第10回 Cuel ハギワラトシコさん


 久しぶりにお会いした帰り道、何度「すごい」と「さすが」を口にしたか考えていた。ケータリングサービス「Cuelキュール 」を主宰しているハギワラトシコさん。お会いしてからかれこれ20年ほど経つが、想像を超えた料理のコーディネートやご本人の発想のおもしろさ、勢いは変わらず……。いや、むしろさらにパワーアップしているように感じた。始まりは、憧れから。雑誌『装苑』のクッキングページでハギワラさんの料理とスタイリングに釘付けになった私は、いつかお会いしてみたい、と思っていたのだ。その後、何がきっかけだったかは思い出せないが、テレビの料理番組や雑誌などで何度かお仕事をご一緒させていただく機会に恵まれた。1990年代後半から2000年の初め頃にかけては、フードイベントが走りの頃で、ハギワラさんが参加されているイベントは特に楽しみだった記憶がある。

 ハギワラさんの何が素敵かって、フードとそれ以外での興味の先にあるものを結びつける天才だから。一般的にいうかわいいとは正直いい意味でかけ離れた、ぶっ飛んだおもしろかわいいは、いつも私を虜にしたし、発想のアンテナの先がどこにあるのか、常に気になっていた。ほっこりという言葉とはほど遠いご本人。毎度何かしらキラリと光るファッションで料理に向かっている姿も変わりなかった。今日は一見シンプルなグレーのTシャツにタイトスカート。それにビット・モカシン。だが、Tシャツの上からふわりと巻かれたスカーフは、なんとエルメスのスカーフをご自分で染め直したもの! GUCCIのビット・モカシンには全面にトゲトゲが出ていた、笑。まず、ここで「さすが!」と思った。と、同時に昔、ハギワラさんが何かの番組か雑誌で黒いマニキュアを塗ったピカピカ黒光りする指で料理をなさっていたことを思い出した。今でこそ、さすがに黒色まではいかずとも、ピンクのマニキュアくらいはしている人がいそうな気もするが、20年くらい前となると、マニキュアをしたまま料理番組や雑誌に出る人なんてそうそういなかった。ましてや黒だなんて、笑。「自分のやりたいことはやる。ずっと変わってないのよ」そんな話をしたら、ハギワラさんはさらりとそう応えてくれた。そうだった、私はこういうことも含めて憧れていたのだ。まざまざとそんなことが思い出され、やっぱり「すごい」と、取材前からあらためて思ってしまったのだ。

 ハギワラさんには仕事場と自宅の2箇所に大きな本棚がある。今回は、仕事場の本棚を拝見させていただいた。何度かおうかがいしているはずの工房だが、本棚がどんなふうだったかまったく思い出せなかった。ただひたすら気になったのは、そのときどき作られてきたおいしくて、ファニーな食べ物のことばかり。試食のとき「おいしい!」というと、ハギワラさんは決まっていたずらな笑顔とともに「この見た目からは想像できなかったでしょ」と、返してくれた。工房内は厨房と事務所にわかれていて、事務所サイドの壁に沿って置かれた本棚は「気づきにくいよね」というように、静かにちんまりと収まっていた。ちんまりといっても決してサイズ的に小さいわけではない。むしろ大きいといったほうが、いいくらいのサイズだった。素っ気ない工業製品ゆえ、そんなふうに見えたのかしら? 職員室にあるようなグレーの事務的な本棚の、ガラス張りの戸の向こうには料理本のほか、外国の写真集のような背表紙がお行儀よく並んでいるのが確認できた。

