ、よく入ったね」と言うと、「力技よ」と、お茶目な返事が返ってきた。「本棚用じゃないから、奥行きがずいぶんあるの。だから、最初はどうかなと思ったけれど、意外と慣れてきたよ」
 奥行きのあるその棚は無印良品の木製のもので、かつてはキッチンで食器や鍋などを収納していたものだった。それにステインを塗り、あらためて本棚として再利用していた。3台並んだ棚にぎっしり本が詰まっている様はかなり圧巻。本は普通に差し込まれているものもあれば、重ねられていたりもする。一見、ラフなようだけれど、それなりにルールがあるように見えるのはさすがスタイリストの成せる技。きっちり美しすぎる本棚ほど、いかに普段手を伸ばしてないかがわかる。彼女の本棚は、実際に普段出し入れされている感じもありつつ、いい感じのラフさで本が収まっている。そのゆるめ加減たら、ほんと絶妙だった。

「何度も片付けようと思っているんだけど、途中で『これはどうしようか』と開いちゃったら最後。じっくり見入っちゃって、結局片付かないの。特に捨てられないのは娘が小さかったときに読んでいた絵本。あと、昔の雑誌。真ん中辺りは洋書の段。今はほとんど買わないけれど、昔はよく買ったなぁ。洋書も捨てられないもののひとつ。今のものの方がサクッとさよならできるけど、昔のものは、なかなかねぇ。ほら『Citta』も『H2O』(1990年代の雑誌)もあるよ! 今や誰も知らないような雑誌もとってある。『Good House Keeping』『casa nuova』とか」
 『Citta』は、その昔、私が出版社に入りたての頃、生活情報誌にまだ憧れが残っていた時代に作っていた雑誌だ。カフェブームのもっと前。アーティストの小山千夏さんがShozo Caféを紹介する旅のページや、根本きこさん(かつてはフードコーディネーター、今は沖縄に移住して主婦になっている)のおうちカフェなんてことを特集していた。池水さんにはインテリアや料理ページでスタイリングをしてもらっていた。ん〜、懐かしい。そして誰も知らない雑誌と言われた『Good House Keeping』もこれまた少しばかりお手伝いしていたことがあった雑誌。いやはや懐かしい。当時はまだインターネットやパソコンもそんなには普及していなかったから、雑誌が何より大きな情報源だった。いい時代だったなぁ。捨てられない気持ち、本当によくわかる。そう言いつつも、最近、泣く泣く大量の『Olive』を処分してしまったのだけれど、こういう昔懐かしいお宝がしっかり収まっている本棚を見ると、捨てなきゃよかったと後悔する。

 メインの本棚を後にしながら「他にはどこに本、置いてるの?」と聞くと、「見る!?」と、またお茶目なクスリとした笑顔が返ってきた。もう何十年も変わらないこの返事。あらためていいなぁと思う。いつ何時もフラットなのだ。かといって機嫌が悪いわけでもなく、ふわりと周りの人たちを包み込む応対。何十年も一緒にいながら、学びたいと思っているけれど、決して真似できない感じ。それは本選びにも一貫していた。彼女は人にオススメするだけではなく、人からオススメを聞くのも好きなのだそうだ。友人たちとマンガの貸し借りもよくするし、娘からのオススメもちゃんと読んで、感想を伝えるのだと聞き、人柄が出ているなと感心してしまった。私はどちらかといえば真逆だ。自分の目で、自分の体で確かめないと納得しないし、選ばない。だから、どこかに出かけるにも、何かを食べるにも人にオススメを聞いたりすることはまったくと言っていいほどなかった。それに比べてこの柔軟さ。私が唯一オススメしてもらって受けいれていたのは、彼女から手渡された本くらいだろうか。
 さて、もう一つの本棚。それは寝室にあった。寝室に本棚があるのはよくある話だが、何とそれは本棚ではなく、ローラーを付けた台にのせられた大きな木のボウルだった。そこに本がわしゃっと積み重ねてある。通常それはベッドの下に入れ込んであって、寝るとき彼女は長い手をひょいと延ばし、ちょいとそれを引き出して読みかけの本を取り出すのだそうだ。このアイデアは、ベッド下が空いている人にはめちゃオススメしたい。ベッド横に読みかけの本が積み重なってタワーになっている人って多いんじゃないだろうか。こんなところにも彼女の職業技を垣間見た。

