第13回 宮治淳一さん、宮治ひろみさん



 茅ヶ崎の海側、大通りから少し入った静かな住宅街にひっそりと、いやどっしりとあるカフェ「ブランディン」。なぜ、どっしりなのかというと、そこには1万を超える枚数のレコードがドンと収納されているからだ。

 ご主人はレコード会社に勤務されて30年以上。それとは別に、レコードをかけて音楽を紹介するアナログなラジオ番組も長いことなさっている。お店を営むのは奥さんの宮治ひろみさん。ときどき、お店で催されるDJイベントやライブがあり、私はそこにごくたまぁーに伺っていた。といっても、ほんの1、2回を数える程度のことだったけれど。
 そもそもご夫妻と知り合ったのは、うちのダンナの会社の先輩だったことから。それでずいぶんと昔になるが、我々の結婚式に出席していただいたりもした。きっとダンナはあらゆる音楽について、いやそれ以外にも宮治さん夫妻から教わってきたことがたくさんあっただろう。しかも、しかもだ。これはかなり後になってわかったのだが、私が仕事でお世話になっている先輩編集者の女性は、なんと奥さんのひろみさんと同じレコード屋さんで学生時代にアルバイトをしていたのだそうだ。さらに言うと、そのレコード屋さんにうちのダンナがよく行っていて、二人を知っていたと言うのだから、世間は狭い。つながる人はつながるようにできているのだなぁ。というわけで私はともかく、ダンナは長い間お世話になりっぱなしのご夫妻なのだ。

 宮治さん夫妻の本棚をあらためて見てみたいと思ったのは、あるとき仕事でひろみさんが翻訳を手がけた本を偶然手にしたのがきっかけだった。私が大好きなビーチボーイズについて記された分厚い本。いつもカウンターの向こうで静かに迎えてくれる優しげなひろみさんが成された大仕事を前に、一体普段どんな本を読んでいるんだろうか? と、ふと気になった。同時にレコードコレクターであるご主人の本棚も気になりだした。それでいてもたってもいられなくなり、宮治さんに取材をお願いしたのだ。が、「うちの本棚!? 本!? レコードしか入ってないですよ。あ、でも少しはあるか……」家の中やカフェの中の本棚を回想しながら話している感じ。少しして「カフェの方には少しあるから、そこでよかったら」と、言っていただけた。
 入り口を入ってすぐのどっしりとした棚と、中庭へと抜けるカフェの真ん中の空間には、両サイドに床から天井までの棚、それにお店の真ん中辺りに間仕切り代わりにもなっているような、腰高ほどの本棚が目に入ってきた。腰高の低い本棚以外は、パッと見てすぐにそれらが本棚ではなく、レコード棚なのだということがわかった。なぜなら本棚にしてはどれも奥行きがありすぎたから。