ハギワラさんのお気に入り本のいくつかは、文化出版局から出版されていた『大草原の小さな家の料理の本』や『赤毛のアンのお料理ノート』『プーさんのお料理読本』など物語に出てくる料理をお話をもとにレシピ化したもの。大草原の小さな家のレシピは、牡蠣や豆のスープといった、すぐにでも物語を思い出せそうなレシピが。プーさんのレシピは、[ピクニックや探検に出かけるときの食糧]の章で、“クレソンのサンドイッチ”、“積み重ねサンドイッチ”。[お食後やパーティーのために]の章では“バターつきのパンプディング”や“はちみつをかけて焼くバナナ”など、章立てもレシピも、そのネーミングだけでワクワクする料理が並んでいた。なかでも一番影響を受けたという『アリスの国の不思議なお料理』をめくると、“かんしゃく持ちマスタード”、“お食べなさいケーキ”といった、ハギワラさんのお料理を彷彿とするメニュー名が目についた。昔から物語を読んではそこに出てくるものを想像するのが好きだったというハギワラさん。ファンタスティックな数々の料理は、そんなこともルーツのひとつだったのかもしれない。ご自身が料理とスタイリングを担当し、カメラマンの長嶺輝明さんが撮影をした、本間千枝子さんとなみきみどりさん著の『世界のメルヘンお料理ノート』は、そんなかけらが垣間見られる一冊。メアリーポピンズの料理の“木いちごのお菓子”は、新宿の都バスの石畳をバックに、最後のよき土地に出てくる“ハム、コーンブレッド”。マスの料理は、富士山の麓にまで撮影をしに出かけたのだそうだ。丁寧に、楽しく、時間をじっくりかけ、手間暇かけて本作りが成されてきた時代の話は、聞いているだけで楽しい。そこに心底憧れていた私は、さわりだけでもその時代を味わえたことに感謝した。そしてその時代をつくってきた人たちと少しでもお仕事をご一緒させていただけたことをありがたく噛み締めた。今もやろうと思えば、できなくはないのかもしれない。けれども時代に、大きな流れにまかれ、頭を垂れている自分がいるんじゃないだろうかと自問自答。自分ツッコミして落ち込んだ。


 そんな私をまったく気にもせず、ハギワラさんが本棚から次なるお気に入りを持ってきた。『HIGH-TECH』—1978年のそれはインダストリアルスタイルがまとめられたもの。グラスブロックや鉄板の模様など、思いもよらなかったものからインスパイアされ、造られる空間は今見ても新しい。それに『TIFFANY TASTE』。ティファニーのデコレーターが世界を旅しながら、さまざまな場所でテーブルコーディネートした一冊。香港の夜景が望める部屋に上海蟹が並ぶ食卓。椅子はトラ柄。バブルラップのテーブルクロスの上に並ぶ生牡蠣。なんとハワイのイオラニパレス(ハワイ王朝時代のもので、アメリカ唯一の宮殿)でも料理撮影をしていたのには驚いた。いい意味で、食器もスタイリングもバカバカしいものばかり。それに豪華絢爛な食事を合わせた奇天烈ぶりに、ここでもまたハギワラさんを思ってしまった。 同時に「世界レベルはさ、ここまでやんないと。日本人はおとなしすぎる」というハギワラさんの言葉に、いえいえ、日本代表がここにいらっしゃるではないですか、なんて思ってしまいました。さらに「これ、どれを見ても飽きないのよ。今、見直したら昔見えなかったものも見えてきたなぁ。そう、みんな自分が知っているものに対してだけ、いいって言い過ぎている。知らないことのなかにもいいと思えることってあるはず。むしろ自分がわからないことのほうが自分を高めてくれるんじゃないかなぁ」はい、おっしゃる通りです。ブスッと胸を突き刺すお言葉。保守的になるつもりはないけれど、ついついそうなりがちだよなぁと、反省。落ち込んだり、反省したり、ハギワラさんへの「すごい」と「さすが」が口をつくたび、そんな思いが重なっていった。
 知らないことといえば、当時はこれを読んでも何のことやらだったという、T.ストバート著の『世界のスパイス百科』。ミントのことを“はっか”と記すこちらは、昭和56年刊のものだった。
 ハギワラさんの今までの著書をパラパラめくりながら、時に思い出話も交えつつ、本のことをさらに話しながら、目についてしまった。『ハギワラトシコのヒーリングクッキング』にあるこんなタイトルたち。“燃え尽き症候群のお友達とティータイム”、“青魚を食べて猫と友達とみんなでクレバーになろう!”なんとも勢いのあるタイトル。どかーんと大きく撃ち放ってくれたこの見出しに、やっぱりこれほど「さすが」と「すごい」が似合う人はいないと、確信。ハワイに限るのかもしれないけれど、海外で「すごい」という言葉に反応するローカルは多い。ハワイには”SUGOI”というお店もあったような!? やっぱりハギワラさんは世界レベルです。今日、絶対的に間違いないと確信しました。






ハギワラトシコ
ケータリングサービス「CUEL」主宰。ファッションブランドのオープニングやショーなどのケータリングを中心に活躍。著書に『勝手におやつ』『ワンダフルパーティーズ〜軽い料理と深い友情の作り方』『映画を食卓に連れて帰ろう』など多数。その著作からも、数々のフードイベントでも、料理業界の定義をいい意味で崩し、新たな時代を作り上げてきた料理人といえる。常に好きなことへのアンテナを張り巡らせ、そこに向かい邁進し続けるパワーは尽きることがない。