 もう一つはキッチンにあった。レンジフード脇に何のためかわからないほど縦長の極細収納棚があり、そこに数冊、料理本を入れているという。『料理教室のベストレシピ』石原洋子、『飲めるおつまみ ウマつま』サルボ恭子、『ひだパン』飛田和緒、『燻製作り入門』片山三彦。たった4冊だけでわりといっぱいいっぱい。燻製本は、キャンプ料理が得意なご主人のものだろうか?
 食べる、寝る、ときたら当然トイレにもあるだろうと思ったが、トイレに本棚はなかった。どうして置かないのか訊いてみると、「トイレに長居しないタイプだからかな。読んでいる暇がないのよ(笑)」と明快なお答え。これは見習いたい。我が家のトイレは本棚というか、立てかけ、重なった本と雑誌が結構な量ある。それらをじっくり読みふけってしまうのだから、滞在時間の長さはいうまでもない。
 ひと通り、本棚を見せてもらったのち、ようやくお気に入りの本を選んでもらうことになったが、本読み番長のイケ(私は長年そう読んでいるのでここら辺りからこの呼び名で失礼します)は、どれも思い入れがありすぎてなかなか選べなかった。ならば“これは!”と思うものをまずは出し、そこからさらに絞ろうとなり、さっそく出してきたのはいいけれど、出てくる、出てくる。 「どうしよう、決めきれない」と、いかにも悩んでいるように言うけれど、顔はふにゃっと笑っていて、さりげなくこちらに決定を求めてくる。何というゆるやかさだろうか。はいはい、わかりました、全部、紹介しましょう! というわけで、おそらく連載史上一番多くのお気に入り本が紹介されることになった。一冊ずつコメントをもらっていて気付いたのは、子供が生まれてから影響され、手にしたものも結構な数を占めていたこと。

 「あとから考えてみると、自分への励ましの言葉が欲しかったのかもしれない」という、北山耕平さんの『地球のレッスン』は、娘が保育園に通っていた頃に買ったもの。義母からある日突然送られてきた『The Angel’s Message』は、パッとめくったページにその日のメッセージが書かれている。励ましのような、そうでもないような淡々としたメッセージは、それほど自分を奮い立たせなくてもいい、ゆるやかさがあってよかったという。娘に、と思って手にした飛び出す絵本は、その美しさと繊細さに自分自身がハマってしまい、買い求めるようになったのだそうだ。


「子供がいる暮らしになってから、娘も読むかしら?と思って買うものも増えたかな。娘はすぐには読まないけれど、気づくといつのまにか読んでいるってことが多い。子供の本って、子供用になっているからわかりやすいのよ。言葉も表現も。『こども哲学「自由って、なに?」』はまさにそうで、哲学書っていうと難しくなってしまうけれど、これなら読んで、大人も納得するような内容にまとめられている。子供の本ってほんと、よくできているなぁって、読むたびに感心してるの、いっつも。マンガも元々読んではいたけれど、娘が別マ(別冊マーガレット)を読んでいて、ふとぱらっとページをめくって気になった『町田くんの世界』は、最近の自分の中でのヒットだったもの。愛だの恋だのとは違う、心がスーッと落ち着いて優しい気持ちになれるマンガ。読んで欲しい(久しぶりにオススメされたので借りてきました)」

