第12回 カメラマン 長嶺輝明さん 
〜料理本編


「あれから考えたんだけどね、やっぱり料理本も少しは入れたほうがいいんじゃないかなと思って」写真集の取材から1週間たったか、たたないかの頃、長嶺さんからそんなメールが届いた。確かに、そうかも。もちろん何でも興味深く撮影してくださるけれど、長嶺さんといえば“料理”だよなぁということで、再び、お邪魔することになった。しかも、「早めに終わらせて、夕方から美和ちゃんと3人で“とりすき”でも食べに行こう」とのこと。最後のこの誘い文句には、思わず二つ返事でうなずいた。

 前回にも記したが、長嶺輝明さんはカメラマンで、洒落た料理の本が世の中にこんなに出回るずっと以前から、料理本のあらたな立ち位置をつくることに貢献した人のひとりだ。当時の出版業界は原稿用紙に手書きで原稿を書くか、ときどきワープロでテキストを打つ人がいたくらいの速度で進んでおり、どちらにしても原稿に赤字の記号を入れて印刷所に入稿して(原稿を入れて)いた、80年代後半〜90年代前半。世界の食卓がどんなふうなのかを知るには、さまざまな洋書を貪るように読まなければ、なかなか詳細は知りえなかったし、テレビに映るシーンもリアルタイムではなかったと思う。そんな時代、人々は皆未知なる情報に飢えていた。そんななか長嶺さんの撮る、料理だけではないどこか遠い国の空気を含んだような、けれどものどこの国ともいえない料理の写真を見て、「こんなふうに食卓を彩りたい」と思った人もいたんじゃないかと思う。当時、大学を卒業したばかりの私も、そのひとりだった。
 机の上には「今度はちゃんと用意しといたよ」という感じに料理の本が十数冊重ねられていた。
「料理本の文字といえば、基本的にレシピしかないんだから、今は写真はわかりやすく。見てすぐ何なのかがわかるような、前向きで健全で安心なものが前提だから」と、重ねてあった机の上の本をひとつずつバラしながら長嶺さんは言った。私には90年代の長嶺さんの写真はいい意味で健全でも前向きでもないと心の中で思っていた。だからといって排他的ということでもないんだけれど、「これはどこの**です」という断定ができない不思議さと格好良さに包まれていた。90年代は今にして思えば、『レタスクラブ』『TANTO』『オレンジページ』といった料理雑誌が今よりもっと盛り上がっていた時代。私が出版社に就職したのもそんな時期だった。

「僕の料理写真は、あくまでも写真的であろうとしているもの。例えば、湯気がたっているようなツヤ感のある肉じゃがの広告写真を見たときに普通人は“あ、おいしそう”とか“肉じゃが食べたい”と思うでしょう? でも僕の料理写真は“あ、肉じゃがの写真”と思うような撮り方なんですよ。写真集が映像感覚に近いのは、そこが出ているから。その感覚を料理本にも取り入れたかったの。だから赤ちゃんが言うように、健全なおいしさだけや料理そのものが持っている肌感覚が感じられるものじゃなかったのかもね。この本は料理本なんだけど、写真集的感覚で料理が出ているもの。僕にとってサプリメントみたいな本だよ」
 そう言って手渡されたのはAA GILLの『THE IVY - The Reataurant and its Recipes』。ひとつのレストランの中を写したその本の写真は、現場の空気も人の熱気も、料理も、外観さえも同じテンションが流れているように見えた。ロードムービーを見ているようなスピード感。料理は写っているけれど、おいしそうかどうかはパッと見では感じられなかった。まだフランだった時代に買って、珍しく何度もページをめくったという一冊。長嶺さんの写真を見て感じていた、料理を料理として捉えていない、その場にあるものすべてを俯瞰から見ているような画角の収まり方の元はこのサプリメント本からだったのか。納得。そういえば90年代はちょうど、料理が家事としてだけにカテゴライズされなくなってきて、パーソナル感が出てきた時期だったように思う。長嶺さんの撮る料理写真の感覚が少しだけわかった気がした。  北海道“アリス・ファーム”の宇土巻子さんによる『シェーカークッキング』は、長嶺さんが撮影し、00年に柴田書店から発売された、スピード感とは真逆の本。その場にあるものすべてが止まっているか、あるいは誰にも聞こえないよう静かに息をしているような、静謐な時間と空気がどのページからも感じられる本だった。けれども料理写真の趣きは、長嶺さんのいう映像感覚が伝わる感じがした。 『THE IVY - The Reataurant and its Recipes』が音楽とともに流れるようにその場の空気を伝えるロードムービー的なものだとしたら、『シェーカークッキング』は無声映画のような、そんな感じといったらわかってもらえるだろうか?