「棚っていうと、レコードを入れることを基準に考えちゃうからさ。ついこの奥行きになっちゃうんですよ」と、いきなり棚から目を離さなくなった私を見かねてか、宮治さんが言った。奥行きが深い棚には、創刊号からあるという雑誌『レコードコレクターズ』が前後に重ねてびっしりと詰まっている。それ以外にも、坂本九について書かれた『上を向いて歩こう』、片岡義男の『僕はプレスリーが大好き』など、目につくものはほぼ音楽関連のものばかりだった。
「「上を向いて歩こう」が発売されたのはね、1962年だったかな。これがフランスで発売されるときなぜ“スキヤキ”になったのか。“スシ”でもいいか!? でもローフィッシュは野蛮と思うのではないか、じゃあ牛肉なら食べるんじゃないか? なんて、諸説あるけれど、最終的にスキヤキになったというような話なんかが書かれているんですよ。でもそもそも、この曲を最初にカバーした人はイギリスにいて、その時点で“スキヤキ”なんですけどね。カバーをした人のプロデューサーが日本に来たとき、「今半」ですき焼きを食べて帰ったからという話もあるし、笑。僕はフィクションではなくて、ノンフィクションが好きなんだよね。片岡さんのこの本は私の原点。何度も読んだよ」そう言って見せてくれた、エルビス・プレスリーについて書かれた本は、言葉通り何度も繰り返しページをめくったことが、角がうっすらめくれあがっていることでよくわかった。 「気に入っている本というより、何度も繰り返し読んだ本だな」と言いながら、宮治さんが棚から選んでくれた本だ。伝説の”呼び屋”として知られる永島達司の生涯が記された『ビートルズを呼んだ男』は、1966年、ビートルズの来日を成し遂げた話だった。レコードを聴くだけではなく、本までもがほぼ音楽に関することのみというどっぷり具合。予想はしてきていたものの、まさかここまでとは……。何かを突き詰めるとはこういうことなのか。ちんぷんかんぷんの音楽用語が飛び交うなか、それに応えようと必死な私。頭がどんどん熱くなっていく。うーん、と思っていると、ひろみさんがニコニコしながら「私も選びました」と一言。おー、よかった〜と胸をなでおろしたのもつかの間。こちらもやっぱり音楽に関する本だった、笑。


 1989年からアメリカに長期出張していたおふたり。91年からはロサンゼルスに拠点を移し、95年まで過ごした。ちょうど当時はレコードからCDに音源が移り変わる頃で、皆レコードをどんどん売りに出していたのだそうだ。宮治さんにとってその時期は、探さずとも欲しいものがあちらこちらに転がっているような、楽園だったんじゃないだろうか。その時期、アメリカで手にしたレコードは数知れず……。ひろみさんが選んだ本のひとつ『ラビリンス〜英国フォーク・ロックの迷宮』は、そんなアメリカ暮らしの後、日本で購入したものだそうだ。1997年発売の新刊時に買ったというから、まさに帰国直後。宮治さんはひろみさんが買ってきたばかりのそれを見て「まだまだ俺の知らないレコードが世の中にこんなにたくさんあるんだ」と、興奮したというから、その執着心のすごさに思わず笑ってしまった。うちのダンナもまさにそんな人の一人に数えられると思う。うちのダンナの収集癖にはうんざりするけれど、こんなにも突き抜けた人の思いを前にすると、なんだか自分までワクワクしてくるのはなぜなんだろうか? 我が家のこととなると単純に家の収納を思い、憂鬱になるからか? ちなみにひろみさんは、宮治さんがレコードを買っても怒らないそうだ。ご自身も音楽を愛しているということもあるんだろうけれど。寛大だなぁ。