 本だけじゃなく、子供に教わることは日々の暮らしからも多い、とイケ。地球上に生まれてきてまだ数年の人たちのピュアな気持ちや行動は、何十年も生きてきて、何でもわかっているつもりでいる我々をハッとさせることがたびたびある。幼い頃、手にしてきた児童文学や子供のための本、当時は何の気なく読んできた本だけれど、今だからこそ改めて読み返してみると、おもしろいかもしれない。
 ちなみに借りてきたマンガ『町田くんの世界』は、おっしゃる通り、ほんのりした恋愛の流れはあるものの、人の優しさを中心に繰り広げられるお話だった。読みながら、そうだね、そうそう、と、心でうなずきながら、帰りの電車で夢中で読んだ。ふと顔を上げると見覚えのない景色が窓の外を流れている。終電一本前の電車に乗っているというのに、乗り過ごしていたのだ。慌てて乗り換え、何とか最終の電車で我が家まで帰りつけた。が、久しぶりにマンガに夢中になったと同時に、心洗われるあたたかなストーリーに、清々しい気持ち満タンで帰宅した。

 イケの気に入りの本の中には当然、仕事柄、料理の本も多く含まれていた。堀井和子さん、春山みどりさん、ハギワラトシコさん、上野万梨子さん、ケンタロウさん。名だたる方々の本は、今見てもどれも古びてない。もう20年くらい前のものもあった。

「私、同じ本を繰り返し読むのが好きなの。この本の、この部分が好きだったなぁって記憶していて、それを思いながら読み返すの。新刊は、出たらまず読むんだけど、気持ちが先走りすぎているからまずはザーッと読んで、もう一回読むことが多いかな。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は好きすぎて何回読んだかわからないくらい。『神様のボート』もそうだね。アカにもあげたよね?」
 はい、いただきました。江國香織の『神様のボート』。これは何度読んでも最後はしゃくりあげて泣いてしまうから、もう読まないようにしようと思うんだけれど、私もつい読み返してしまう。
 村上春樹の作品については、二人でよく語り明かしていたことがあった。お酒とか飲みながら。今思うと、暇だったなぁ(笑)。そして自由だったなぁって思う。そういう時間を大切にしていたなぁとも思った。だから村上春樹については話尽くしていたと思っていたけれど、まさか『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を文庫じゃなくて単行本で持っていたとは! この本は、私も何度も読み返しているけれど複雑すぎてすぐ内容がわからなくなってしまう。けれども好きだったことだけは覚えていて「あれ!? 何で好きだったんだっけ?」と気になって、また読み返してしまう。文庫は上下巻にしないと収まらないくらい、長い。単行本の厚さも推して知るべしだ。それを二宮金次郎状態で、読み始めると止まらなくて、持ち歩いているというから、イケ、どんだけ本が好きなのさー! 驚きました、本当に。


 長い間、遊びに仕事にと時間を共にしてきた友人と、本棚を見て話す時間は、自分の人生を総括するような時間でもあった。20代半ばから50歳手前になる現在までの凝縮された時間が、駆け足で流れていった5時間。思い出話と、今と、本、そしてまたいつか旅に出ようという話は尽きず、結局、最後はカメラマンの公文さんと3人で飲みに出かけることに。
 共に仕事してきた私たち3人は、また再び本をオススメし合おうと約束した。同じものを読み、お酒を飲みながら感想を語り合う。やっぱり最初のオススメは、イケがみんなにしてくれるのかな。今から楽しみでならない。


池水陽子
(いけみず・ようこ)
スタイリスト。料理を中心としたスタイリングで、雑誌、単行本、広告など幅広く活躍する。ご主人と中学生の娘との3人暮らし。休みの日は、家族でキャンプに出かけることも多い。料理上手、縫い物上手、聞き上手。ワイン好きが高じてか、つまみ作りも上手。ゆるやかな性格とは裏腹に、好きなものに一心に情熱を注ぐ一面も。最近は星野源に夢中らしく、ライブはもちろん著書も読みふけっているのだとか。