 重なった本を一冊ずつ開きながら、話していくなかで一番気になったのは『AFTERNOON TEA’S MENU BOOK 1981-1988 』。撮影は長嶺さんでスタイリングはハギワラトシコさん(前々回登場)。2000年代だったと思うが、私も長嶺さんとアフタヌーンティーのメニューブックをご一緒させていただいたことがあった。何年もアフタヌーンティーは、こうして自社のレシピブックを出し続けているのだが、なんとこれは発売後、即発売禁止になった本だそう。理由は、アフタヌーンティーのイメージに合わなかったからだったと記憶しているが、今となってはあまり覚えていない、と長嶺さん。ページをめくると、レシピはすべて英語表記。その注釈には“あなたがこれらのレシピを見た時に、いくつかは作ることができないと感じるかもしれません”と記されていた。思わず笑ってしまったが、同時に「すごい!」と声が出た。ガラスのテーブルの上にのった料理の下に折り目正しく揃えられた靴があったり、料理がまるで宙に浮いているかのように見えるものもあった。一体どうやって撮影したんだろうか? 見るものをワクワクさせ、引き込むパワーが本全体にみなぎっていた。
「これは1987年に発売だったから、文化出版局から現在のような料理本が多く出はじめる以前のもの。撮影時はみんなであぁでもない、こうでもないってね、楽しかったよ。そういうことができた時代だった。多くの人の目には触れなかったけどね、笑」





北村光世さんの『レモンブック』、『わたしの好きなイタリア』は2006〜2007年に連続で出版された私も大好きな本のひとつ。そういえば、これもまた料理レシピのみならず、イタリアの街の空気も含め、楽しめるつくりになっていた。1994年発売、上野万梨子さんの『パリのお菓子屋さんのレシピ』も同様に、パリの景色がお菓子とともに味わえるものだった。長嶺さん曰く「上品な上野さんのイメージをくずした本」ということだったが、私にはやっぱりおしゃれな一冊に変わりない。翌年の『パトリスジュリアンのデザート』は、パトリスさんの手描きのレシピとわざと粒子を粗くした料理写真が画期的だった。
 やっぱり長嶺さんの本棚には、料理本の新しく大きな流れが詰まっていた。「カメラマンは人の役に立つようにとか、わかりやすくとかは苦手だよなぁ」と、かつてのアシスタントである公文美和さんに同意を求める長嶺さん。公文さんは、ニヤニヤしているだけで、特に答えはしなかった。が、そうかもしれないなぁと、この言葉を受けて思った。特に長嶺さんが、だけれど。これをこうして写して欲しいと思うなら、ある意味自分で撮ればいいのかも。現場は共有しているけれど、あとはその手に任せたという仕事の仕方が好きな私としては、長嶺さんの「被写体だけ教えておいてもらえたらそれでいいよ」、という感じが好きだったし、自分にも合っていたように思う。
「本棚はプライベートだからね、いろいろ見られたような気がしたよ、今日も。
今回の料理の本は、僕にとっていろいろ節目だったもの。僕は味を写さないように心がけてきたの、湯気は出さない方向で。そういう時代だったこともあるけれど、そんなことをしても味なんか出ない。そんなことよりアジ・・な写真はあるだろ?」
 そう言いながらシャツの袖に腕を通し始めた。あ、もう本棚の話は終わりなんだな。同時にわかった公文さんと私は長嶺さんに倣い、片付けを始めた。気がつけば外はほんのりピンク色。そろそろビールととりすきの時間だ。




長嶺輝明
(ながみね・てるあき)
写真家。80年代から90年代の料理本全盛期に、その時代とスタイルを構築したうちのひとり。60歳を超えた今も自身の作品を撮りつつ、料理、旅などさまざまなジャンルで活躍し続けている。有元葉子さん、上野万梨子さん、パトリスジュリアンさんなど多くの著名な料理家の本の写真を手がける。著書に『長嶺輝明の「かわいい」写真術 誰も教えてくれなかった「被写体探し」と「空気感」のつかみ方!!』が、共著に『写真家になる! 写真家の現場に触れ実戦で一歩踏み出す写真術』などがある。