 宮治さんの話は続く。「レコードを聴き、集め出したのは小学五年生くらいだったかなぁ。当時、シングル盤レコードの値段は370円。ラーメン1杯は70円の時代だったよ。とにかくレコードが欲しくて仕方なかったから何を我慢すればいいのか、そればっかり考えていたなぁ。だから『車輪の下』を読もうとか、本を買おうだなんてことは考えるに及ばなかったわけ。お金も時間も、あればレコードに使う、そういう感じ。今もそれは変わらないけどね。要するに俺の人生はレコード係数が高いんだな、笑」
 とはいえ、「今年は珍しくまだ7枚しかレコードを買ってない。奥さんは怒らないけれど、もう一人の自分が怒るんだよ」と宮治さん。ある時1枚何gかを測ってみたら、家にあるレコードがホンダのシティ1台分(約1トン)より重いことがわかり、愕然としたのだそうだ。そんな気持ちもあるけれど、でもやっぱり好きな気持ちをそう簡単に抑えられるわけがなく、いつももう一人の自分と葛藤しながら、好きを突き進んでいる。そうか、この家は何においても音楽を中心に回っているのだなぁ。と納得したところで、ふと腰高の本棚にスイカの表紙の可愛い洋書が置かれているのが目についた。『SUMMER』というタイトルのその本を開くと、カラフルなマットを敷き、ビーチでくつろぐ人たちを俯瞰から撮影した写真や夏の移動遊園地、スイカなど、夏をイメージさせるスナップが次々現れた。
つい「こういう本もあるんですね〜」と、言ってしまった。するとひろみさんは笑って、「アメリカに住んでいた時に買ったコーヒーテーブルブック。全部古本屋さんや本屋さんのセールで買ったものなの。私にとって、読まなくていい、眺めるだけの本。もっとあるのよ、見る?」と、言ってカフェの奥から中庭に抜けたところにある小さな部屋に案内してくれた。今流行りのAirbnbという民泊に登録しているという部屋は、ハワイのコンドミニアムのようなリラックスした雰囲気。光が燦々と降り注ぐ部屋にはベッドと小さなテーブル、それに本棚が設えてあり、洋書が斜めにざっくりと置かれていた。いつも窓を開け放ち、風も人も猫も犬も自由に通り抜けているハワイの友人の家をふと思い出した。最近よく聞くミニマムな暮らしとはいい意味で正反対、物が折り重なっているざっくりとした雰囲気は “どこに座ってもいいよ” と言われているようなラフさがハワイの心地良さと同じだった。何も物がなくシンプルな感じは、逆に緊張する。この抜け感は、アメリカで暮らしていたおふたりならではだなぁと感心した。

 本棚には、アメリカのソウルフードのホットドッグやロブスターが、食べ物とは違う、不思議な空気感で撮影された『ROADSIDE FOOD』や、80年代にサファリのイメージが強かったバナナリパブリックの『BANANA REPUBLIC TRAVEL & SAFARI CLOTHING』、ハワイアンプリントの生地が表紙に貼られた『THE HAWAIIAN SHIRT』など、私が好きそうな写真集が本の背を見ただけでもたくさんあることがわかった。「カフェにあるものもそうだけど、ここも泊まったお客さんがゆっくり時間を過ごすときにぱらっとめくって見られるものを、と思って」と、ひろみさん。音楽を愛するおふたりが過ごしてきたアメリカでの暮らしが少しだけ垣間見れたような気がした。ひろみさんが切り盛りするカフェは、ご主人の宮治さんとひろみさんのレコードが聴ける場でもある。全国から(世界からも!?)それをめがけてやってくる人も少なくない。もしかして持っているかも?と、思って買わない後悔より、買ってしまってだぶっていた後悔の方がいい。それを繰り返すとこうなるんだよ、と髭に覆われた顔をくしゃっとさせて、宮治さんは少年のような笑顔をみせた。それを優しく見るひろみさん。いつか私もこんなふうにダンナのレコードの山を優しく見られる日がくるのだろうか(多分こないと思うけど)。
 レコードも本も集まると、ものすごい重さと幅をきかせる。けれどもどこまで掘っても、永遠に興味がそがれることのないものだ。今日またそれを大先輩であるおふたりを前に思い知らされた。
 もの静かなひろみさんが何度も繰り返し読むというリンドバーグ夫人の『海からの贈り物』(吉田健一・訳)。これをこの秋、読んでみようと思う。何度も読んだからといってなかなかひろみさんの境地に達することは到底無理だと思うし、ひろみさんの域まで達するには、どう考えても相当の時間を要すると思うけれど。






宮治淳一
(みやじ・じゅんいち)
日本有数のレコードマニア。その数はゆうに1万を超える。レコード会社に勤務し、洋楽アーティストを担当しつつ、ラジオ番組も持つ。『宮治淳一のラジオ日本名盤アワー』毎週日曜ラジオ日本にて21:15〜。
宮治ひろみ
神奈川県茅ヶ崎市にてミュージック・ライブラリー&カフェ「Brandin-ブランディン」を営む。その傍ら、翻訳の仕事も手がけている。


Cafe Brandin

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